「背番号25」だった過去が思い出せない5人のスターたち

今日は3月25日。背番号25番を背負った選手のなかで、あまりイメージのない人達をセレクトしてみた。

ジョルジニオ・ワイナルドゥム(現リヴァプール)

フェイエノールト時代の2007~2011

宮市亮ともプレーしたフェイエ時代の背番号は25。当時は天才ドリブラーでもあった。

宮市のクロスから決めたフェイエ時代のスーパーゴールがこれ(以下動画4分3秒~)。

動画を見たい場合はここをタップ!

PSVでは10番を背負い、ニューカッスル以降は5番で定着。オランダ代表では8番が多い。

ヌリ・シャヒン(現ブレーメン)

ドルトムント時代の2005~2007

最年少記録となる16歳と335日でブンデス・デビューを飾った天才レフティー。その当時の背番号は25だった。

その後は17、23、8、5、4、18、17という番号を背負っている。

ジョアン・カンセロ(現マンチェスター・シティ)

ベンフィカ時代の2013-14

無名の存在から瞬く間にスターになったポルトガル代表サイドバック。

ベンフィカの最終年に1年だけ25番を着けている。ただ、ベンフィカではわずか2試合計73分しかプレーしていないだけにイメージはないはず。

デビュー時は50番、その後は70、2、7、20、27という背番号変遷。

オレクサンドル・ジンチェンコ(現マンチェスター・シティ)

PSV時代の2016-17

ペップからも信頼を寄せられるウクライナ代表レフティ。

レンタルされたPSVで1シーズンだけ25番を着けた。今季シティでは35番から11番に昇格。代表とウファ時代は17番を背負っている。

マルコ・アセンシオ(現レアル・マドリー)

エスパニョール時代の2015-16

マジョルカが生み出した天才レフティ。チームメイトだった家長昭博曰く、まだ高校生だった当時のアセンシオは練習に真摯に取り組むいい意味の「サッカー馬鹿」だったそう。

レンタルで在籍したエスパニョールで25番を着けた。ちなみに、西澤明訓も2000-01シーズンにエスパニョールの25番を着けたことがある。

なお、リーガではGKの背番号が基本的に1、13、25番。そのため、カシージャスやビクトル・バルデスも25番を着けた時代がある。

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