日本アニメのアカデミー賞獲得が困難に? なぜ『天気の子』ではなく『失くした体』がノミネートされたのか

Netflixオリジナル映画「失くした体」独占配信中

世界がアッと驚いた『パラサイト 半地下の家族』の第92回アカデミー賞4部門制覇(作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞)。アジアが世界にグッと近付いたが、日本にとって馴染み深いのは、何と言ってもアニメーション部門(長編アニメ映画賞)。受賞は『トイ・ストーリー4』に落ち着き“お約束”通りの展開となったが、あれっ? と思ったのは、期待度の高かった『天気の子』ではなく、ノーマークの『失くした体』がノミネートされたこと。これが長編第1作目となる無名監督の作品に、日本人ではなくとも、なぜ?と思った人間は多いのではないか。

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ほとんど知名度のない『失くした体』がなぜノミネート?

今年のノミネート作品は『トイ・ストーリー4』を含む5作品で、日本でも2019年末に公開済みだった『ヒックとドラゴン 聖地への冒険』は、かつてピクサーと覇権を争ったドリームワークスの人気シリーズ3作目。2020年秋に日本公開予定の『ミッシング・リンク/Missing Link(原題)』は、アードマン・アニメーションズ(Aardman Animations:イギリス)と並ぶストップモーション・アニメーションスタジオ、ライカ(LAIKA:あのNIKEが設立!)制作で、アカデミー賞~アニー賞の常連。Netflixオリジナル作品『クロース』のセルジオ・パブロス監督は『怪盗グルーの月泥棒 3D』(2010年)の原作や、2012年にアニー賞でキャラクターデザイン賞にノミネートされた『RIO』のキャラクターデザインを務めた人間で、ハリウッド並みのクオリティを持つ大作。

ここまでの作品はノミネートされても充分に納得できるレベルのものだが、それに対して、同じくNetflixオリジナル作品『失くした体』は、カートゥーン・スタイルのテレビシリーズ(ディズニーチャンネル『手裏剣スクール』[2007年~]など)が主体のシーラム(Xilam:フランス)制作、監督もほぼ無名のジェレミー・クラパン。なぜ、この布陣で『天気の子』に勝てたのか?

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キッズ/ファミリーのものだったアニメーション

『パラサイト』が頂点に立ったアカデミー作品賞部門では、「芸術性」「商業性」、さらに最近では「社会性・社会問題への視点」が重視されている。実写映画は伝統的に社会を映す鏡としての役割も担っており、アカデミー賞でもその時々の社会意識を反映した問題作がノミネート/受賞というケースが多い。

一方で、アニメーションは伝統的にキッズ/ファミリーが観る娯楽という枠にずっと縛られ続けていた。1937年という割と早い時期に『白雪姫』で芸術性の評価も獲得したものの、2001年度作品対象の第74回アカデミー賞で長編アニメ映画部門が誕生した時でも、子どもが安心して楽しめる娯楽性が重視されていたのは、初期のノミネート作品のラインナップ※第1回目『シュレック』[受賞]、『天才少年ジミー・ニュートロン(ジミー・ニュートロン 僕は天才発明家!)』、『モンスターズ・インク』、第2回目『千と千尋の神隠し』[受賞]、『アイス・エイジ』、『リロ&スティッチ』、『スピリット』、『トレジャー・プラネット』)で理解できる。

そして、その中に宮崎駿やシルヴァン・ショメ(第3回目『ベルヴィル・ランデブー』でノミネート)といった天才肌で作家性の強い作品が織り交ぜられるという傾向がしばらく続くのだが、大きな変化が訪れたのが2008年、第80回アカデミー賞に『ペルセポリス』がノミネートされてからである。

『ペルセポリス』の衝撃

この作品は、イラン出身でパリ在住のバンド・デシネ作家、マルジャン・サトラピが自ら脚本・監督を務めた半自叙伝である。1978年のイスラム革命以降の激動のイランにおいて、旧弊にして堅固な戒律社会と自由で奔放な西欧社会の狭間で苦悩する女性が皮肉とユーモアを織り交ぜて描かれているが、従来のCartoon/アニメーションでは取り上げられることのなかった時事性の強いリアルなテーマが注目を集め、ノミネートを勝ち得ることが出来た(スティーヴン・スピルバーグ作品や『スター・ウォーズ』シリーズ、またジブリ作品の北米公開をプロデュースしたキャスリーン・ケネディの力も見逃せないが)。

それ以降、記憶を失ったイスラエル国防軍の歩兵を描いたアニメーション『戦場でワルツを』(2008年 イスラエル:アリ・フォルマン監督)は外国語映画賞の方にノミネートされたが、長編アニメ賞のノミネート枠が5作品に広がった2010年代からは、チャーリー・カウフマンの問題作『アノマリサ』(2015年)、孤児院で暮らす少年を描いた『ぼくの名前はズッキーニ』(2016年)、ポスト・ジブリの声もあるアイルランドのカートゥーン・サルーンが敢えてイスラム圏の女性問題に取り組んだ衝撃作『生きのびるために/ブレッドウィナー』(2017年)など、アニメーションの表現特性を生かしながらも、リアルなテーマに取り組んだ社会的な作品がノミネートされるようになった。

『失くした体』もその流れの中にあり、切断された手が体を求めるというファンタジーながら、フランス社会の底辺を生きる移民の青年がリアルに描かれている。

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アニメーションの一般化と選考方法の変更

このように、アニメーションも実写映画と同じく現実社会を反映する表現手段になってきたということは、その存在が一般化してきたということなのである。1990年代半ばまでのアニメーションの担い手は正直ディズニーしかなく、映画全体の興行収入に占める割合も微々たるものであった。

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ところが1990年代中盤からCGアニメーションが普及し、図1にあるように2000年代から興行収入が飛躍的に増え、数パーセントに満たなかったシェアが2019年には19.2%までとなった。こういう背景を受けて、2018年より長編アニメ映画部門のノミネート作品選考が、それまでの専門委員による分科会方式から、作品賞と同じ一般会員(つまり映画人)からの投票によって決められるようになった。そうなると、実写と同じように社会性のあるテーマを取り上げた作品がよりノミネートされる確率が高くなることは、ある種当然のことである。これが『天気の子』と『失くした体』の明暗を分けた理由のひとつになったと思われる。

図1:1990年から2019年までの北米アニメーションBOX OFFICE推移 単位:百万ドル (BOX OFFICE MOJOを参考に筆者作成)

ピクサー/ディズニー王国の対抗馬となる可能性が強いNetflix

現在のアカデミー賞におけるアニメーション勢力地図は、極端に偏っている。図2にあるようにピクサー/ディズニー連合の圧勝状態にあるからだ。両社(と言っても同じ会社だが)併せた受賞確率は、何と68.4%! 興行収入面では唯一イルミネーション(『ミニオン』シリーズほか)/ドリームワークスのユニバーサル連合が対抗勢力になっているが、アカデミー賞では全く歯が立たない状況にある。

図2:アカデミー賞長編アニメーションノミネートスタジオ(※BOX OFFICE MOJO等を参考に筆者作成)

そこに登場したのがNetflixだ。第92回アカデミー賞の長編アニメ映画賞に提供作品が2つもノミネートされたことで、ピクサー/ディズニーの対抗馬として一気に注目されるようになった。豪華スタッフ&キャストによってハリウッド作品並みのクオリティに仕上がっている『クロース』が注目されるのは当然としても(北欧を意識した「照明」が秀逸)、『失くした体』が認知されたのはNetflixの“推し作品”として配信されたことが大きかったことは容易に推測できる。『失くした体』『クロース』という全く違ったタイプの作品を提供できるのもNetflixの強みで、アニメーション映画の一角を占める存在となる可能性は大いにあるだろう。

日本のアニメに受賞の可能性はあるのか?

では実際のところ、日本のアニメにノミネート/受賞の可能性はあるのか? 長編アニメ映画部門でノミネート/受賞するための要件として、「娯楽性・商業性」「芸術・作家性」「社会性・多様性」が必須なら、全部は無理としても、最低2つは満たす必要があるだろう。

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だが、娯楽性・商業性についてはピクサー/ディズニー連合に全く敵わない。日本も大得意の分野なのであるが、それらの多くは「アニメ」という日本独自の領域での表現が主流で、キッズ/ファミリー対象をスタンダードとする海外のアニメーション常識から逸脱しているケースが多い。海外でも「アニメ」が広がりつつあるのは確かなものの、ピクサー/ディズニー連合などからすると、その娯楽性・商業性については比べるべくもない。

また、社会性・多様性については日本のアニメが不得手な分野である。平和ボケしている社会状況では切迫した問題意識が起きにくく、長編アニメーションにまで結実するのは稀なケースである。『火垂るの墓』(1988年)や、最近では『ジョバンニの島』(2014年)『この世界の片隅に』(2016年)といった作品はあるものの、全て太平洋戦争にまつわるストーリーで、今ここにある世界に共通する社会問題をテーマとした作品は少ない。

宮崎駿監督に続くクリエイター

細田監督、片渕監督、湯浅監督

日本の強みは、芸術・作家性に富んだクリエーターが多いということである。この分野を中心とし、娯楽性・商業性か社会性・多様性のどちらかを加味することが出来れば、ノミネート/受賞の確率は高まるであろう。そして、その期待の筆頭にあるのが宮崎監督の2020年公開予定の新作である。『君たちはどう生きるのか』というタイトルは極めて真面目な印象を受けるが、内容は全く違ったものになりそうとのこと。認知度も申し分ないので、『もののけ姫』(1997年)や『千と千尋~』のような時代を捉えた作品となれば可能性は充分あるだろう。

その宮崎監督に次いでアカデミー賞に近いのが、細田守監督であろう。実は日本からノミネートされた7作の内、6作はジブリ作品(※)で、残る1作が『未来のミライ』(2018年)なのである。この作品を貫く「家族」というテーマが日本では受け入れられなかったが、海外では一般的なのでノミネートにまで至ったのではないか。おそらく将来の創作活動を見据えて選択したテーマであったのだろうが、次回作はどのようなチャレンジがなされるか楽しみである。

※『千と千尋~』『ハウルの動く城』(2004年)『風立ちぬ』『かぐや姫の物語』(2013年)『思い出のマーニー』(2014年)『レッドタートル ある島の物語』(2016年)

その他にも、片渕須直監督がいる。アメリカ人にとっては非常に微妙な内容であった『この世界の片隅に』はノミネートに至らなかったが、高畑勲監督の衣鉢を継ぐ映像作家として次回作に大いに期待したい。個人的な見解になるが、湯浅政明監督にも可能性がある。『MIND GAME マインド・ゲーム』(2004年)『ケモノヅメ』(2006年)『カイバ』(2008年)などに見る作家性は飛び抜けたものがあり、じっくりとオリジナル作品に取り組めばアッと驚く映像を創り出せるポテンシャルを感じさせる。

新海誠監督作品、庵野秀明監督作品に関して言えば、作家として能力は傑出しているものの「アニメ」という領域の体現者でもあるので、映画人によって構成されているアカデミー会員に理解されるのは難しいように思える。『スパイダーマン:スパイダーバース』(2018年)によって「アニメ」的な表現が広がる兆しが見えてきたが、普遍化するのにはもう少し時間がかかりそうである。

『失くした体』に垣間見られるのは、今敏監督の影響である。彼のリアリスティックな映像表現や鮮やかなカッティングの影響を受けた作家は実に多く、世界中の至る所で散見される。存命であれば、シルヴァン・ショメと並んでアカデミー賞の筆頭候補になっていたであろう。

Netflixとの提携・配信が必要条件になる可能性

上記の要件をクリアーしたとして、問題なのは認知度の獲得である。どのようにアカデミー会員にアピールするのか。ベストは北米での拡大興業である(公開時3,000~4,000館)。これが実現すれば、映画を生業とする会員の耳目に否が応でも触れざるを得ないが、日本の映画にとってはそのレベルで公開されたのはポケモン劇場版1作目(『劇場版ポケットモンスター/ミュウツーの逆襲』[1998年])のみ(公開時2,991館、最大3,043館はその当時のマックス)。『千と千尋~』の場合、館数は少なかったものの(公開時26館、最大714館)、配給が何といってもディズニーだったことが認知度の増大に繋がったのは間違いない。

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さらに、以前はアカデミー賞にノミネートされるためには最低ロサンゼルスなどで1週間の興業が必要だったが、これを行ったとしてもPRの効果はほとんどない上に、2018年からアニメーションは上映義務がなくなったので、より認知度向上問題が浮上した。上映以外で残された道は、カンヌ映画祭などの主要映画祭で受賞するか(自動的にアカデミー賞ノミネート候補となる)、映画業界人の日常生活に組み込まれたNetflixで配信されるかである。ただし後者の場合、日本映画の慣習として公開から時間を置いてDVDと同時に配信といったような縛りがある為、もし本当に世界を意識するならば、既存の映画公開から3~6ヶ月後にDVD/配信解禁といった習慣を組み替える戦略が必要であろう。

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それがNetflixになるのかDisney+(日本ではDisney DELUXE)となるのか、はたまたHBOになるのかは分からないが、映画祭での賞獲りのみならず、海外での展開を考えると配信プラットフォームとの連携は必須となるであろう。

文:増田弘道

『失くした体』はNetflixで独占配信中

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