『女たちのシベリア抑留』小柳ちひろ著 暗黒の中の一筋の光とらえる

 花の名前や自然の描写が出てくるたびにほっとする。彼女たちがそれらを目にして慰められたと想像できるからだ。悲嘆や苦悩の中にあっても、仲間と一緒に歌を歌うこともあれば、笑い合うこともあった。助け合い、励まし合った。

 旧満州で敗戦を迎え、シベリアに送られて過酷な日々を生きた女性たちの記録『女たちのシベリア抑留』でとりわけ印象深かったのは、彼女たちのそんな明るさとたくましさ、そして誇り高さだ。本書は、2014年8月にNHKで放送された同名番組の取材をもとに、ディレクターを務めた小柳ちひろが書き下ろしたノンフィクションである。

 「シベリア抑留」とは、旧満州などからソ連やモンゴルの収容所に送られ、強制労働させられたことをいう。その規模は関東軍兵士ら約60万人とみられるが、実はその中に数百人の女性がいたことはあまり知られていない。彼女たちの声を聞き、記録を残すという使命感に駆られた著者は、その足跡を追い始める。

 最初に話を聞いたのは、17歳で満州に渡り、陸軍看護婦となった大島幸恵(当時は望月幸恵)。彼女が語るシベリアの思い出はあっさりしすぎていて、小柳は「何かが抜け落ちている」と感じる。話を聞くうちに「シベリアは、恐怖の連続だった」ことが分かる。小柳は思う。「幸恵さんは無意識に、抑留生活の記憶の一部を封印していたのではなかったか」

 この出会いをきっかけに、シベリアに抑留されていた女性たちの所在が徐々に明らかになってゆく。わずかな反応を示しただけの人も含め、声を聴けたのは29人だという。

 望月幸恵が入隊した陸軍病院は満州の佳木斯(ジャムス)にあった。そこにはプロの看護婦もいれば、望月のように若い補助看護婦もいた。150人の補助看護婦隊は「菊水隊」と名付けられる。当時30歳だった日赤看護婦の林正(りんしょう)カツエは彼女たちを訓練し、統率する係だった。

 1945年8月、ソ連軍が満州に侵攻してくる。看護婦たちの多くは「お国のために働く時」だと思い、病院に残る。やがて撤退が始まる。そして、敗戦の日が来る。

 ソ連軍が近くに来ているのに、部隊長が「現地解散したい」と言う。林正は衝撃を受ける。女性だけの集団になったらどうなるか…。林正は抗命罪に問われることを覚悟して言う。「私たちは召集を受けて来ました。ここで解散することはできません。日本へ帰るまで、部隊と行動をともにさせてください」

 軍上層部からは、ソ連軍から要求があったら女をさし出すよう通達があったが、この病院の男性たちは「人身御供」など出せないと思う。女性たちには青酸カリが配られる。辱めを受けそうになった時に飲むためだ。

 帰国できると騙されて、どんどん奥地へと運ばれて行く。なぜ女性までもがシベリアに抑留されなければならなかったのか。小柳は旧ソ連の意図にも切り込んでゆく。

 いつ帰れるか分からない。厳寒の地で、絶望の淵に立たされながら重労働に従事する女性たち。本書には、林正らが看護婦としての誇りを失わずに収容所の病人のために働き、周囲の信頼を勝ち得ていく姿も描かれる。ソ連の人々との間に信頼関係も生まれる。暗黒の中の一筋の光をとらえているのだ。

 待ちに待った帰国の後、故郷の人々が彼女たちに浴びせる視線の厳しさにも筆が及ぶ。故国に何度も踏みにじられる女性たちの境遇は、あまりに苛烈だ。

 「最果ての流刑地」として知られるマガダンの収容所に送られた日本人女性が、帰国を拒否して現地で亡くなったことも分かる。なぜ彼女は帰国を選ばなかったのか。「アーニャおばあさん」の心境に思いを馳せる。

 性暴力を受けたであろう被害者については、詳細なことは書かれていない。だが、さらにあまたの悲しみが本書の背後に広がっていることは想像に難くない。

戦争に、時代に、国に翻弄され、蹂躙された女性たちがいたことを、心に刻みたい。

(文藝春秋 1700円+税)=田村文

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