「小川洋子と読む内田百けん(門構えに月)アンソロジー」内田著、小川編 なんにも用事がないけれど、異界に行こう

 「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」。ふとした時に、このフレーズを思い浮かべることがある。内田百けん(うちだ・ひゃっけん、1889-1971、「けん」は「門構えに月」の字)が書いた「阿房列車」の名文句で、著者は新幹線もない時代に、用もなくただ列車に乗るために旅をする。なんと物好きで、なんと自由で、そして、なんてすてきなことだろう。いつかそんなゆとりができるといいなあと、現実をしばし離れる。本書でも夢とうつつ、ユーモアと恐怖の間を行き来する文章を読んだ後、浮遊するような感覚が長く残る。読者を異界へ連れて行く作家だとつくづく思う。

 本書には小川洋子が選んだ小説や随筆24編が収められている。「冥途」「サラサーテの盤」といった有名な作品をはじめ、いずれも短編、掌編といってよく、初めて読む人にもハードルが低いだろう。

 なぜか自分が人の顔をした牛になっている「件(くだん)」や、墓場の近くの氷屋が舞台の「とおぼえ」は、今ならファンタジーかホラーにジャンル分けされるかもしれない。ぞくっとして、本を開いたままおそるおそる後ろを振り向きそうになった。「冥途」で描かれる生と死のはざまは、短いけれど読むたびに粛然とする。関東大震災で親しい人を失う「長春香」も声高でないだけ胸の奥に届く。「消えた旋律」の不機嫌な語りは実にうまい。各編の末尾に数行ずつ記された小川の評は肩肘張らない言葉遣いで、現代の読者が感知できる本質を掘り出してみせる。

 本書から始めて「阿房列車」「ノラや」に手を伸ばしてもいい。後年、芸術院会員への推挙を「イヤダカラ、イヤダ」と拒んだという偏屈そうな生き方が気になって、好みの作家に加わるかもしれない。そうなれば「なんにも用事がないけれど、異界に行って来よう」と思えるだろう。不要不急の行動を控えることが増える昨今だが、読書は別である。

 何十年も前に書かれていても、新たな風が吹き込んで未来に手渡される作品は幸福だと思う。もちろん、読者にとっても。

(ちくま文庫 880円+税)=杉本新

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