佐世保に息づくスケボー文化の原点は?

スケートボードを楽しむ利用者=佐世保市、スケボーエリア

 長崎県佐世保市中心部のアーケードでは、スケートボードを持って歩く若者をよく見かける。昨年には専用の広場も完成。多くのスケーターでにぎわっている。佐世保に息づくスケートボード文化の原点はどこにあるのだろうか。取材をしてみると、スケートボードに魅了され、その文化を残そうと奔走する人たちに出会った。
 米海軍佐世保基地前の佐世保公園(平瀬町)の一角にあるスケボーエリア(495平方メートル)。傾斜を滑ってジャンプをするスケートボード遊具などが四つ設置されている。若者たちが技を練習したり、滑り方を教わったりして爽やかな汗を流していた。佐世保市内の中学生、福田栞奈(かんな)さん(15)=瀬戸越2丁目=は「仲間と安心して滑ることができる大切な場所」と笑顔で話した。
 佐世保市公園緑地課によると、2019年3月に供用が始まった。園児から50代くらいまで幅広い層が利用。平日でも約40人が利用している。市外から訪れる人や外国人も多い。
   ◆
 1960年ごろに米国で発祥したとされるスケートボードは、いつから佐世保で始まったのだろうか。多くの人が“先駆者”と認める太田佳弘さん(62)=松原町=に話を聞いた。
 太田さんは、国内でローラースケートが流行していた80年ごろ、テレビでスケートボードを知った。当時松川町にあった幾久屋デパートで購入。ただ、滑り方が分からず、坂道を見つけては滑っていた。
 1年後。福岡にスケートボード専門店があることを知った。そこで初めて滑り方や技などの情報を入手。ベニヤ板で手作りしたジャンプ台を使って三ケ町アーケードで技術を磨いた。その後90年代初めごろまでは鯨瀬ターミナル周辺(新港町)で練習。一緒に滑る人も少しずつ増え、30人くらいの仲間ができていた。「とにかく楽しかった」
 しかし、歩行者との接触の危険性や騒音などの苦情が寄せられることも多かった。ターミナル周辺も利用できなくなり、安心して楽しめる場を求め、公園などを転々とした。
   ◆
 こうしたマイナスの印象を変えようと、スケートボード専門店「BRIGHT IDEA」(花園町)の店主、冨田拓郎さん(43)が奮闘した。冨田さんはスケーター歴28年。太田さんから受け継いだ、楽しんだ後の周辺の清掃を徹底。横のつながりをつくって、滑り方やマナーを教えてきた。
 プロを目指したときもあったが、挫折を味わった。それでも、スケートボードが大好きで、練習に打ち込んだ学生時代の思い出が、冨田さんを支えてきた。「スケートボードのおかげで今の自分がある。恩返しがしたい」と語る。
 念願だった専用広場建設が決まり、専門家として設置する遊具や路面の素材について市に助言。幅広い層が安全に、かつ楽しめるよう知恵を絞った。冨田さんによると、広場の完成に伴いスケートボードを始める人も増えたという。「佐世保のスケートボード文化の流れを止めないように、今後も利用者が安全に滑ることができる環境づくりに努めたい」と語る。
 太田さんや冨田さんらが育んできたこのストリートスポーツは、さまざまな人の“居場所”になっていると感じた。

「佐世保のスケートボード文化の流れを止めないようにしたい」と語る冨田さん=佐世保市、スケボーエリア

© 株式会社長崎新聞社