懸命に生きる息子の姿 一日一日が大切な時間に

【連載】大空といつまでも 医療的ケア児と家族の物語<5>

©株式会社長崎新聞社

心実さんと心晴さんが大空君のために作った小物と、心実さんからの手紙

 2016年3月22日午後2時48分、18トリソミーの出口大空(おおぞら)君は誕生した。体重1680グラム、身長40.0センチ。予定日より2週間ほど早く、体も小さかった。
 「生まれましたよ。おめでとうございます」。横になっている光都子(みつこ)さんはほっとしながらも産声が聞こえず心配だった。数分後、大空君をそばに連れてきてもらったが、血色が悪く目を見開き表情がなかった。
 夫の雄一さんは、新生児集中治療室(NICU)に運ばれる途中の大空君と対面。口元に酸素マスクを当てられていたが、普通の赤ちゃんと変わらなかった。泣いていないのは少し気になったが、「待望の男の子」という喜びが大きかった。
 翌日、光都子さんは手術の麻酔の影響で右足がしびれて立ち上がれなかった。仕事帰りの雄一さんが、車いすに光都子さんを乗せてNICUに連れていってくれた。保育器の中の大空君は酸素を送り込むため口から気管にチューブを挿管され、心電図などのコードが何本も装着されていた。一生懸命生きている姿に涙が止まらない。「大空、頑張れ。お母(かあ)よ」
 光都子さんは1週間ほどで退院した後も毎日、冷凍した母乳が入った専用パックを持って通院した。雄一さんも仕事帰りに必ず病院に寄った。休日に次女心晴(こはる)さんのドッジボールの遠征で帰りが遅くなり、面会時間が10分しかなくても大空君に会いに行った。いつ状態が急変するか分からず、一日一日が大切な時間だった。
 大空君は体重が2千グラムになった生後2カ月で気管切開の手術をし、そこから人工呼吸器で酸素を送り込むようになった。口から気管挿管されていた時はそのチューブを誤って抜かないよう、両手をガーゼで巻かれていたこともあった。だが呼吸器の太いチューブなら喉元から抜けても、光都子さんが装着できる。大空君は手や口を自由に動かせるようになり母乳を飲む量も少しずつ増えていった。残った母乳は鼻から胃に通したチューブにシリンジで入れた。
 3カ月を迎えたころ、中学1年の心実(ここみ)さんと小学5年の心晴さん姉妹は、笑顔などを刺しゅうした小物と手紙を大空君にプレゼントした。「いつもがんばってくれてありがとう。じまんの弟だよ。世界一強い大空だよ」(心晴さん)。「家に帰ってきたら、たくさんだっこして、お世話するからね。いっぱい遊ぼうね❤まってるよ」(心実さん)
 大空君と一緒に暮らすため、まずは光都子さんがさまざまな「医療的ケア」をできるようにならなければならなかった。