世界を目指した角川映画「復活の日」新型コロナウイルスで再注目!

1980年 6月28日 角川映画「復活の日」が劇場公開された日

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テオ・マセロの旋律、女神のようなジャニス・イアンのヴォーカル

人類は死滅した。1982年の秋、細菌兵器 MM-88 により南極大陸に 863人の人々を残して――

そして、南極大陸の美しい氷の世界に祈るような歌声が流れる。

 What’s the time
 Where’s the Place
 Why the line
 Where’s the race
 Just in time
 I see your face
 Toujours gai mon cher

雄大な氷山を背景に巨大な原子力潜水艦が浮上、姿を現す。ジャズ、フュージョンで鳴らしたプロデューサー、テオ・マセロが作り上げた旋律がジャニス・イアンのやさしい女神のようなヴォーカルに見事にハマっていた。

映画「復活の日」 原作:小松左京、製作:角川春樹、監督:深作欣二

1980年に公開された映画『復活の日』は角川春樹が世界を見据えハリウッドスターを贅沢にキャストに配して作り上げた超大作。草刈正雄を主演に据え、ボー・スベンソン、オリビア・ハッセー、グレン・フォードらが出演した。製作費は24憶5,000万円、チリ海軍、カナダ国防軍の協力を得てアラスカから南極までアメリカ大陸を横断し撮影され、その撮影日数は200日を超えるものだったという。

撮影中に監督の鶴の一声で主演女優マリリン・ハセットが降板させられたり(オリビアに交代)、南極で出演者・スタッフを乗せたリンドブラッド・エクスプローラ号が座礁するなどトラブルが続いたが、深夜に及ぶ撮影は当たり前、別名「深夜作業組」と呼ばれた屈強な “深作組” である。この超大作は監督・深作欣二なしでは完成し得なかったのではないだろうか。

さらに原作は SF界の重鎮、ベストセラー作家の小松左京―― 64年にこの長編小説を発表すると、70年代に『日本沈没』『エスパイ』といった作品が次々と映画化され一大ブームを巻き起こしていた。小松と角川書店との付き合いは75年、『野性時代』5月号に『岬にて』が掲載されたときからである。33歳で社長に就任したばかりの角川春樹が、(古典など文芸路線の)角川文庫をエンタテインメント路線へと方向転換したい、ついては『復活の日』を是非入れさせてほしいと電話したのがきっかけであった。

かつて10代だった春樹少年が原作と出会い同作にのめり込んでから16年の月日が経っていた。

作品のリアリティを支える小松左京の緻密な構成力

映画『復活の日』のストーリーは1982年の冬から始まる――

東ドイツの陸軍細菌研究所から新種の殺人ウィルス MM-88 が持ち去られた。これがスパイの手に落ち、小型飛行機でアルプス越えをする矢先、操縦を誤り山に激突、ウィルスは飛散してしまう。0℃を越えると猛烈な毒性を発揮し、春が訪れたソ連・カザフ共和国では羊が集団死、続いてイタリアで新型インフルエンザと誤認され人々への感染が始まった。

MM-88 は「イタリア風邪」と呼ばれ、日本、アメリカ、欧州を中心に世界全土に感染拡大(パンデミック)を引き起こしていく。驚愕の致死率に成す術もなく人類は滅亡寸前まで追い込まれ、唯一の希望は南極大陸に残された各国の南極越冬隊の生存だけであった――

小松左京は、南極越冬隊の初代隊長・西堀栄三郎氏に取材した際、「小松君、南極に行くと寒いからカゼをひくと思うだろう。でもインフルエンザは治ってしまうんだぞ」南極には雑菌がないから重症化しないと聞き、それが作品のアイディアになったと語っている。

小松はこれ以外にネビル・シュートの小説『渚にて』、カミュの『ペスト』をはじめ、ロンドンの研究所からペスト菌が漏れ出てニュースになった事件などを元ネタとし、京都大学ウィルス研究所所長であった東昇の『ウィルス』といった著書、さらには当時知り得る限りの科学論文を読みまくり、頭の中で論理的に科学的シミュレーションを繰り返した。要するにその類い稀な作家としての緻密な構成力が『復活の日』の作品としてのリアリティを支えている訳である。

そのせいだろうか。原作を読み映画を観た僕たちは中国やイタリアでの新型コロナウィルス(COVID-19)の感染状況を知る度に「チベット風邪」「イタリア風邪」というワードをいちいち思い起こすのだ。

この作品はそうした現実味をずっと前から僕たちの心の細胞に撒き続け、危機意識を植え付けていたのである。

サントラは一流プレイヤーが集結! チック・コリア、スティーブ・ガッド、ロン・カーター、デビッド・サンボーン、渡辺香津美…

さて、ここで音楽の話をしたい。1980年2月21日正午、マンハッタンの CBSスタジオではマイルス・デイヴィスを育てたテオ・マセロが指揮を執り、チック・コリア(ピアノ)、スティーブ・ガッド(ドラム)、ロン・カーター(ベース)、デビッド・サンボーン(ギター)、デイブ・バレンティン(フルート)、ジョン・ファディス(トランペット)、ルーベンス・パッシーニ(パーカッション)といった超一流プレイヤーが集結。日本からは当時若手ナンバー1と言われたギタリスト渡辺香津美が参加、入念なリハーサルを始めていた。

午後7時を過ぎると、ジャニス・イアンとニューヨーク・ストリングスがスタジオ入り。翌日のレコーディング本番に向けての音合わせへと場は移っていった。ジャニスの歌のイメージに合わせてテオが総勢60名を越える演奏陣に細かい指示を出すと即座にプレイヤーたちが反応する。渡辺香津美の印象に残るギターの響きが、ジャニスの歌声に見事に溶け込んだ。渡辺が大ヒットアルバム『TO CHI KA』(80年3月録音)をリリースする直前、ノリにノッていた時期の仕事でもあった。

「世界に通用する内容、映画を離れても音楽そのものが高い価値を持つように」

それがプロデューサー角川春樹からの注文だった。こうして総額8,000万円をかけた映画のサウンドトラックが完成、主題歌「復活の日のテーマ ユー・アー・ラヴ」は国内で大ヒットを記録した(オリコン最高位10位)。

後に映像ソフトに収録されたオーディオ・コメンタリーで深作欣二監督が「懐かしいな。ジャニス・イアン」と思い出を語り始めた。すると即座に「この歌はいいですよね!」と撮影技術のスタッフたち―― ここで「いい歌だったねぇ」と監督は話を続けようとするのだが、「監督、最初(こんな曲)使えるか! と言うてた。ハハハ」と最後にバラされてしまうオチがついていた。

パニック映画の定番を覆す大人のラブソング「ユー・アー・ラヴ」

だが当初、監督がそう思ったのも仕方のないことだったのかもしれない。それまで内外のパニック映画では――『日本沈没』(73年)、『ノストラダムスの大予言』『大地震』(74年)、『カサンドラ・クロス』(76年)、『メテオ』(79年)然り、そのメインテーマのほとんどが内容に即して “不安” を煽るものか、災害や事故に至るまでの “静けさ” を表現したものというのが定番だった。『復活の日』で洗練された大人のラブソングが使われたことは、僕たちのような観客にとっても意外な出来事だったのである。

それはさておき、『復活の日』のサントラに世界レベルの力を結集させていたのは確かだ―― 人類の終末と復活を描く作品にふさわしいスケール感には脱帽するしかない。作品タイトルを『滅亡の日』ではなく『復活の日』にした原作者・小松左京の祈りとも取れる内容に仕上がっている。 ストーリーの核となる男女の愛をテーマにジャニス・イアンが書いた詞も素晴らしく、自分が今までに聴いた中でも記憶に残る印象的な曲の一つであったことを付け加えておく。

そして今、新型コロナウィルスの感染終息と世界の復活を祈りながら、そっとジャニスの美声に耳を傾けてみるのも一興だろう。

カタリベ: 鎌倉屋 武士