1年生存10% 極限の日常に垣間見た喜びと希望 【連載】大空といつまでも 医療的ケア児と家族の物語<8>

大空君が頭に付けているターバン式の骨伝導補聴器=長崎市内

 18トリソミーの出口大空(おおぞら)君の母親光都子(みつこ)さんは、大空君が1歳を迎えるまでは不安の連続だったという。「1年生存率は10%未満」という情報が頭から離れなかったからだ。
 2016年8月、てんかんのけいれん発作で2週間入院。自宅に戻った後もけいれんは止まらず、酸素量を増やしたり座薬を入れたり。体重が増えすぎて心臓に負担が掛からないよう一日の母乳やミルクの量は決められていたが、空腹で泣きやまないときは長崎大学病院に電話して主治医に判断を仰いだこともあった。
 大空君は声が出せないため、光都子さんは絶えず気を配っていなければならない。呼吸回数や吸気量など人工呼吸器モニターの数値を頻繁にチェック。呼吸器の回路に付く水滴も誤って気管に入らないよう取り除かなければならない。2階を掃除する時は壁にある小さい扉を開け、1階のベッドに寝ている大空君の様子を確認しながらだった。夜は添い寝をしても熟睡はしておらず、大空君が動くとパッと目が覚めた。
 ある日、自宅に遊びに来ていた友人が帰る際、大空君が眠っていたので駐車場で5分ほど立ち話をした。見送って玄関に入った瞬間、小刻みに鳴り響くモニター音が耳に飛び込んできた。慌ててリビングに戻ると大空君は顔をゆがめて青ざめており、酸素飽和度の数値が極端に下がっていた。「ごめーん」。たんがつまり息苦しくなっており、慌てて酸素量を上げて吸引した。
 一つのミスが命取りになりかねない。そんな極限状態の中でも大変なことばかりではない。一瞬一瞬を大切に生きるからこそ、ささやかな日常に大きな喜びを感じる時があった。
 大空君は両耳が難聴。視力もどこまで見えているのか分からず、目の前で光都子さんが声を出しながら手遊びなどをしても無表情だった。生後11カ月の時、大学病院で鼠径(そけい)ヘルニアと胃ろうの手術をし、頭に巻くターバン式の骨伝導補聴器も付けた。最初は違和感からか耳に入る音に顔をしかめていた。少しずつ慣れてきたころ、光都子さんが声を出して「いないいないばあ」をすると、初めてにこっと笑った。光都子さんは涙が止まらなかった。
 「大空と一緒にいられるのはあと少しなのかな」。1歳の誕生日が近づくにつれ不安が募った。だが目前に迫ると「1歳は超えられる」と確信に変わり、無事に誕生日を迎えた。「1年間生き抜くことができた。これからもっともっと長い時間一緒にいられる」。光都子さんは肩の重荷が急に取れたように感じた。

【次回に続く】
※この連載は随時更新します。

 


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