被爆者運動の「歩み」後世へ 長崎県内の研究者グループ 保管資料をデジタル化 4月調査着手

長崎被災協の事務所で資料を確認する研究者グループのメンバーら=長崎市岡町

 核兵器廃絶や被爆者援護を訴えてきた被爆者運動に関する膨大な資料の調査に、県内の研究者グループが着手する。運動の実態を知る日誌や議事録などはほぼ未整理のままで、廃棄や散逸も懸念されている。4月以降、被爆者団体の一つ、長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)が保管する資料の調査を開始。目録作成や資料のデジタル化に取り組み、研究資料として後世に残す考えだ。
 グループは、長崎総合科学大の木永勝也准教授、「長崎の証言の会」の山口響編集長、長崎大の四條知恵客員研究員、「長崎の戦後史をのこす会」の新木武志代表ら。
 事前調査で、1956年に発足した長崎被災協の事務局日誌や評議員会議事録、会計帳簿をはじめ、歴代会長の山口仙二氏、谷口稜曄(すみてる)氏、杉本亀吉氏(いずれも故人)らが収集した資料などの現存を確認した。これらの資料は段ボールなどに詰め込まれ、長崎被災協の事務所や地下会議室に眠っているという。
 グループは4月以降、週1回程度集まり、長崎被災協の保管資料を調査する。資料を分類してリスト化したり、画像データ化して保存したりして、今後の研究資料にする考えだ。
 資料総数は1万点超とみられ、来年3月までに大まかな目録を作成する方針。その後、4~5年間かけて全体の整理を進める計画という。取り組みは昨年、三菱財団(東京)の助成事業に採択され、活動資金として約170万円の助成を受けた。
 被爆者の資料は原爆投下前後の証言や手記が多く集められてきたが、被爆者運動の成立を裏付ける資料は比較的少ないとされる。近年は被爆者の高齢化で、本人や遺族が処分するケースも増えているとみられる。
 山口響氏は「資料は意識しないと保存されない。本人や家族は大した物ではないと思っていても、貴重な資料はあるはずだ」と指摘する。
 調査では長崎被災協の資料に加え、「長崎の証言の会」創設者の故鎌田定夫氏の関連資料や、「車いすの被爆者」として国内外に被爆の実相を発信した故渡辺千恵子氏の遺品なども対象とする。
 長崎被災協によると、これまでに資料を本格的に整理したことはないという。横山照子副会長(78)は「古い時代を知る会員が少なくなった今、被爆者がどんな思いで運動を続けてきたのかを記録で残すことは大切」とグループの取り組みに期待している。

長崎被災協の地下会議室に保管されている資料=長崎市岡町

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