EUは未来を見つめる ブレグジットを見送った側の言い分

By 佐々木田鶴

 ブリュッセルでEU加盟国の旗の列から外される英国旗(右)=1月31日(AP=共同)

 「僕のファミリーはバラバラになるの?」

 1月31日、7歳のシメオン君が心細そうにつぶやいた。パパは英国人、ママはベルギー人。家族は欧州大陸側のベルギーに住むが、親族や友人は英国にも多く、家族は頻繁に列車で海峡を渡るからだ。

 この日、英国がついに欧州連合(EU)を正式離脱した。ブレグジット(英国のEU離脱)は英国を大きく混乱させただけでなく、他のEU加盟国にもさまざまな影響を与えた。日本ではあまり報じられることがない「大陸側のEU市民」がブレグジットをどう見ていたのかについて伝えたい。(ブリュッセル在住ジャーナリスト=佐々木田鶴)

 ▽迷走

 そもそもブレグジットは始めから終わりまで、不可思議だった。

 まず、国民投票前に離脱派の政治家らが説いた公約に事実誤認が多く含まれていた。代表例が、大きな争点となった医療費財源や移民対策に関するものだった。

 ブレグジットにより、英国はEUへの分担金を支払う必要がなくなる。離脱派は浮くことになる週3億5千万ポンド(約480億円)を医療費に回すと繰り返し主張したが、実際に医療費へ回せるのは週1億ポンドと大幅に下方修正。同派の中心人物の英独立党ファラージ党首(当時)は国民投票直後に「間違いだった」と発言を撤回した。

 EU域内から英国に来る移民問題についても、離脱派は加盟候補国のトルコがEUに加われば大量の移民がやって来ると不安をあおり、EU離脱しか抑制の方法はないと声高に主張した。しかし、国民投票後、離脱派は「EU域内からの移民はゼロにならない」や「誤認がある」などとして、あっさりと〝修正〟した。

 離脱派に投票した人からは後悔の声が上がり、反対派は反発を強めた。英国議会も煮え切らない議論を繰り返すばかりで、方向性を打ち出せなかった。議会制民主主義が生まれた英国が見せた迷走ぶりにはあきれるばかりだった。

英国会議事堂周辺で、EU離脱に反対する男性=1月30日、ロンドン(共同)

 ▽外敵

 離脱決定後から英国のボリス・ジョンソン首相は「フランスのチーズやドイツの車に高関税をかける」や「カナダと同程度の好条件をよこせ」と威勢がいい。だが、EUに加盟する27カ国は7年間にわたる次期予算の調整に大わらわで、脅しのようなメッセージに取り合っている余裕はないのが現実だ。

 為政者が外敵を作り出して「悪いのはあいつらだ」と指さすことで自身への支持を高めようとするのはどこの国でも見られる。アメリカがイランを、日本が北朝鮮を「敵」と見立てるように、英国の政治家はEUを格好の「外敵」に仕立てあげた。いつのまにか職場や地域に目立つようになった外国人(主にポーランド人やリトアニア人)を不快に思っていた英国の労働者たちは「悪いのはEUだよ」とアピールした離脱派とそれを巧みに利用した保守党に票を入れた。

指でつくったハートマークでシメオン君が囲んだ絵には、EU旗と英国旗が寄り添うように描かれている(C)Sophie Mairiaux

 一回の国民投票とそれに伴う一過的な政争で、約50年の間に積み重ねられてきた法秩序はあっさりとひっくり返されてしまった。結果、英国と欧州の両方に根をおろして生きてきたシメオン君のような子どもや若者たちは混迷し不安に陥った。そんな事態を招いた英国とEU加盟国の大人たちの責任は重い。

 ブレグジットをきっかけにEUにはドミノ現象が起こるのでは? 日本のNHKが海外向けに制作している「NHKワールド」が制作した「グローバル・アジェンダ」シリーズという討論番組でのこんな問いかけに、ドイツ選出の若手欧州議会議員ダニエル・フロインド氏は次のように答えた。

 「とんでもない、ブレグジットによって、残る27加盟国の結束や仲間意識が返って強まったと感じます。気候変動危機への対策のような政策で世界をリードすれば、ヨーロピアン・アイデンティティーの強い欧州の若者が担うEUの将来は楽観的です」

 ▽忘れ去られる過去

 EU離脱をかけた国民投票が行われたのは16年6月23日。今から49年前の同じ日、英国はEUの前身である欧州共同体(EC)への加盟が承認された。英国はこれ以前にもEC加入を試みたが拒否されていただけに、国としての念願がかなった瞬間だった。

 1971年6月23日のEC加盟を現地で取材したジャーナリストの伴野文夫氏は著書の中でこう記している。「(加盟決定の瞬間、16年6月23日の国民投票と)同じように歓喜の叫びをあげて抱き合うイギリス人の姿があった」。

 正式な加盟は批准手続きなどを経た1973年1月1日なので、71年6月23日を記憶する人は少ない。だが、英国民が二つの歴史的決断を下した日が重なっていることに筆者は因縁を感じる。

 EUに新規加盟する国は、EC時代も含めて積み上げてきた法体系(アキ・コミュノテール)を全て受け入れることが条件となっている。EUでは通商だけや教育だけといった「チェリーピッキング(いいとこ取り)」は許されないのだ。当然、英国もこれを承諾している。

 他のEU加盟国に映るブレグジットをゲームかスポーツに例えるなら、次のように感じに近い。ルールに従うと宣言してようやく後から参加し始めたのに、都合が悪くなると「ルールが気に入らない」と怒って勝手にやめていった…。

 英国は同じアングロサクソン国家であるアメリカとの縁が元々深い。さらに、大英帝国時代の旧植民地諸国とも親密な関係を保ち続けたいと考えている。英国の振る舞いからは自国本位ともとれる本音が常に見え隠れしてきた。EUに加盟していた半世紀の間、多くのEU法から自国だけは適用除外(オプトアウト)されることを求め、EU内ではパスポートなしでの自由な移動を認める「シェンゲン協定」にも、共通通貨のユーロにも加わらない。

 そんな英国について「片足はいつも外においたままだった」と指摘するEU関係者は少なくない。

 オリンピックのような国を挙げたイベントにしても、戦争のような負の遺産にしても「集団的記憶」というものは、法律など一定の強制力を伴う制度を使って懸命に守らない限り忘れ去られる。そして、歴史が繰り返されることになる。EC加盟時に国民を包んだ歓喜の記憶も、50年を経て英国政府からも市民社会からも色あせていたのだろう。

ロンドンの国会議事堂近くの広場で、英国のEU離脱を喜ぶ人たち=1月31日(ロイター=共同)

 ▽独裁者ではない

 ところで、EUと聞いてどのようなイメージを抱くだろうか? 多くの方は「関税同盟」や「単一市場」などといった経済的なつながりが頭に浮かぶのではないだろうか?

 欧州に駐在した経験のある人やジャーナリストを名乗る人でも、EUを国連のような国際団体だと思っている人が多い。それゆえ、EUの主要機関や立法・行政・司法のしくみを正確に説明できる人はそうはいない。

 EUの行政機関である欧州委員会には、通商や金融以外に農業や漁業、産業、環境、教育、消費者、外務など幅広い政策分野を管轄する34もの総部局がある。総部局とは日本の省庁に相当する行政組織のこと。その他にも議会や理事会、裁判所など多くの機関があるが、EUという独裁者が支配しているわけではない。

 法案は原則として欧州委員会が起草するが、市民団体の意見は反映されるほか議会や理事会での審議によって何度でも加筆修正される。真剣勝負が繰り広げられる議論の場では居眠りも、論点をすり替えるいわゆる「ご飯論法」も、品のないヤジも、「強行採決」も起こりえない。

 ▽移民・難民問題への誤解

 EUにとって最も重要なのは、EU市民の権利を守ることだ。ポーランド選出の欧州議会議員で、かつて、初の女性欧州委員を勤めた実績のあるダヌータ・ビュブネルさんは、テレビ番組で「ブレグジットは、EUの原点を見直す機会となった」と語った。そして、二度の大戦の経験から築かれたEUは―国家のご都合主義やビジネスの損得ではなく、「市民一人一人の自由の権利」に重きを置いていると強調した。

 EU加盟で得られるメリットは、日常生活の空気のように生活の隅々にいきわたっていて気づきにくい。だが、最低賃金やワークライフバランスは高い水準に引き上げられているし、大学教育はほとんど無償。警察や検察に捕まっても取り調べに弁護士が立ち会えないとか、代用監獄や入管施設に期限なく収容されるなどということはEU内では起こりえない。

 2015年以降、シリアなどから欧州へ難民や移民が大挙してやってきた。これがブレグジットの引き金の一つとなったと誤解している日本人が多いのにも驚いてしまう。

 英国民が不快に感じたのは、EU加盟国から英国に移り住んだ「合法的移民」だ。しかし、EUのルールではEU内の加盟国に転居することは市民の権利として保障されている。どんな理由であっても、市民に対し「(母国へ)帰還せよ」と促すようなことはあり得ないのだ。

ベルギーに住む英国籍の男性はブリュッセルで受けたインタビューに対し「私はEU市民」と誇らしげに語った(C)Taz

 ▽自国第一主義

 英国のEU脱退が国際連盟を脱退した1993年の日本に重なって憂鬱(ゆううつ)になるのは、筆者ばかりではないはずだ。国際連盟は第1次世界大戦の反省を受けて「一国の暴走を抑制する」ために作られた国際的枠組みだった。常任理事国だった日本の脱退は、世界を悪夢の大戦に再び導く引き金になってしまった。

 前述のヒュブナネル議員は、現在のアメリカのことを「自発的内向き国家」と呼んで、こうした自国第一主義の国が増えていると憂えている。地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」から抜けたアメリカに勇気づけられたように、日本は国際捕鯨委員会、英国はEUからそれぞれ脱退。時を同じくして、特定の人々からの得票につながりやすいディールを求める風潮が強まっている。

 英国ではブレグジットを推進した政治家ばかりでなく、市民の多くが「EUは不自由」だと感じた。しかし、EUのような多国間の枠組みには合意までどうしても時間がかかるので不自由さは付きものだ。英国、そして英国国民はこのことを理解した上で加盟していたのではないか。

 今となっては何を言っても遅いが、英国政府には「枠組みにとどまりながら改革する」という選択肢もあったと強く思う。

 ▽また会う日まで

 1月31日、欧州議会では73人いた英国選出議員が議席を抹消された。離脱協定についての欧州側採決が行われた同29日、英国のEU離脱というシングルイシューだけを掲げた「ブレグジット党」の議員29人がユニオンジャックを振りながら退席し、その場に居合わせた議員や世界中の報道関係者、傍聴席の聴衆からひんしゅくを買った。議会場内で、自国の国旗を振りかざすことは禁じられているからだ。

 一方、残留派の英国議員は「必ずいつかここに戻ってくる、英国の若者たちのために」と涙声で語り、満場の喝采を浴びた。開票後には全員が立ち上がり手をつないで「蛍の光」を歌い、肩を抱き合って再会を誓った。日本では、卒業式の歌かのように認識されている「蛍の光」は、国民投票で残留を支持したスコットランドの民謡で「旧友との再会」の歌だ。

 「二度の大戦でこの地(欧州大陸)に多くの血を流してくれた同胞よ。さよならではなく、また会う日までと言いたい」。欧州議会を代表してブレグジットについての声明を出してきた「欧州側ブレグジットスポークスマン」を務めたギ・フェルホフスタット議員はこう言って別れを惜しんだ。

欧州議会で英国の正式離脱が決まった後、「蛍の光」を歌って別れを惜しむ議員ら(C)European Union 2020

 ▽立ち去る者は美しい?

 ブレグジットから2カ月がたった。とはいえ、離脱協定に定められた移行期間に入っただけなので市民生活に変化はない。変わったと言えるのは、欧州議会の議席数と欧州中央銀行や欧州投資銀行(EIB)、欧州原子力共同体(EURATOM)などの構成国くらいだ。

 EUは、EU市民5億人の日常生活にあまりにも広く深く関与している。だから、出ていく側も見送る側もしばらくしてからブレグジットによる影響に気づくのだろう。見送る側のEU加盟国では、ブレグジットを長年連れ添ったカップルの別れの局面になぞらえて語ることがある。いつか別れることを前提に、家や仕事や子どもなどについての分割条件を定めておく恋仲なんてありえない。永遠の絆を誓ったはずじゃないか―と。

 日本人の友人はEU市民の気持ちを中島みゆきの歌に例えた。愛する人に去られた女性がその心情をつづった「わかれうた」だ。

 その歌詞は「立ち去るものだけが美しい」とした後に、「残されて戸惑う者たちは、追いかけて焦がれて泣き狂う」と続く。

 だが、ブレグジットを見送るEU側はすでに未来を見つめていて、追いかけも泣きもしていない。

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