(特集)最高の瞬間 悲願のゴールテープ -1

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宇都宮恵理(えり)選手
第39回全日本実業団対抗女子駅伝大会優勝

大洲市出身の宇都宮恵理さん(日本郵政グループ)は、昨年11月に仙台市で開催された第39回全日本実業団対抗女子駅伝大会(クイーンズ駅伝)において6区のアンカーとして出場し、チームの3年ぶり2度目の優勝に大きく貢献しました。
令和元年度大洲市きらめき大賞を受賞した宇都宮選手に、優勝テープを切った時のエピソードや生まれ育った大洲市での思い出などを聞きました。
(聞き手:二宮市長)

宇都宮恵理さん
平成5年6月17日、大洲市生まれ。平野小学校、平野中学校、八幡浜高等学校を経て大東文化大学へ進学。大学卒業後、日本郵政(株)に就職。現在、日本郵政グループ女子陸上部で活躍中。

■3年ぶり女王の座を奪還
(二宮市長)クイーンズ駅伝の優勝、おめでとうございます。

(宇都宮さん)ありがとうございます。

(二宮市長)優勝テープを切ったときの気持ちは。

(宇都宮さん)ただただ、ほっとした感じでした。前回の大会では、私自身、納得のいく走りができず、チームの順位が振るわなかったため、ここで自分が先頭を譲るわけにはいかないという気持ちでした。チームみんなで頑張った結果、このような形で残せたので、本当に最高の瞬間を味わえたなという感じでした。

(二宮市長)大学や実業団では、なかなかメンバーに入るのも大変だと思いますが、駅伝のメンバーは、当日決定されるのですか。

(宇都宮さん)自分の希望する区間は監督やスタッフに伝えますが、最終的には監督がそれぞれの選手の状態を見て、前日にメンバー発表が行われます。

(二宮市長)メンバー発表があったときの思いは。

(宇都宮さん)私は、ずっとアンカーを希望していたので、やっと走れるという気持ちで、身の引き締まる思いがしました。

(二宮市長)アンカーを希望され、その使命を受けて、ゴールテープを切ることができたのですね。当日は、トップで襷(たすき)を引き継いでのスタートでしたが。

(宇都宮さん)不安と緊張で、ほとんど覚えていないのですが、この1番という順位を無事に競技場に届けるということだけを頭に、後続のことは考えず、必死に前だけを向いて走りました。

(二宮市長)その重圧に勝っての優勝だったのですね。

■走る喜びを感じたきっかけ
(二宮市長)大洲市平野町に生まれて、幼少期を平野で過ごされました。当時はどのような運動や遊びをしていましたか。

(宇都宮さん)みんなで鬼ごっこをしたり、大洲市健康マラソン大会に親と一緒に出場したり、スポーツ少年団でミニバスケットボールをしたり、いろいろなスポーツを楽しんでいました。

(二宮市長)走る喜びを感じ始めたきっかけは、大洲市健康マラソン大会を走られた時とか。

(宇都宮さん)そうですね。小学生のときは、入賞すれば好きなものを買ってもらえるというご褒美狙いで出場していました。すると、意外と速く走れると感じるようになり、それからは少しずつ走ることが好きになりました。

(二宮市長)平野中学校では、陸上専門の部活動はなかったと思います。何部に入ったのですか。

(宇都宮さん)バレーボール部に入部しました。顧問は、体育の中岡靖典(やすのり)先生でした。中岡先生は、冬の駅伝大会に向け、夏の間に、走りの練習を見てくださったので、楽しみながら走ることができました。

(二宮市長)平野中学校はまとまりが良く、陸上を頑張っていて、市の駅伝大会では何度も優勝しています。中岡先生に出会って、より走りに打ち込むようになったのですね。

(宇都宮さん)走ることが好きだと気付かせてくれたのは、中岡先生のお陰です。

■本格的に陸上に取り組む決意
(二宮市長)走るのが一段と好きになったのが中学生の頃なら、高校の進学先も悩んだのでは。

(宇都宮さん)進路は少し悩みました。両親は、大洲高校が良いのではないかと話していました。私は、陸上部として活動をしていたわけではなかったので。

(二宮市長)八幡浜高校への進学は、自分で希望したのですか。

(宇都宮さん)母と相談した際に、「自分の好きな道に進みなさい」と私の気持ちを後押ししてくれました。そこで、八幡浜高校への進学を決意しました。

(二宮市長)八幡浜高校を選んだ理由は。

(宇都宮さん)陸上部のレベルが、県内でトップだったことがあります。また、陸上部顧問の倉田茂(しげる)先生に中学3年生のときに走りを見ていただいて、ぜひ来てほしいと声をかけてもらい、挑戦してみようと思い八幡浜高校を選びました。

(二宮市長)倉田先生は、愛媛県をはじめ、四国でもトップクラスの陸上の指導者ですから、才能を見出していたのでしょうね。

■八幡浜高校での陸上生活
(二宮市長)高校3年生のとき、全国高等学校駅伝競走大会に出場し、都大路を走られました。県大会直前にキャプテンに指名されたと聞きましたがキャプテンを任された時の気持ちは。

(宇都宮さん)その時は、県大会の1カ月前にキャプテンが交代となり、私が指名されました。初めは、何をすればいいのか分かりませんでしたが、チームのみんなが私を支えてくれました。そこで団結できた感じがして、都大路につながったと思うので、自分ひとりの力ではなかったなと今でも思っています。

(二宮市長)その年は、済美高校も強かったですよね。

(宇都宮さん)済美高校が全国へ行くと言われていました。しかし、私たちの方が強いということを、みんなに言い聞かせて頑張っていました。

(二宮市長)キャプテンとして仲間を鼓舞していたのですね。八幡浜高校で倉田先生のもと、厳しい練習を乗り越えてきたと思いますが、印象に残っている言葉はありますか。

(宇都宮さん)倉田先生が話していた「継続は力なり」という言葉が印象に残っています。小さいことでもコツコツと続けることで、大きな成果になって形となって現れるから、すぐに投げ出しちゃいけないよと教わりました。私の中に今でも残っている言葉です。