再調査でなく自死に向き合う新調査を 赤木さんを2度見殺しにした財務省 森友学園事件

By 佐々木央

 

3月27日の参院予算委。首相も財務相も赤木さんの自死に深く思いを致している様子はない

 「私の夫、赤木俊夫がなぜ自死に追い込まれたのか。有識者によって構成される第三者委員会を立ち上げ、公正中立な調査を実施して下さい!」

 2年前に自死した近畿財務局の職員、赤木俊夫さんの妻がネット上で署名活動を始め、多くの賛同を集めている。私もその呼びかけにもろ手を挙げて賛成したい。言いたいことはそれに尽きる。だから、ここでキーボードを打つ手を止めてもいいのだが、それでは意が伝わらないかもしれない。

 安倍首相や麻生財務相はなぜ、かたくなに調査を拒否するのか。2人が国会や記者会見で述べている理由をみると、赤木さんが書き残した手記と、2018年6月に公表された財務省の調査報告書との間に「大きな齟齬はない」「大きな乖離はない」ということに尽きるようだ。

 赤木さんの手記は「すべて、佐川理財局長の指示です」と述べる。スクープした週刊文春も、それを一番の見出しに掲げて、首相や財務相に突きつけた。一方、財務省の報告書は佐川氏について「改ざんの方向性を決定付けた」と結論し、明白な指示は認めなかったものの、責任を問うた。表面上の文言だけでなく、実質的な指揮・支配を重くみたともいえる。

 そう考えると、「すべて指示」と「方向性を決定付ける」との違いは、そう大きな齟齬ではないと評価することも、ぎりぎり可能かもしれない。

 実は、このたび財務省の報告書を読み返して、かなり驚いた。赤木さんの手記に背反しない範囲で事実をまとめ、表現しているようにも読めるからだ。遺族や内部の誰かが後になって“告発”しても、報告書の骨格が崩れないように、限界まで防衛線を下げているようにみえる。

 赤木さんや赤木さんの部下たちの抵抗についても、具体的ではないが、無視せず記載している。その点でも、なんとかバランスを保っているようだった。

 そこで百歩譲って、首相や財務省のように、大きな齟齬がないという立場に立ったとして、それでも調査を求める理由を述べたい。それは結果として「大きな齟齬がない」という評価への、本質的な反駁になるはずだ。

 安倍首相や麻生財務相がすがる財務省報告書の文書名は「森友学園案件に係る決裁文書の改ざん等に関する調査報告書」である。タイトルはこの調査に対する自己規定であり、自ずから限界があることを示している。つまり調査目的は、決裁文書の改ざんがなぜ、どのようになされたか、誰にどれほどの責任があるのかを究明することなのだ。すべての事象は、その目的との距離によって取捨選択される。

 報告書の公表は赤木さんの自死から3カ月後の6月4日だが、彼の死には一切触れていない。頭のいい財務官僚はこう考えたのだろう。文書改ざんという課題に対するリポートで、職員の死に拘泥してはならない。それはテーマを逸脱する。試験で設問以外のことを書いたら、点をもらえないか、減点されてしまう。

 報告書が、その課題に対する回答としても不十分であるという批判は、公表の時点からなされ、私も同じ考えだ。だが、赤木さんの手記が公表されたいま、求められているのは、同じテーマに対する再調査ではない。

 赤木さんの妻によるネット上の署名活動のタイトルに、それは端的に示されている。「私の夫、赤木俊夫がなぜ自死に追い込まれたのか」

 そう、誰がどのように死に追いやったのか。どうしたら彼が生き永らえて、彼らしい仕事を続けることができたのか。それを突き止めなければならない。

 財務省の調査は「大きな齟齬がない」どころか、人の命を奪ったという事実そのものに目を背け、赤木さんを再度、殺しているに等しい。やるべきは再調査ではなく、全く別の調査である。調査目的が異なるなら、ディテールを含めて同じ事実にも違った光が当たり、違った様相が見えてくるに違いない。

 調査を拒み続ける首相は、赤木さんの死と手記や遺書をどのように受け止めているのか。共同通信が3月23日に配信した「参院予算委論戦のポイント」から抜粋する。最初の福山哲郎さんの質問には、遺書の読み上げも含まれているが、記事では割愛されている。

自ら命を絶った赤木俊夫さん(遺族提供)

 福山哲郎氏(立民) 財務省職員が自殺した。

 首相 本当に胸が痛む思いであり、改めてご冥福をお祈りしたい。麻生太郎副総理兼財務相の下、事実を徹底的に調査し、明らかにした。もとより改ざんはあってはならず、今後二度とこうしたことのないよう再発防止を徹底していく。国民の信頼を揺るがす事態となってしまったことに対し、行政の長として大きな責任を痛感している。改めて国民におわび申し上げたい。

 答弁のキーワードを拾うと、「胸が痛む思いで」「ご冥福をお祈り」するけれど、すでに財務省が「事実を徹底的に調査し、明らかにした」。もとより「改ざんはあってはなら」ないので「再発防止を徹底」する。「行政の長として」「責任を痛感し」「国民におわび」する―という流れだ。

 彼は赤木さんの死の前で、一度は神妙な顔をしてみせるが、直後に事実は調査済みだとして「何もしない」意思を明確にする。そして問題を公文書改ざんにすり替え、行政全体を統率する立場として、国民に謝罪するのだ。

 そこには赤木さんの苦悩に対する想像力も、遺族への共感も存在しない。それゆえ、赤木さんにも遺族にも謝罪はない。謝罪の気持ちをにじませるような言動も一切ない。このとき、福山さんは「こんな場面で官僚が書いた紙を読むんですか」と怒っている。

 安倍首相と麻生財務相はまず、赤木さんの遺族や友人に直接、面会してはどうか。

 森友学園事件の中で、ひとりの人間が自ら命を絶った。彼はもっぱら、あなたたちの「配下職員」(財務省報告書)だったわけではない。ある人たちにとっては、夫であり、息子であり、同僚であった。その人たちは、喪失の悲しみや怒り、絶望に苦しんできた。その心情に直面してみてはどうか。

 そうすれば、半歩でも近づくことができるはずだ。何がこの篤実で真っ直ぐ人を追い込み、誰が死に至らしめたのか、本当のことを知りたいという気持ちに。(47NEWS編集部、共同通信編集委員佐々木央)

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