トルネード左腕が母校へ 甲子園春夏優勝投手の島袋 プロから、指導者へ挑戦

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「経験を伝えていきたい」と語る島袋洋奨さん=豊見城市・豊崎美らSUNビーチ

 新生活が始まる4月、かつて沖縄を熱狂の渦に巻き込んだトルネード左腕が母校に帰ってくる―。昨年末にプロ野球ソフトバンクから戦力外通告を受け、現役を引退した島袋洋奨さん(27)=興南高―中央大出=が、興南学園の事務職員として社会人生活をスタートさせる。「お世話になった場所。何か役に立てることがあれば」と、後輩への指導を思い描く。

 きっかけは今年1月、我喜屋優監督から掛けられた言葉だった。「お前の意思を聞かせてほしい」。現役を引退し、帰郷していた島袋さんは「指導者としての道を歩む気持ちはあるのか、という意味だったと思う」と振り返る。

 プロになった頃からぼんやりと描いていた、セカンドキャリアでの指導者の世界。左肘手術も経験して育成選手となってからは、いつしか明確な目標へと変わっていた。「少なからずいろいろと経験してきた。同じ境遇の子もいるのでは。何らかの手助けになりたい」と迷いなく即答した。

 輝かしい栄光も、苦悩の日々も味わった現役生活だった。興南高3年だった2010年、エースとして甲子園春夏連覇を達成。だが、中央大3年からは制球難に悩まされた。14年のドラフト会議でソフトバンクから5位指名を受け、うれし涙を流した。

 5年間のプロ生活を振り返った時、「悔しい思いしかしていない」とも思う。それでも「目指している人全員が行ける場所じゃない。幸せな時間だった」と語る表情は晴れやかだ。

 15年9月、1軍初登板となったロッテ戦は最も印象に残る。「とにかく緊張した。内川聖一さんが最後に捕ってくれたのははっきり覚えている。初三振はデスパイネからでしたね」。記念のボールは実家に保管されている。

 制球難の不安はプロでもつきまとったが、プロ最後の年となった19年は「考えすぎずに久しぶりに野球がやれた」1年だった。目の前の結果にこだわりながらも、難しく考えすぎずに野球を楽しむことができた。

 興南では事務職員として勤務しながら、教員免許の取得を目指す。学生野球資格回復研修などを受けて認定されれば、球児の指導ができる。

 紆余(うよ)曲折を経て「沖縄に何か返すべきものがあるんじゃないかと、ずっと考えてきた」と挑戦する指導者への道。次代に経験を伝えることが、島袋さんにとって一番の沖縄への恩返しとなる。

(運動部・我喜屋あかね)

史上6校目の春夏連覇を達成し、捕手・山川大輔さんと抱き合う島袋洋奨さん(左)=2010年8月21日、甲子園
ソフトバンクの春季キャンプで、ブルペンで投げ込む島袋洋奨さん=2017年2月、宮崎市生目の杜運動公園