法的根拠なき「緊急事態宣言」が脅かす民主主義国家

安倍政権が国民のために今すぐやるべきこと

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尾中 香尚里

ジャーナリスト

尾中 香尚里

ジャーナリスト

福岡県生まれ。1988年に毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、2019年9月に退社。共著に「枝野幸男の真価」(毎日新聞出版)。

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参院決算委で、麻生財務相(右)と言葉を交わす安倍首相=1日午後

 もういっそのこと、緊急事態宣言を出した方が、まだ「まし」なのではないか。

 新型コロナウイルスの感染拡大に対する安倍政権の一連の対応を見ていて、最近そんな思いを強くしている。国民の私権を積極的に制限したいわけではない。だが現状は、法的根拠も伴わないのに、国や自治体の行政トップが、議会の意見も聞かずに記者会見などで恣意的な「私権制限」をバラバラに打ち出している。事実上の「緊急事態宣言状態」が既成事実化しているのだ。それが社会や経済に大きな混乱をもたらし、多くの人たちを社会的、経済的に追い詰めつつある。

 こんなことが常態化すれば、法治国家としての基盤が崩れてしまう。ならばいっそのこと、政府が緊急事態宣言を出して私権制限に法的根拠を持たせ、国の責任を明確にした上で、同時に私権制限に対する補償の方針を国民に向けてしっかりと打ち出す方が、民主主義国家としての健全性を保てるのではないか。(ジャーリスト=尾中香尚里)

 ▽与野党のコンセンサス得やすい緊急事態宣言

 緊急事態宣言をめぐる議論について、当初から違和感を覚えていたことが二つある。一つは「強権発動に積極的な政府・与党」vs「基本的人権を制約する観点から反対する野党」という構図で、物事が語られていること。もう一つは、緊急事態宣言の発令が「戦後これまでになかった強い強権発動」と喧伝されていることだ。 55年体制の昔から、特に憲法改正の議論などにおいて、与野党の対立は前述したような構図で語られることが多かった。単純で「座りの良い」構図なのだろう。

 しかし、55年体制の崩壊から四半世紀あまりが過ぎ、この間に野党議員の多くが政権与党を経験した。巡り合わせとはいえ、国の大きな危機への対応については、むしろ野党側の方が多くの経験を持つ。

 例えば、阪神・淡路大震災(1995年)の時は社会党の村山政権。東日本大震災(2011年)の時は民主党の菅直人政権だった。自民党は阪神・淡路大震災の時は与党として政権に参画していたが、東日本大震災では野党だった。

 印象深いのは東日本大震災だ。当時の菅政権は、特に東京電力福島第1原発事故に対処する過程で、住民保護のためにかなりの強権を発動せざるを得なかった。

福島第1原発で、東京電力幹部らから説明を受ける菅首相(左から2人目)=11年3月12日午前、福島県大熊町(内閣広報室提供)

 東日本大震災の発生から5時間もたたない2011年3月11日午後7時3分、政府は原子力災害対策特別措置に基づき原子力緊急事態宣言を発令した。津波によって原発の冷却機能が失われ、炉心溶融(メルトダウン)の恐れが生じたためだった(この原子力緊急事態宣言は今なお解除されておらず、実は日本は現在も「緊急事態」のただ中にいる)。

 政府はこの宣言に基づき、原発から半径20キロ圏内の住民に避難指示を出した。一時は半径30キロ圏内の住民に対して屋内退避指示、すなわち「外出を控えるよう指示」を出した。それは、現在新型コロナウイルス問題で出されている「外出自粛要請」よりも、ずっと強い印象を与えるものだった。

 原発事故による大量の放射性物質放出から住民の生命と健康を守るためだったとはいえ、結果として多くの住民が住み慣れた土地を追われた。戦後日本が経験したことのない強権発動だったことは疑いがない。

 こうした重い経験を経たことで、現在の野党議員の多くは、国難とも呼べる緊急時に国民の生命と安全を守るためには、大きな批判に耐えてでも強権を発動しなければならない時があることを理解している。

 だから、新型コロナウイルスへの対応をめぐる緊急事態宣言の発令についても、政府から正確な情報が公開され、その緊急性、必要性が理解されたなら、実は発令に対する与野党のコンセンサスは比較的得やすい。そもそも、今回の緊急事態宣言は、民主党政権下で成立した新型インフルエンザ対策等特別措置法にすでに盛り込まれていたものであり、別に安倍政権独自の施策でも何でもないのだ。

 ▽自粛要請の法的根拠はどこに

 こう書くと、まるで安倍政権に対事態宣言の発令による私権制限をただ積極的に求めているかのように思われるかもしれないが、そうではない。問題は、大きな私権制限を伴う緊急事態宣言を出す資格が、今の安倍政権にあるのかということだ。

 もう一度、東日本大震災当時に話を戻したい。

 あの日、首相官邸では、秘書官らが六法全書と首っ引きになっていた。政府が初めて発令する原子力緊急事態宣言。宣言を出したら首相にどれだけの権限が与えられるのかを、法律の条文に照らして慎重に確認していたのだ。

 当時の閣僚の1人は「現行法ギリギリであらゆる措置を取る、という意思だ」と解説した。裏を返せば、政府が打ち出す強権については、法的根拠を必ず確認すること、つまり「現行法を逸脱する措置は取らない」ことを、事故の発生当初から強く意識していたということだ。

 避難指示を出したことによって、政府は多くの住民から大切な住みかを奪うことになってしまった。緊急の事故対応が落ち着きを見せ始めると、政府は被害者に対する損害賠償スキームを策定した。賠償の責任主体は東電であることを明確にしつつも、政府と電力各社が出資する原子力損害賠償支援機構(現在の原子力損害賠償・廃炉等支援機構)を設立し、政府として賠償資金を支援する仕組みだった。

 このスキームは当時「東電救済ではないか」と強い批判を受けた。だが、官房副長官としてスキーム作りを担った仙谷由人氏(故人)は後に「現実に困っている人にお金を回すには妥当な措置だった」と筆者に語った。国の責任で住民の居住権を大きく損なった以上、東電が破綻して賠償ができなくなり、住民が苦境に陥ることだけは避けなければいけないと考え、批判を一身に浴びたのだ。

新型コロナウイルスによる肺炎の拡大を受け、厚労省で開かれた専門家会議で発言する加藤厚労相(右端)=2月24日

 ひるがえって安倍政権である。

 新型コロナウイルス問題で、政府の専門家会議が「ここ1~2週間が、急速な拡大に進むか収束できるかの瀬戸際」との見解を示したのは2月24日。安倍晋三首相はこの直後、大規模イベントの自粛や学校の全国一斉休校を、次々に要請した。この時点では、新型インフルエンザ等対策特措法の対象に新型コロナウイルスを加える法改正は、まだ行われていない。自粛要請は法的根拠を持たずに首相の政治判断で出され、その後は期限も見通せないまま、ずるずると延長されている。

 首相だけではない。2月26日に「緊急事態宣言」を発出した北海道の鈴木直道知事を皮切りに、東京都の小池百合子知事や、大阪府の吉村洋文知事ら、複数の知事が独自の判断で「不要不急の外出を控えて」などの「自粛要請」を、法の裏付けがないまま次々に打ち出した(北海道は3月19日に緊急事態宣言を終了)。

 要請が法的根拠に基づいていないということは、その要請が経済や社会にどんな悪影響をもたらしても、政治が責任を負うことが担保されていないということだ。要請に基づいてイベントを中止したり、店を休みにしたりするのは「自己責任」。経営に行き詰まった業者が将来、国を相手取って損害賠償訴訟を起こした時、果たして勝訴できるのか、極めて心許ない。

 そんな無責任な形で、これ以上の自粛要請を続けさせてもいいのだろうか。

新型コロナウイルスの感染拡大を受け、緊急記者会見する東京都の小池百合子知事=3月25日、東京都庁

 ▽私権は事実上制限、安倍政権は責任を負うのか

 改正新型インフルエンザ対策特措法が成立し、新型コロナウイルスに対しても特措法の規定が使えるようになったのは3月13日。翌14日、安倍首相は記者会見の冒頭で「緊急事態に至ったと判断した場合、この法律に基づいて、蔓延の防止と社会機能の維持のためさまざまな措置を取ることが可能となる」と宣言した。

 そこまで「緊急事態宣言」に焦点を当てておきながら、2週間以上を経てなお宣言を出していないのは、宣言を出すことによる「政権の責任」の発生を、首相自身が自覚し始めたからなのではないか。それは首相が、不祥事のたびに「責任を感じる」と軽く発言するような類いの「責任」ではない。賠償という、巨額の政府支出を伴う重い責任だ。その支出は、国民の歓心を買うための経済政策などとは全く異なる、大きな批判に耐えるための支出である。

 首相はそんな重い責任を負うことから、ただ逃げているだけなのではないか。

 繰り返す。現在は首相や知事らがバラバラに、法的根拠もないのに国民に一方的に「自粛」を要請している状況になっている。国民の私権はすでに、事実上制限されている。緊急事態宣言の発令以上に、法治国家にとって危険な状況が、すでに顕在化していると言っていい。

 そして、自粛の結果国民がどんな不利益を被っても、すべては「自己責任」で片付けられ、政治家は責任を負う必要がない。実際、政治家たちは「かつてないほどの」などといった抽象的な修飾語で支援策の策定を口にするが、国民を安心させるだけの具体性は、ほとんどないのが実情だ。 こんな状態を放置するなら、法律に基づいた緊急事態宣言が出たほうがまだ「まし」なのではないか、というのが筆者の考えだ。

 ただし、緊急事態宣言を出し、強権をもって国民の私権を制限するには、宣言を出す側にもそれ相応の資格が求められる。安倍政権にそれがあるのだろうか。正しい情報の公開が何よりも大切な時に、政権への忖度によって官僚が公文書の改ざんにまで手を染め、自殺者まで出してしまう。そんな政権の出す情報を、私たちはどこまで信じられるのだろうか。いま政権が発している感染者数などの情報を専門家さえ疑っている状況を、どう考えたら良いのだろうか。

参院決算委で答弁する安倍首相。後方は間隔を空けて着席するマスク姿の閣僚ら=1日午前

 ▽安倍首相に求めるべき三つのこと

 これらを踏まえた上で、緊急事態宣言を出すのなら、安倍首相には少なくとも三つのことを求めたい。

 第一に「おわび」である。

 首相が2月末、最初に大規模イベント自粛などを求めた時、その根拠と言えるものは「ここ1~2週間が、急速な拡大に進むか収束できるかの瀬戸際」という専門家会議の見解だった。「ここ1~2週間」と期限が見えていたからこそ、多くの人が自粛に耐えた。

 だが、結果として感染は「急速な拡大」に向かいつつある。「自粛」をやめる見通しがつかないまま、経済や社会は大きな打撃を受けつつある。

 百歩譲って「想定外」があったのだとしても、ここは政治が一度、これまでの対応の失敗を認めた上で、国民に謝罪すべきだ。謝罪によってここまでの国民の「痛み」を引き受ける誠意を見せなければ、これ以上国民に私権の制限を求め続けるのは難しいだろう。

 第二に「補償」である。感染拡大防止のために、例えば外出自粛などの要請に応えなければならないことは、国民にも一定の理解は得られているだろう。しかし、その「痛み」を一方的に引き受けさせられ、会社が倒産しても解雇されても「自己責任」となるのでは「協力したくてもできない」人も少なくないはずだ。

 こうした人たちの行動に対し「罰則規定がない」ことを問題視する声もある。だが、今やるべきは罰則で国民を締め付ける「北風政策」ではなく、経済的な補償によって国民の不安を和らげる「太陽政策」だ。補償によって将来への安心感が得られれば、私権制限への協力も得やすくなり、ひいては感染拡大を防ぐことにもつながるのではないか。本来、国が真っ先に予算措置を行うべきなのはここであり、少なくとも「和牛券」のような消費喚起策ではないはずだ。

 そして第三に「政治責任を取る覚悟」である。現下の緊急の感染拡大防止に一定のめどがついたら、国民に多くの痛みを強いた政治責任を引き受けて、首相の職を辞する考えを示すことだ。

 「貧乏くじをひいた」と思うかもしれない。しかし、やむを得ないことであっても、政治権力がその強権で国民に痛みを強いる事態が生じた時、進んで貧乏くじを引き責任を引き受けるのも、国民に選ばれた政治家の務めだと考える。

 それにしても怖いのは、法的根拠に基づかない強権発動が次々と起きていることに対して、懸念の声があまり聞こえてこないことだ。逆に、政治家たちが専門家の意見を聞いたり丁寧な法的手続きを踏んだりせずに「『政治判断』した」ことを誇らしげに語ったり、識者がテレビでそれを礼賛したりする風潮の方が、むしろ目立つ気がする。

 政策決定にスピード感を求めることが大事な時もあるが、だからといって、決定までのプロセスをおろそかにすることはあってはならない。こんな時だからこそ、政治権力は為政者に無制限に与えられているのではなく、法や条例によって制限がかけられていることに無自覚であってはならないと思う。