野村克也氏が漏らした「巨人の監督をやってみたかった」元参謀が解く本音と真意

2019年のヤクルトOB戦に出場した当時の野村克也さん【写真:荒川祐史】

ヤクルトでは選手と監督、楽天ではヘッドコーチとして野村氏に仕えた橋上秀樹氏

 選手として、ヘッドコーチとして、野村克也氏の薫陶を受け、野球の戦術に磨きをかけてきた。巨人、西武でもコーチを務めた橋上秀樹氏は名将から多くの言葉を聞いてきた“参謀”の一人。その中でも忘れられない一言がある。「本当は巨人の監督をやってみたい」――。想像しただけでも、どんな野球をやっていただろうか……と胸が躍るような気持ちになる。

 現役時代にはヤクルト、阪神で野村氏の下で戦い、07年から09年は楽天のヘッドコーチとして監督に仕えた。これまでも著書やインタビューで戦術の裏側や、時には“ぼやき”の真実を明かしてきた橋上氏に改めて名将に寄り添った日々を振り返ってもらった。

 野村氏は“貧乏くじ”という表現をよく使っていた。ヤクルトや阪神、そして楽天と最下位、もしくは、万年Bクラスのチームの再建を託されることが多かった。それでもヤクルトを優勝や日本一に導いた。阪神や楽天は後に優勝するなど、その礎を築いた。

 楽天の監督時代だった。橋上氏は冒頭の言葉に驚いた。

「本当は巨人の監督をやってみたい。戦力が整ったところで1回、監督をやってみたい。そこで満足できるのかどうかを確認してみたいんだ。でも、やっぱり私は貧乏性だから、そういうところでやったら、飽きちゃうのかなぁ……」

 現役時代は距離が近くなかったが、楽天のヘッドコーチ時代は野村氏の本音に触れていた。「私にとってのスーパースターは川上哲治さん」とも言っていたという。王貞治、長嶋茂雄は“ひまわり”、自分はひっそりと咲く“月見草”と表した言葉は有名だ。巨人という存在は野村氏にとっては特別だった。

原監督に戦略的な部分で策を進言も「橋上、ここはジャイアンツなんだ」

 野村氏は着ることがなかった巨人のユニホーム。橋上氏はリーグ優勝を逃した巨人から2011年オフにオファーを受けた。原辰徳監督のもと、常勝軍団でコーチを務めることになった。橋上氏と時を同じくして、村田修一、杉内俊哉をFAで獲得するなどチームは選手を補強。2012年に3年ぶりのリーグ優勝と日本一に輝いた。2014年まで3年、在籍したが、その間に巨人はリーグ3連覇を果たした。

 巨人のユニホームの重みを感じた3年間でもあった。整った戦力の中で、負けることが許されない雰囲気を味わい、勝ち方にもこだわりがあることを感じた。橋上氏は野村監督と原監督の下で戦った経験をこのように振り返る。

「野村さんは極端に言うと、勝つことが最優先。あの手この手を使ってでも勝てばいいんだという考え方。原さんは同じ勝つことが目標ですが『ジャイアンツなんだから、横綱相撲で勝たないといけない』と言っていました」

 巨人時代、戦略的な部分で策を進言したところ「橋上、ここはジャイアンツなんだ」と諭されたことがあったという。

「言い方が悪いかもしれませんが、私が提示した“姑息なこと”をしてまで、勝ってはいけないという考えを持っておられたのだと思います。『ファンを失望させるような勝ち方はしたくない』とも言っていました」

 この常勝軍団の考え方は「野村さんには通用しない」と橋上氏は断言する。しっかりと相手を寄り切るのが原監督ならば、野村監督は勝てない相手には四つで組むな、という考え方だからだという。

「プロなんだから、勝てばいいんだというのが野村さんの考え。そこをちょっと考えた時、巨人の監督としてどうだったかなと……。原さんみたいな考え方が(巨人の監督を)やる人の考えなんだなと思いました。ただ、お2人ともタイプは違えど、歴史に残る名将であることは間違いない。そんな2人の名将のもとで仕事ができたことは私にとって大きな財産となっています」

ワンポイント継投に、大胆な先発隠し……野村監督は勝つ手段を選ばなかった

 野村監督は阪神の監督時代、1イニングの中で左腕の遠山奬志投手と右下手投げの葛西稔投手を相手打者の左右に合わせ、投手と一塁手で交互に起用した。それは「遠山・葛西スペシャル」という周囲を驚かせる采配で話題となった。他にも偵察メンバー(出場させる予定のない選手を先発メンバーに入れ、相手投手の左右によって選手を代える作戦)を入れる手段を取るなど、“弱者の兵法”で戦ってきた。

「野村さんは“姑息”だとは思っていないんでしょうが、あれをやったらジャイアンツファンに受け入れられたかどうかはわからないですよね」

 橋上氏がヘッドコーチ時代でよく覚えているのが、予告先発がなかった時代のセ・パ交流戦の巨人戦でやった“かく乱作戦”だった。

「先発ピッチャーにわざと、ジャイアンツが球場入りしてくるタイミングでアメリカンノックをさせたんです。普通は試合前にやらないようなことをやりましてね……。ふたを開けてみたら、その投手が先発でした」

 アメリカンノックとは、右翼(左翼)から左翼(右翼)方向にダッシュし、左翼(右翼)に打たれたノックを捕球する練習方法。かなりハードな練習だ。普通ならば、このあと長いイニングの投球を期待する投手にさせる練習ではない。しかし、野村監督は奇襲を仕掛けた。相手の頭の中から、先発の可能性を消し、少しでも困惑させようとしたのだった。

 ノムさんが行った奇襲は挙げ出したらキリがない。

「あれで負けたら、とんでもないバッシングを浴びていたと思います。弱者がやるにはアリなんですよね。戦力が整ってないという考え方の中で生まれる作戦。あの手、この手を使わないと強いチームには勝っていけないだろうということなのです」

 もう実現することはない“巨人・野村克也監督”。野村監督に長く仕えた橋上氏に聞いた。「どうなっていたと思いますか……」

「見たかった気持ちもしますけど、あんまり長くはできなかったんじゃないでしょうか。あんまり魅力的なチームにならなかったんじゃないかなと思います」

 橋上氏の言うような結果だったかもしれない。「ひまわり」に対して自らを「月見草」と呼び、「失敗と書いて成長と読む」など弱者の立場になって戦う様は、野球界だけでなく、世の人間の心の支えになったことは間違いない。巨人の監督をやらなかったことは必然だったのかもしれない。それが生き様であり、名将の魅力を増幅させたと言っていい。野村監督の功績が色あせることはない。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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