繰り返す入退院に医師提言 「施設預けた」罪悪感 【連載】大空といつまでも 医療的ケア児と家族の物語<12>

裕也さんの短期入所の準備をする母親の瑞佳さん(右)=諫早市小長井町、むつみの家

 みさかえの園総合発達医療福祉センターむつみの家は、諫早湾沿いの国道207号から狭い道路を上った諫早市小長井町の山中にある。
 昨年12月24日午前10時半、1台の車が正面玄関前に到着した。乗っていた森本裕也さん(30)をヘルパーの女性が抱きかかえ、母親の瑞佳さん(56)が一時的に取り外した人工呼吸器を手に降りてくる。
 あらかじめ玄関に用意されていたベッドに裕也さんを寝せて毛布をかける。むつみの家の職員も手伝ってクッション、おむつ、着替え、薬などの荷物を車から運び出した。大みそかまで8日間のショートステイ(短期入所)だった。
 裕也さんは1989年12月に生まれた。瑞佳さんは「難産だった。泣くこともなく、ぐったりとしていたが、初めての子だったのでこんな感じなのかなと思い、生まれた喜びの方が大きかった」と振り返る。
 しかし、それは長い闘病生活の始まりだった。翌日、裕也さんは島原市内の病院から大村市の国立長崎中央病院(現長崎医療センター)に救急搬送された。けいれんが頻発し、保育器の中で、力なくくたーとしていた。生後7カ月のころ、医師から「1歳の誕生日を迎えられないかもしれない」と宣告された。その後も肺炎、気管支炎、吐血、嘔吐(おうと)がひどく、これまで300回近く入退院を繰り返し、幾度となく命の危険にさらされた。
 裕也さんには弟が2人、妹が1人いる。3人が幼いころ、入院中は祖母が一緒に泊まり込んだ。瑞佳さんは南高有明町(現島原市)の自宅から車で1時間半かけて病院に毎日通い、その後、保育所に弟妹を迎えに行った。
 医師からは再三、医療が充実した施設への入所を勧められた。退院してもすぐに状態が悪化し、また入院。家庭での看護は限界を超え、裕也さんが安心して過ごせる環境が必要だった。7歳のころ、自宅から片道約50キロ(当時)のむつみの家に入所。瑞佳さんはたとえ20分ほどしか面会できなくても毎日通い、筋肉の萎縮や骨の変形を予防するためストレッチをしてあげた。
 帰る時はいつも後ろ髪を引かれ、涙がぽろぽろこぼれた。「施設に預けた」という罪悪感で心が壊れそうだった。裕也さんの状態も次第に落ち着いてきたので在宅に戻すことを施設側に告げると、施設に預けた重度障害の子どもを在宅に戻したケースはまれだとして児童相談所から説明を求められた。瑞佳さんは家族に囲まれて笑顔を浮かべる裕也さんの写真を見せ、1人で世話をせず地域の福祉サービスを利用することを約束。3年半の入所生活を終えた。

【次回に続く】
※この連載は随時更新します。


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