最大の新型コロナ対策とは 「打ち勝つ」よりも「信頼と団結」を

By 佐々木田鶴

参院決算委で答弁する安倍首相。後方は間隔を空けて着席するマスク姿の閣僚ら=1日午前

 安倍首相は、東京オリンピック・パラリンピック延期を告げる会見で、「人類が新型コロナウイルスに打ち勝つ証として」と表現した。だが今、人類が求められているのは、勝ち負けよりも、信頼と団結という忘れかけてきた価値観へのリセットではないのだろうか。人々が接触を遮断されて2週間―。国が、個人が、できることから助け合い、信頼と団結を築くことはできるだろうか。海外の事例から考えたい。(ジャーナリスト=佐々木田鶴)

 ▽人と人、国と国の団結と助け合いこそ

 著書「サピエンス全史」の販売が、世界で2千万部を突破した歴史学者で哲学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏は、3月15日付のTIME誌への寄稿の中で、こう述べた。「人類はコロナウイルスといかに闘うべきか――今こそグローバルな信頼と団結を」

 確かに今、世界が直面している新型コロナウイルス感染の世界的大流行(パンデミック)は、中国・武漢からイタリア・ロンバルディアへ、そして欧州全体に、さらにはアメリカへ、世界へと急速に広がっている。凍り付いたような無人の大都市の様相はSF映画を思わせる。世界が大ピンチに陥っている現状では、特定の国を名指して渡航制限をかける段階はすでに超えている。人類の叡智を結集して助け合うべき今、勝ち負けの比喩で「TOKYO 2020」の延期を語っている場合ではない。

 世界では、国と国、地域と地域、人と人の助け合い、団結が起こっている。

イタリア北部ミラノ郊外の空港に到着したキューバの医療団(ロイター=共同)

 ▽キューバから各国への「白衣の軍団」

 カリブ海の小さな島国キューバが人口比で世界トップの医師数を誇っていることは、日本人にはあまり知られていない。今でもアメリカの経済制裁下にあるこの国が、3月24日、医療関係者の疲弊や不足が切実なイタリア・ロンバルディア地方に「白衣の軍団」、つまり50人もの医師と看護師らを送った。

 到着した医師たちの使命感に満ちた言葉が印象に残る。「他国との人道的連帯に深く、強くコミットするのがキューバの伝統なのです」

 キューバは、今回の新型コロナ感染症ですでにベネズエラ、ニカラグアなどに医療団を送っており、イタリアへの派遣は6団目。しかし、イタリアのような先進欧州国が、小国キューバからの医療団を受け入れるのは歴史上初めてだという。キューバでも、新型コロナウイルスによる感染症は確認されている。

 ▽マスクめぐる騒動、各地で

 中国からは、大量のマスクが、イタリアを始め、現在感染拡大で医療現場の物資不足にあえぐ欧州の国々に緊急で送られ始めた。

 報道では、当初イタリアに送られた10万枚余りがフライトの経由地チェコで差し押さえられ、チェコ国内に配布されてしまった。中国は即座に第二弾を送ったと伝えられている。

 チェコ当局は「間違えがあった」として、その後イタリア分相当を返却した。が「火事場泥棒」と疑惑を持たれた記憶は根深く残りそうだ。

 同じようなことは、筆者の住むベルギーでも起こっている。

 2月、欧州の他国とともに、トルコの製造業者にベルギーもマスクを発注し500万ユーロ(約5億5千万円)を支払った。にもかかわらず、マスクは期日になっても納品されなかった。ベルギー当局は、詐欺の疑いで捜査を始めた。

 そこで救世主となったのは中国のアリババグループ。ベルギー国王などの要請に応えて、3月中旬、マスク50万枚と3万個の検査キットを緊急で贈ったのだ。

羽田空港の国際線到着案内を見つめるマスク姿の男性=1日午後

 ▽重症患者、各地から受け入れるドイツ

 日本政府は3月24日、ドイツを含む欧州の多くの国の感染症危険レベルを3に引き上げ、これらの国からの入国拒否を決定した。これを受けて、対象となった国に滞在していた日本企業の多くの駐在員たちが、とるものもとりあえず大慌てで帰国の途についた。開戦前夜はこんな風なのだろうかと感じたのは筆者だけだったろうか。

 日本に拒絶されたドイツのいくつもの州政府は、同じ頃、危機的状態にあえぐ、イタリアやフランスに支援を申し出始めていた。3月24日までに、イタリア・ロンバルディア地方から8人の重症者がドイツ・ザクセン州の病院に、翌25日には、フランスで集団感染が起きたミルーズ周辺から30人余りの重症者が、国境を越えてドイツ西部2州の病院に搬送されて治療を受け始めた。

 ドイツは約8万人の感染者(4月1日現在)を抱えている。なのに、なぜここまで寛大になれるのだろう。

 その秘密の一つは、人工呼吸器のある集中治療室の数にあるとの説明が多い。

1日、フランス・パリ郊外の病院で、集中治療室から出る防護服姿の医療従事者(ロイター=共同).

 ▽集中治療室の数が生死を決める?

 フランスからの重傷者の搬送を告げた仏国営放送によると、ドイツは、フランスの5倍にあたる2万5千の集中治療室ベッド数を持っている。

 新型コロナ感染者における死亡率は、欧州ではドイツが断トツに低い。人口100万人に対する死亡者数は、イタリアが218人、フランスが62人なのに対し、ドイツはわずか11人だ(Worldmeterによる、4月1日現在)。

 こうなると集中治療室のベッド数を知りたくなる。科学、技術、医学などの分野の書籍・文献データベースSpringer Linkがまとめた欧州比較統計(2015年データ)では、人口10万人あたりの集中治療室ベッド数のトップは、予想通りドイツで29・2。以降、ルクセンブルク、オーストリア、ルーマニア、そして筆者の住むベルギーと続き、イタリアは12・5、フランスは11・6だ。

 ちなみに、フォーブスの記事によれば、比較できる数値は、韓国10・6、日本7・3。日本集中治療医学会ホームページには「本学会の全国調査(06年)によれば、日本における集中治療室のベッド数は人口10万人あたり4で、欧米の7~24と比較して少ない」との記述もある。イタリアは、財政危機による予算削減で病院の統廃合が進み、医療の質が落ちていたとされる。もし、新型コロナ感染者の死亡率を示すバロメータの一つが、集中治療室のベッド数であるとすれば、日本の数値に不安を感じずにはいられない。

 ▽信頼と団結はひとりひとりから

メルケル首相

 メルケル首相は、3月18日の国民に向けたテレビ演説で「団結」を強く訴えた。ほぼ前後してそれぞれに行われた各国首脳の国民への協力要請で、仏マクロン大統領も、ベルギーのウィルメス首相も、同じように団結(または連帯、英語ではsolidarity)という言葉を度々用いた。それは、各国首脳の一人の人間として発する、次のような素直な言葉の端々に現れている。

 地域のお年寄りに声をかけてほしい、手紙を書き、電話をかけて、買い物をしてあげてほしい。持病を持つ人、障害者など、社会的に弱い立場にある人を、皆で守ってほしい。学校が休みになった子どもを高齢者に預けてはいけない。彼らこそ、いたわられなければならないのだから。医療最前線で頑張ってくれている方々に、市民生活を成り立たせるために今も働いてくれている市民のひとりひとりに心から感謝します、と。

 これに応えるように、引退した医師や医学生・看護学生のボランティアが数万人も名乗りをあげ活躍する。市民の大人から子どもまでが、自発的に自宅の窓やSNSで、今もそれぞれの立場で奮闘する人々に感謝の気持ちを表し始めた。それは、オリンピックの金メダル獲得30個に向かった国民一丸とはかなり意味合いが異なっている。

ビル・ゲイツ氏=1月22日、スイス東部(ロイター=共同)

 ▽パンデミック、想定外じゃなかった

 マイクロソフトの創業者、かの有名なビル・ゲイツは、15年3月、インターネット上で配信されるトーク番組TED Tallksで、こんなことを言っていた。

 「今後数十年の間に、世界で膨大な数の人が命を落とすとしたら、それは戦争によってではなく、強烈な感染力をもつウィルスによってだろう。」

 ゲイツ氏によれば、それは自明の理なのに、人類はそれに備えるために投資せず、対処するシステムの準備を怠っているのだと。世界の知識層にとっては、今回の感染拡大は、想定外でもなんでもなかったのだ。

 この危機に直面した人類は、変わることができるのだろうか。肉や魚の商品券を出したり、布製マスクの郵便配布を喧伝している場合ではない。個人や国のエゴを越え、価値観をリセットした「信頼と団結」を実現できるか。危機を乗り越えられるかどうかはそこにかかっているのではないだろうか。

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