月刊牧村 夏期ゼミ#2 『東京から世界へ』その3 - チョーさんと竹内まりやの出会い

月刊牧村 夏期ゼミ#2

『東京から世界へ』その3

2019年7月7日(日)ROCK CAFE LOFT is your room

【講師】牧村憲一

【ゲスト】長曽我部久

70年代後期より山下達郎、竹内まりや、YMO等のサウンドエンジニアにしてPA界の先駆者、長曽我部‘チョーさん’久氏を迎えての夏期ゼミを開催します。連続3回の予定です。70年代の音創りに秘話なんて全くいりません。本当のことが驚きの連続だったのです。(文責・牧村憲一)

チョーさんと竹内まりやの出会い

牧村:竹内まりやのデビュー・アルバム『BEGINNING』では、最小限の人数で仕事をしました。LAに行くにも、まりや本人、担当ディレクターの宮田茂樹くん、そして僕の3人でした。そこにチョーさんから自費で行きますので、同行させてくださいと連絡があったのです。チョーさんはPAエンジニアでしたが、レコーディング・スタジオにもいつも来てくださって、すでにコア・スタッフだったんです。まりやと組ませたいバンドは、センチ(センチメンタル・シティ・ロマンス)しか考えつきませんでした。愛奴、シュガー・ベイブ、センチという3組の関係はずっと繋がっていたんです。そういう縁もあって、まさにうってつけのチョーさんにPAをお願いしました。

長曾我部:センチのメンバーからも温かく迎え入れられたツアーでした。

牧村:人数が多いから交通費がバカにならないんですよね。当時、アメリカのロック・ミュージシャンたちは、バスに機材を詰め込んでツアーをしていました。センチはそれに影響を受けてバスを導入したんです。

長曾我部:通称〈赤バス〉というセンチのロゴが入った楽器車があって、まりやも含めてみんなそれに乗ってコンサートに出かけたりしましたね。

牧村:チョーさんのことを、まりやの〈コア・スタッフ〉と呼んでいるのは、こういうことなんです。ミュージシャンは精神状態が不安定になることがあります。レコーディングで、あるいはコンサートで悩みが生じても、マネジメントスタッフや制作担当者には直接言えないこともある。そういう時相談ができる相手は、身近な照明やPAのスタッフだったりするのです。僕はプロデューサーという役割ゆえに、ミュージシャンとぶつかることもありました。もちろんきちんと話し合いをしますが、感情的な対立が生じることもありました。チョーさんは数々の体験を経た上でPAエンジニアになられたから、ミュージシャンの気持ちも各スタッフの気持ちも分かる。結果、調整役と言うかクッションの役を引き受けてくれたんです。本当に大変な役をと今でも感謝しています。

センチメンタル・シティ・ロマンスの赤バス(初代マネージャー竹内正美氏と)

〈コア・スタッフ〉として活躍

長曾我部:エンジニアをやるようになってから、愛奴のマネジメントをやっていて良かったと思うことがありましたね。また山下くんの話になっちゃいますが、中野サンプラザのステージに、ニューヨークの街角を再現するプランがありました。どんなステージにするかというミーティングに呼んでもらい、エンジニアという領域だけでなくアイデアも出させていただきました。そのいくつかは採用され、忘れられないものになっています。

牧村:そのお話を聞いて、LAのアンフィシアターを思い出しました。バックの大きな壁のようなものがパーッと開くと、眼下にハリウッドの壮大な夜景が現れるのを観たことがあります。そうですか、チョーさんもあのニューヨークの街造りに参加していたんですね。

長曾我部:当時のコアなスタッフは、そんなふうにステージセットや曲順などいろんなアイディアを求められていましたね。そういう面でもすごく勉強になりました。

牧村:仕事を縦割りにするのではなく、横に繋がるような形だったわけですね。70年代から80年代の頃は「ここは自分の領域だから口を出すな」という感じじゃなく、それぞれが良いアイディアを出していた。そうやって一人で何役も背負ってましたよね。次回になってしまいますが、チョーさんはYMOの最初の海外ツアーにPAエンジニアとして参加します。日本では他のスタッフとのコミュニケーションで作ってきたコンサートが、向こうでは完全に縦割りになってしまったんですね。海外では「これは自分の仕事で、あなたはこの機械に触ってはいけない!」とはっきり言われますから。この話は時間をかけてやりましょう。

アナログからデジタルへ変遷を遂げたPAシステム

牧村:『ロフト・セッションズ』から、センチメンタル・シティ・ロマンスをバックにした竹内まりやの「8分音符の詩」をBGMでかけながら、皆さんから質問を受け付けます。

長曾我部:何でも訊いてください。答えられることはお答えします(笑)。

──竹内マリヤ「8分音符の詩」

観客A:今日は貴重な話を聞かせていただきまして、どうもありがとうございます。お訊きしたいのは、ミュージシャンがPAエンジニアと仕事をする際、好きな音楽が共通しているのは大事なことなんでしょうか。たとえば達郎さんとビーチ・ボーイズの話をして打ち解けたといったことはありましたか。

長曾我部:僕自身、非常に生意気な話ですが仕事は選ばせていただきました。アイドル、歌謡曲、演歌といったジャンルからもオファーをいただきましたが、そういう世界は基本的に全部お断りしたんです。そうなるとロック系のジャンルはある程度絞られてくるし、なかにはパンクやヘヴィメタもありましたが、お互い好きなバンドやミュージシャンはどこかしら被ってくるんです。逆に言うとパンクしか好きじゃないというミュージシャンとは、なかなか出会うチャンスもないですし。山下くんに関しては音楽の知識が非常に豊富で、山下くん、ギタリストの佐橋佳幸くん、ベーシストの渡辺等の3人は音楽に関わることなら何でも知っているんですが、そういう人たちと音楽の話をする時、僕は教えを請うスタンスでした。

たとえばロネッツは大ヒットした「Be My Baby」以外、日本ではよく知られていない。それで山下くんに「ロネッツのあまり知られていないアルバムを聴かせてくれないか」と言うと、山下くんはカセットにダビングして持ってきてくれるんですね。ジャケットを縮小コピーまでして(笑)。そういうカセットを今でも何本か残してますよ。音楽を通したコミュニケーションはずっとやってきました。こっちもすごく勉強になったし、とても有難い時間でしたね。

観客B:すごくマニアックな質問になってしまいますが、さっきかかった「ウインディ・レイディ」の頃は、PAでコンプレッサーを使うようになりましたよね?

長曾我部:はい、仰る通りです。

観客B:音のピークを畳み込むためにコンプレッサーを使う前は、ベースの音色を作るためにコンプレッサーを使い始めた流れがありましたよね。まずピット・インでのライブでもそうした理由でコンプレッサーを使ったのか? が一つ。もう一つは、今やPAシステムもすべてデジタルで隔世の感がありますが、アナログからデジタルへ移行してきた中で何が一番変わったのかをお訊きしたいです。

長曾我部:まずコンプレッサーとはどういう機械かと言うと、入ってきた電気信号が一定のゲインより上にあがらないように、音を歪ませないようにギュッと縮めるものなんです。主にメイン・ボーカルやベースに使いますが、当時はアナログのコンプレッサーしかなくて、僕はdbx160というのを愛用していました。さっき聴いていただいた『IT'S A POPPIN' TIME』では、ミックスを手がけた吉田保さんもミキシングの時にコンプレッサーを使っていましたし、僕もライブのミックスをやる時にベースとメイン・ボーカルにコンプレッサーを使いました。

アナログからデジタルへの話ですが、僕がエンジニアを始めた時代はまだ満足の行くグラフィックイコライザーがなかったり、パワーアンプもソニーのオーディオ用のを使わなくちゃいけませんでした。その後、アメリカやヨーロッパでPAシステムが飛躍的に良くなってきて、そういう機材が輸入されてからようやくコンパクトでハイパワーなシステムになっていくんですが、僕自身はそういうアナログからデジタルへ移行していく様を直に体験できてラッキーだったと思います。

たとえばアナログのコンソールは骨太で人間的なコントロールがしやすい良さがあって優秀なんだけど、ガサばって重かった。今のデジタル・コンソールはコンパクトで、チャンネル数もほぼ無限にあると言ってもいいくらいです。僕がPAエンジニアを始めた頃のアナログの24チャンネルのコンソールが36チャンネルになり、56チャンネルになり…と変遷を遂げていくと、どんどんデカく重くなるんですよ。それをホールに搬入するのは確かに大変なんですが、56チャンネルなら56個のフェーダーがあって、それを目視できるわけですよね。一方、デジタル・コンソールの場合はどんどんシーンを切り替えていくし、たとえばフェーダーが12本しかないけどチャンネル数としては96あったりする。

僕はアナログ人間なのかもしれませんけど、一瞬でセットアップを全部見渡せるアナログ・コンソールのほうが正直好きですね。デジタル・コンソールにもミックス・データをすべてメモリーできたり、違うメーカーのデータを読み込んで書き換えるといった利便性はあるけど、それで良い音が出るようになったかと言えば必ずしもそうじゃない。PAは全体のシステムのセットアップが一番大事で、スピーカー・システムを何本用意してどこにどう向けて吊るか、それをどうやってドライブするか、トータルの鳴りとしてはEQをどうセットアップするのかが実は一番大事なんですね。それによってすべてが決まると言ってもいいくらいです。

今のミキシング・コンソールは言ってみればステージ側にあるコンピューターのリモートコントローラーみたいなものだから、イーサーのケーブルしか行ってないわけですよね。PA卓の所までアナログの信号は来てませんから。昔は56チャンネルだったら56回線のアナログのマルチケーブルを引いて、それがケーブルの中にちゃんと入っていた。今のミキシング・コンソールはコントロールする信号さえステージに行けばできちゃうんですね。コンピューターがミックスしているようなものなので。それが良いか悪いか、いろんな問題を含んでいると思いますけど、今はそういう時代だよということだけお伝えしておきます。

牧村:専門領域の話でちょっと難しかったかもしれませんけど、一言で言えば「デジタルよりもアナログが好きだ」ということですね(笑)。

長曾我部:バレたか(笑)。

牧村:そんなところで時間が来ました。チョーさんをお迎えしていよいよ佳境の2回目は9月8日にやりたいと思います。よろしくお願いいたします。今日は長い時間ありがとうございました。…みなまで言う必要はないですが、みなさん秘密は守るように(笑)。

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