『cook』坂口恭平著 料理と話す料理本

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 わーいわーい。最高の料理本を手に入れたぞ。レシピはほとんど載っていない。そんな料理本、前代未聞じゃないか。それだけでもわくわくするじゃないか。詳しい材料も手順もない、ザ・どんぶり勘定なのに、どんな本よりも料理とじっくり向き合った、ヘンテコな本を発見だーい。

 出会いは不思議なものだった。近所の本屋に行ったときのこと、料理本のコーナーに坂口恭平の本があったのだ。え、なんで。彼は作家であり建築家、ホームレスの隣でお喋りして絵を描くイケメンのはずが(雑な印象)、いつから料理人になったのだろう。そう思って手にしたら、帯にはこんな文章が。

「やってみよう、やってみよう。

やれば何か変わる。

かわいい料理本のはじまりはじまり。」

……なにもわからぬ。でもこれを見て、松田聖子で言うところのビビビ、いやプロポーズには至らないからピピピくらいかな。なんでもいいんだけど、とにかくなんだかいい予感がして、レジの列に並んだ。

 決して小さな本じゃないのに、どうしても読みたくなって帰りのバスで開いた。すると最初の方に「治療としての料理」という言葉がある。それで思い出した。そうだ、彼は双極性障害を患っているって、前に公表していたことがあったんだ。

 この本は、躁状態と鬱状態を繰り返す著者による料理日記である。ある日のこと、気分が沈み布団から起き上がることすらできない時に、彼は図らずもお腹が空いてしまう。彼はこの日のように体が動かないとき、「手首から先運動」を試みるそうだ。全身が動かないのならせめて指先だけでも、ということらしい。布団に横たわりながら、パソコンのキーボードを使って文字を書く。苦しい、つらい、なんでこうなってしまったのか、もういっそのこと死にたい……。そんなことを打っているさなか、かすかな空腹を感じたのだ。面倒臭い、台所に立つのが嫌、自分の無力さを思い知るから。そうは思いながらも、調子のいいときの自分は料理が好きだということを思い出し、米を研ぐところから始める。すると、さっきまで頭の中でこだましていた否定的な言葉が、少しだけ小さくなった。そして出来上がったぴかぴかの米と味噌汁、ベーコンエッグを食べながら、坂口はこれから料理をして、その日記をつけることを決める。

 それからというもの、坂口は無理をしない範囲で台所に立ち続けた。サンドイッチ、三輪そうめん、麻婆豆腐、鯵の刺身(三枚おろしからスタート!)、パスタ、青椒肉絲、ベーコンエッグにロールパン(生地から手作り!)……。

 開始から1ヶ月ほどして、彼は初めて「料理さん」の声を聞くことになる。「すぐコツをインターネットでしらべるじゃなく、まずは自分でやってみたら?あなた40歳でしょ? つまりもう4万回以上ごはん食べてるんだからきっとできるよ」。それからは自分の記憶や感覚を信じて作る。そして身をもって知るのだ「料理は人間にとって必要最低限の生きのびるための行為であり、かつ創造的行為でもあるという唯一のスグレモノ」だということを。「むなしさが晴れた。僕にとってこれはとんでもないことである」。

 山あり谷あり、絶好調だったり翳りを見せたりしながらも、なんとか坂口は料理日記を仕上げた。巻末には「料理とは何か」というエッセーも掲載されている。「突っ込みどころ満載の飛躍した文章」「ファンタジーとしてお楽しみください」と本人は注釈を入れていた。料理との対話、食材との対話、栄養をつくり出すという治療、太古から続く根源的な行為としての料理……。そして最後に坂口が描いたものは、湯気のように優しくて、パチパチと燃える火のように暖かくて、人々の笑い声が聞こえてくるような、幸せそのもののような風景。幻想的だけど、でもファンタジーでは終わらないような、力強い描写だ。

……で、私も作ってみたんです。これまで頼りにしてたインターネットも料理本も開かずに、冷蔵庫を開いて、お肉や野菜と相談して。五感をフルに活用させて、記憶を辿って、遠い昔に、遠い国に思いを馳せて。

 じゃーん、できました。牛肉ときゅうりの炒め物。牛肉の薄切りにお酒を揉み込んでおいて、にんにくとオイスターソースと豆板醤とか砂糖とか。きゅうりは叩いて、仕上げにごまを振って。絶品!!

 料理さん、ありがとう。いつも一緒にいてくれて。これからもよろしくね。

(晶文社 2200円+税)=アリー・マントワネット