もっと知りたい 障害児支援の現場に“情報”を 【連載】大空といつまでも 医療的ケア児と家族の物語<11>

指先を器用に動かしてテレビゲームを兄弟と楽しむ航聖君(左)=松浦市内

 昨年10月、諫早市のながさき看護センター研修室。県内の障害者の相談支援専門員、看護師、自治体職員ら約50人が「医療的ケア児等コーディネーター養成研修」に臨んでいた。
 県は2017年度から、人工呼吸器などの「医療的ケア」が日常的に必要な子どもを、適切に支援できるコーディネーターを養成している。研修では地区別に5~7人のグループに分かれ、各エリアの医療・福祉・教育の社会資源をどう活用するかを議論。具体的なサービス利用計画を練った。
 県北地区のグループに松浦市から参加した作業療法士、立石哲也さん(42)がいた。次男航聖(こうせい)君(5)は、筋力の低下・萎縮が特徴の「脊髄性筋萎縮症」。自力で起き上がることはできず、2歳から肺炎などで入退院を繰り返し、命の危機に見舞われたこともあった。毎晩、気管支や肺にたまったたんを取り除くため排たん補助装置を使い、就寝中は人工呼吸器を装着。一方で教えていないのにひらがな、カタカナを読めるようになり、簡単な計算もできるという。
 立石さんがコーディネーター養成研修に参加したのは、県北地区は障害児支援の社会資源が少なく、医療的ケア児の情報をもっと知りたいと思ったからだ。妻は日中、航聖君をバギー(子ども用車いす)に乗せて買い物に出掛ける程度。患者の家族同士のつながりもなく「孤立」を感じていた。
 18トリソミーの出口大空(おおぞら)君の母親光都子(みつこ)さんも、利用している県立こども医療福祉センターのリハビリやさまざまな福祉サービスについて、長崎大学病院で知り合ったママ友から教えてもらった。本来であればコーディネーターがそれぞれ医療的ケア児に付き、発達段階に応じて医療、福祉サービスを組み合わせるのが望ましいが、その態勢づくりは途上にある。
 県によると、養成研修を修了した相談支援専門員は17年度からの3年間で73人いるが、県相談支援専門員協会代表の藤井修さんは「修了者の多くが医療的ケア児につながっていない」と指摘する。通常、障害福祉サービスを利用する時に初めて専門員が必要になるが、退院後すぐにサービスを利用する人は少ない。また在宅移行後の生活を見据えて退院前カンファレンスに専門員が参加したとしても、それだけでは障害者総合支援法に基づく報酬に算定されないという。
 「せっかくコーディネーターになったので、何かできることはないかなと妻とも相談しているんですが…」と立石さん。県の担当者は「まずは医療機関にコーディネーターの必要性を周知し、医療的ケア児につながるよう努めたい」と話す。

【次回に続く】
※この連載は随時更新します。

 


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