高卒2年目は超一流への「分岐点」!? 松井秀、ダルビッシュ、大谷らがブレーク

楽天・松井裕樹【写真:菊地綾子】

燕・村上は高卒2年目の昨季、36本塁打&96打点をマークして新人王に

 2019年にそれぞれ新人王に輝いた高橋礼投手(ソフトバンク)と村上宗隆内野手(ヤクルト)。村上は高卒、高橋礼は大卒という違いはあるが、どちらもプロ2年目で新人王を受賞した。即戦力の期待がかけられるケースも少なくない大卒選手に対して、高卒選手が1年目や2年目から出色の活躍を見せるケースは稀なものだ。そんな中で、村上選手は全143試合に出場して36本塁打、96打点という数字を記録。高卒2年目以内で30本塁打を記録したのは中西太氏、清原和博氏に続く史上3人目であり、同条件で90打点以上を記録したのは長い球史でも初めて。まさに、歴史的な活躍ぶりだった。

 村上が指名された翌年の2018年のドラフトは開催前から高校生が豊作の年と評価されていた。実際に吉田輝星投手(日本ハム)、藤原恭大外野手(ロッテ)、根尾昂内野手(中日)、太田椋内野手(オリックス)、小園海斗内野手(広島)の5人が高卒でドラフト1位指名を受けている。逸材揃いのこの世代がプロ2年目を迎える2020年、村上に続く活躍を見せてくれる選手が現れる可能性は大いにある。

 先ほど名前の挙がった中西太氏は、高卒2年目の1953年に打率.314、36本塁打、86打点、36盗塁で「トリプルスリー」の快挙も達成。若くしてリーグ屈指の強打者へと成長し、「怪童」の異名を取るスラッガーとして一時代を築いた。投手で高卒2年目に大きな飛躍を果たした選手としては、NPB最後の完全試合達成者・槙原寛己氏が挙げられる。プロ初年度は1軍登板が1度もなかったが、2年目の1983年に12勝9敗1セーブ、防御率3.67という好成績を残して大きく飛躍。同年の新人王に輝くと、その後も巨人の主戦投手として活躍した。

 近年でも松坂大輔投手(西武)、田中将大投手(楽天)、藤浪晋太郎投手(阪神)らが高卒1年目から2桁勝利。野手では清原和博氏(西武)が高卒1年目の1986年に打率.304、31本塁打、78打点をマークした。1年目から圧巻のプレーを披露した選手も過去には存在している。今回は、1990年から2018年までのNPBにおいて、高卒1年目に比べて2年目に大きく成績を伸ばした一部の選手を紹介。先ほど述べた逸材たちの今後を占うにあたって、名選手のブレークの軌跡を振り返っていきたい。

松井秀は1年目の11本塁打から20本塁打、ダルビッシュは5勝から12勝と一気に飛躍

〇前田智徳氏(1991年、広島)129試合、107安打、4本塁打、25打点、14盗塁、30犠打、打率.271、出塁率.329、OPS.688

 前田氏は熊本工業高校から1989年ドラフト4位で入団。指名順位からもわかる通り、決して多くのスポットライトを浴びて入団したわけではなかったが、才能は早い段階から開花していく。1年目の90年に56試合に出場して打率.256という数字を残すと、翌年は中堅のレギュラーを獲得。同年のリーグ優勝にも大きく貢献し、20歳の若さにして早くも中心選手の座を手中に収めた。

 翌92年から3年連続で打率3割超えを記録し、走攻守の3拍子揃った名手として活躍を続けた。しかし、95年に負った大怪我の影響もあり、プロ入り当初のスピードは後に失われてしまう。それでも、2度のアキレス腱手術を乗り越え、打率3割超えを幾度となく達成。相次ぐ故障と戦いながらチーム一筋24年間の現役生活を送った前田氏は、その打撃への飽くなき探求心も相まって、カープファンからの絶大な支持を受け続けた。

〇松井秀喜氏(1994年、巨人)130試合、148安打、20本塁打、66打点、6盗塁、1犠打、打率.294、出塁率.368、OPS.843

 星稜高校時代に甲子園で5打席連続で敬遠されるという伝説を作った松井氏は、1年目の1993年から57試合に出場して11本塁打をマーク。しかし、打率.223と確実性に欠け、本格ブレークには至らなかった。しかし、2年目の94年には全ての部門で打撃成績を大きく向上させ、高卒2年目ながら巨人の主軸として活躍。その後も目覚ましい成績を収め、「ゴジラ」の愛称で親しまれるスター選手へと成長していった。

 本塁打王、打点王、最高出塁率、シーズンMVPを各3度、首位打者も1度とさまざまなタイトルを獲得し、球界を代表する長距離砲として君臨。02年には打率.334、50本塁打、107打点と、あと少しで3冠王という驚異的な成績を記録した。03年にヤンキースに移籍してからもMLB随一の名門球団の主力に定着し、04年には打率.298、31本塁打、108打点を記録。09年には日本人初となるワールドシリーズMVPにも輝いている。

〇ダルビッシュ有投手(2006年、日本ハム)25試合、12勝5敗、149回2/3、115奪三振、防御率2.89
 
 東北高校時代から超高校級右腕として注目を集めていたダルビッシュは、プロ1年目の2005年から14試合で5勝5敗、防御率3.53と能力の片鱗を見せる。続く06年には才能を一気に開花させ、先発ローテーションの一員としてチームのリーグ優勝と日本一に大きく貢献。07年から5年連続で防御率1点台という群を抜いた投球を披露し、球界を代表する先発投手として広く認められる存在となった。

 3度の最多奪三振、2度の最優秀防御率、1度の最優秀投手(現在の最高勝率)に加え、2度のMVP、1度の沢村賞と数々のタイトルを受賞した。米国に戦いの場を移してからもその活躍は続き、MLB1年目の12年にいきなり16勝。翌13年にはサイ・ヤング賞の投票で2位に入る快投を披露した。故障もありながらMLBで4度の2桁勝利を記録し、高い能力を世界最高峰の舞台でも見せている。

巨人坂本は2年目の2008年に全143試合に出場、チームの逆転優勝に貢献

〇涌井秀章投手(2006年、西武)26試合、12勝8敗、178回、136奪三振、防御率3.24

 涌井はプロ1年目の2005年こそ13試合で1勝6敗、防御率7.32とプロの壁に跳ね返されたが、翌06年には早くも先発ローテーションに定着して一線級の成績を残す。07年には高卒3年目にして213回を投げ、17勝10敗、防御率2.79という成績で最多勝を受賞。獅子のエースとして翌08年の日本一にも貢献すると、09年にも16勝6敗、防御率2.30で2度目の最多勝に輝き、自身初となる沢村賞の栄誉も手にした。

 06年から5年連続で2桁勝利を記録するなど先発として活躍を続けていたが、12年シーズン途中にクローザーに配置転換されると30セーブを記録。改めて能力の高さを示した。14年にロッテへ移籍してからは再び先発に固定され、15年には15勝で自身3度目の最多勝。新天地でもエースとして活躍した。20年からは3球団目となる楽天に移籍、ベテラン右腕の今後の活躍にも期待だ。

〇前田健太投手(2008年、広島)19試合、9勝2敗、109回2/3、55奪三振、防御率3.20

 プロ1年目の2007年は1軍登板がなかったものの、その年のオフに球団からエースナンバーの「18」を与えられる。期待に応えて2年目に飛躍、シーズン途中から先発に定着して及第点以上の成績を残す。翌09年には8勝14敗に終わったものの、193回で防御率3.36と安定した投球を継続。10年に最多勝、最多奪三振、最優秀防御率の投手3冠に輝き、沢村賞も獲得するなど、一躍スターダムを駆け上がった。

 その後も広島のエースとして活躍を続け、最優秀防御率3度、最多勝、最多奪三振、沢村賞がそれぞれ2度と素晴らしい成績を残す。16年にドジャースに移籍してからも活躍は続き、同年にはMLB1年目ながら16勝を記録。その後も先発と中継ぎの双方で奮闘し、ポストシーズンでは勝負強い投球でセットアッパーとしても活躍。渡米後の4年間で3度の2桁勝利を記録するなど、強豪チームの中でも確かな存在感を放った。

〇坂本勇人内野手(2008年、巨人)144試合、134安打、8本塁打、43打点、10盗塁、15犠打、打率.257、出塁率.297、OPS.650

 プロ1年目の2007年は4試合の出場にとどまったが、08年に早くもレギュラーを獲得して全試合出場。チームの逆転優勝に大きく貢献すると、以降は巨人の不動のショートとして走攻守にわたって活躍を続けていく。09年には打率.306をマークし、10年には打率こそ.281に落としたものの31本塁打を放った。12年には173安打で自身初の打撃タイトルとなる最多安打を手にした。

 その後も守備の負担の大きい遊撃手を務めながらレギュラーとして出場を続け、16年には打率.344、出塁率.433で首位打者と最高出塁率の2冠を獲得。19年には自身初の40本塁打を放ってチームのリーグ優勝にも大きく貢献し、初のリーグMVPに輝いた。名実ともに2010年代の巨人を象徴する選手の1人となり、攻守にわたって華のあるプレーを見せて主将としてもチームをけん引し続けている。

大谷は投手で規定投球回に到達して11勝、打者で10本塁打&打率.274をマーク

〇大谷翔平投手(2014年、日本ハム)
投手成績:24試合、11勝4敗、155回1/3、179奪三振、防御率2.61
打撃成績:87試合、58安打、10本塁打、31打点、1盗塁、0犠打、打率.274、出塁率.338、OPS.842

 花巻東高校時代に160キロの速球を投じて話題となった大谷は、プロ1年目から「二刀流」として投手で13試合、野手で77試合に出場した。防御率4.23、打率.238とプロの壁に跳ね返されたが、続く14年には早くも能力の一端が開花。投手としては規定投球回に到達して11勝、野手としてもOPS.842と双方で一流クラスの成績を記録し、NPB史上初めて、10勝と10本塁打を同一年度に達成した選手となった。

 その後も二刀流として過去に類を見ない活躍を続け、15年には最多勝、最優秀防御率、、最高勝率の投手3冠を獲得。16年には投手で10勝・防御率1.86、野手で22本塁打・打率.322の大活躍でリーグMVPに輝き、投手と指名打者の2部門でベストナインに選ばれるという快挙を達成した。エンゼルス移籍後もその活躍は続き、18年にはアメリカン・リーグの新人王を受賞。19年には日本人史上初めてMLBでのサイクルヒットを記録している。

〇松井裕樹投手(2015年、楽天)63試合、3勝2敗、12ホールド、33セーブ、72回1/3、103奪三振、防御率0.87

 桐光学園高校時代に甲子園で1試合22奪三振という驚異的な投球を披露して注目を集め、プロ1年目の2014年は先発を務めた。27試合で4勝8敗ながら防御率は3.80で、投球回を上回る奪三振数(116回で126奪三振)と内容は及第点以上だった。抑えに転向したプロ2年目の投球内容はまさに圧巻。高卒2年目で防御率0点台、33セーブ、リリーフで100奪三振という数字を並べるだけでも、その活躍ぶりが伝わってくる。

 その後もリリーフとしてフル回転の活躍を続け、5年間で4度の30セーブ超えを達成。18年には史上最年少で通算100セーブに到達し、19年には自身初となる最多セーブのタイトルも獲得した。球界屈指のクローザーへと成長したが、20年からは再び先発に転向。開幕から先発を務めるのは1年目以来となるが、最終回という修羅場を幾度となく経験し、大きく進化した姿を新たな持ち場でも見せてくれるだろうか。

〇森友哉捕手(2015年、西武)138試合、136安打、17本塁打、68打点、0盗塁、0犠打、打率.287、出塁率.357、OPS.825

 大阪桐蔭高校時代から強打の捕手として注目されていた森は、プロ1年目の2014年に41試合で打率.275、6本塁打をマーク。翌15年には2年目にしてレギュラー定着。指名打者や外野手として出場を続け、規定打席にも到達した。16年の終盤戦には捕手に復帰したが、17年は故障の影響で38試合の出場にと
どまってしまう。

 守備の負担が大きい捕手に戻ったものの、卓越した打撃センスはより凄みを増していった。18年は正捕手として136試合で打率.275、16本塁打、80打点を記録し、リーグ優勝に大きく貢献。19年には打率.329、23本塁打、105打点とさらに成績を伸ばし、捕手として史上4人目の首位打者と自身初のリーグMVPに輝く。まだ24歳という若さでリーグ屈指の捕手となり、攻守両面で右肩上がりの成長を続けている。

オリックス山本は54試合に登板、32ホールドをマークした

〇山本由伸投手(2018年、オリックス)54試合、4勝2敗、32ホールド、1セーブ、53回、46奪三振、防御率2.89

 山本は2016年ドラフト4位と、決して多くの注目を集めてのプロ入りではなかったが、今やその才能を疑うものはいないだろう。プロ1年目の17年は2軍で8試合に登板して防御率0.27という驚異的な数字を残しながら、1軍では5試合登板で1勝1敗、防御率5.32にとどまった。しかし、翌18年に速球と鋭く落ちるフォークを武器に中継ぎとして大車輪の活躍を見せ、初のオールスターにも選出されるなど飛躍の1年に。

 翌19年に先発に再転向するとその投球はさらに切れ味を増し、シーズン初登板となった4月3日のソフトバンク戦で8回1死まで無安打投球を披露。その後も安定感抜群の投球を続け、勝ち星こそ20試合の登板で8勝ながら、防御率1.95という好成績を残した。シーズン最終登板で規定投球回も到達し、自身初タイトルとなる最優秀防御率を手にした。

 以上のように、後にMLBでも活躍した選手や、NPBにおいて大きなインパクトを残した選手たちが数多く顔をそろえる結果となった。やはり若くしてレギュラーを獲得したり、先発やリリーフとしてチームの骨格を担う存在に成長したりした選手は、往々にして長期にわたって球団を主軸として支えられるだけの才能を備えているようだ。

 今季ブレークを果たす高卒1年目、あるいは2年目の選手がいれば、その選手たちの今後の活躍にも大いに期待ができるだろう。多くの逸材がひしめくNPBにおいて、先輩たちのようにいち早く頭角を現す選手はいるか。各チームの中長期的な展望にも良い意味で影響をもたらす若き力の躍動が、2020年にも見られることに期待したい。(「パ・リーグ インサイト」望月遼太)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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