偏見や無理解…それでも私たちは不幸ではない 【連載】大空といつまでも 医療的ケア児と家族の物語<14>

大空君のベッドの上には家族が毎月作った冠が飾られている=長崎市内

 子どもが保育所に入所できない、母親の体調が悪い日は学校まで車で送るのがつらい-。私(記者)は2年前、人工呼吸器の装着など「医療的ケア」が日常的に必要な子どもたちの取材を始め、家族が直面している課題をいくつか紙面で取り上げた。だが家族の心情をどこまで理解できているのかまったく自信がなかった。そんな時、出会ったのが18トリソミーの出口大空(おおぞら)君と母親の光都子(みつこ)さんだった。
 最初は災害時の医療機器の電源の必要性を考える取材だったが、自宅の天井に通したひもに並べて飾っていた「月誕生日」の冠が印象に残った。一日一日を大切に過ごしたい。そんな思いを感じ取り、光都子さん、夫の雄一さんに長期の取材を申し出ると、快く応じていただいた。
 ただでさえ忙しい光都子さん。取材は1回1時間~1時間半と決めていたが2時間を超えることも。長崎くんちや屋外施設への外出などにも同行。昨年9月の長崎大学病院受診では、3つの科の診察、聴力検査、補聴器チェックに3時間半かかった。「きょうはいつもより早かった。5時間以上の時もあります」と光都子さん。
 大空君は言葉を発することができないが、何回も通ううちに表情やしぐさからその時の気分が少しずつ分かるような気がしてきた。機嫌が良ければ両手を顔の上にかざして指遊び。病院で胃ろうのボタンを交換する時は痛みで顔をしかめて体をよじらせていた。
 みさかえの園総合発達医療福祉センターむつみの家(諫早市小長井町)の近藤達郎医師は以前、18トリソミーの子どもの家族の集まりに出席し、そこで保護者から向けられた言葉が忘れられない。「私たちは不幸ではない。この子がいてくれたおかげで『幸せの達人』になれた」。日々、偏見や無理解からさまざまな不快な思いもしているはず。でも「毎朝目覚めるたび、この子がきょうも息をして生きていてくれたと心から実感できる」と言われたという。
 300回近く入退院を繰り返している森本裕也さんの母親瑞佳さんも、裕也さんと3人の弟妹が子どものころ、1つの部屋で一緒に寝ている姿を見て「きょうは4人そろっている。幸せだなあ」と胸がいっぱいになっていた。
 だが、と思う。光都子さんも瑞佳さんも胸が張り裂けそうな思いを何度もしながら、わが子の命を必死に守ってきた。それは家族で乗り越えるしかないのか。それとも他の誰かが支えることができるのか。その答えを求めて、私は広島県呉市に住む1人の女性を訪ねた。

【次回はインタビューを掲載します】

 


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