今こそ音楽の力!ジョン・レノンが「イマジン」で歌っている想像力とは? 1980年 12月14日 ジョン・レノンの「イマジン」がセントラル・パークでの追悼集会で流れた日

きっかけは新型コロナウイルス、再びチャートインした「イマジン」

逝去後40年の12月を待たずして、ジョン・レノンの「イマジン」が、3月28日付のアメリカ、ビルボードのホット・ロック・ソングス・チャートの15位に再登場した。

このきっかけは映画『ワンダーウーマン』の主演、イスラエル出身の女優ガル・ガドットがインスタグラムに公開した、音楽界や映画界のスターたちのメドレーによる「イマジン」のカヴァーであった。

新型コロナウイルスによる待機生活の中ガドットは、イタリアの男性がやはり自宅待機している近所の人のためにバルコニーで「イマジン」をトランペットで吹く動画を観て感銘を受けたとのこと。ナタリー・ポートマン、シーア、ノラ・ジョーンズ、ジミー・ファロン等が普段着で、主に自宅で歌い繋いでいる。

そしてイギリスでも「イマジン」は、ロックダウン以降再生回数が増加した曲の7位にランクされた。

1971年のリリースから50年近く、ジョンの逝去からも40年が経とうとする中、「イマジン」はいつまで多くの人の耳に届き続けるのだろう。

1980年12月、ジョン・レノン追悼集会で流れスタンダードに

「イマジン」は1971年10月にアメリカで同名のアルバムからシングルカットされ、ビルボードで最高3位、日本でもオリコン最高14位を記録している。

しかし意外なことにジョンがこの曲をレコーディングした本国イギリスでは、4年後の1975年10月までシングルにならなかった。同月にリリースされたジョン初のベスト盤『ジョン・レノンの軌跡(Shaved Fish)』からカットされたが最高6位に留まっている。「イマジン」がイギリスで1位(4週)に到達したのはジョンの逝去翌月、1981年1月のことであった。

ジョンの逝去から6日後の1980年12月14日、ニューヨークのセントラル・パークで追悼集会が行われた。現地時間の14時から10分間黙祷が行われ、この間ニューヨークのラジオ局も無音になったのだが、その沈黙を破るべく流れてきたのが「イマジン」だった。

ニューヨークの冬の曇り空に「イマジン」が流れてきた光景を、当時中3だった僕はワイドショーで観て未だに忘れられない。独特な音色のピアノのイントロが印象的な、聴いたことの無いあまりに美しいこの曲を求めて、僕は家にあったザ・ビートルズの後期ベスト盤『1967-70』(いわゆる青盤)を引っ張り出した。こんな名曲はビートルズの曲に違いないと思ったという、今となっては恥ずかしく、かつジョンに少々失礼な思い出である。

つまり僕もひと目ならぬ “ひと聴き惚れ” をした。そしてこの日をきっかけに「イマジン」はスタンダードたる地位を確たるものにしたのではないかというのが僕の持論だ。イギリスでの1位獲得にも寄与したに違いない。

80年代を通して、どんどん大きくなっていく「イマジン」の存在感

いわば80年代にスタンダードの道を歩み始めた「イマジン」だが、その道程は決して平坦ではなかった。

1982年のフォークランド紛争、1991年の湾岸戦争の時にはイギリスBBC で放送禁止になってしまう。その歌詞が反戦的と捉えられたからだ。2001年のアメリカ同時多発テロ事件後にも、歌詞に問題がある曲のリストに入れられている。この時にはニール・ヤングが抗議の意味を込めてテレビのチャリティー番組で敢えてこの歌を歌っている。

このような仕打ちは、「イマジン」が歳月を越えて聴き続けられていることにも理由があっただろう。

1988年にはジョン・レノンの伝記映画『イマジン / ジョン・レノン』が公開。主題歌として「イマジン」がシングルカットされ、イギリスでチャートインした(45位)。生誕50年、逝去後10年の1990年にも「イマジン」がフィーチャーされていた。

そして前世紀末の1999年にはイギリスで三度(みたび)シングルカットされ、なんと3位を記録している。2012年にはロンドンオリンピックの閉会式で使われ、この時もイギリスで18位まで登っている。存在感はここまで大きくなったのだ。

反戦ソングから祈りの歌へ、流れが変わった東日本大震災

しかし存在感が増すにつれ、ファンの間から “ジョンは愛と平和のだけの人ではない” “ジョンはロックンローラー。イメージが「イマジン」で固まるのは嫌だ” という声が上がり始めた。正直に言うと僕もうなずかざるを得ない部分はあった。しかし同時に、好きでなくなるにはこの曲はあまりに美し過ぎた。

この流れが変わったのは2011年であったかもしれない。3月11日に起きた東日本大震災に対し、その2週後の25日に欧米のアーティストによるチャリティー・アルバム『ソングス・フォー・ジャパン』リリースされたのだが、この1曲めが「イマジン」であった。

ここでの「イマジン」は明らかに反戦ソングではなかった。

そもそも反戦ソングならば、新型コロナウイルスのいつまで続くとも分からない脅威と向き合っている今、「イマジン」が聴かれている理由にはならないだろう。僕は「イマジン」は人間の想像力へのエールであり、また祈りの歌ではないかと思っている。想像力に関しては渋谷陽一氏もかつてどこかで同様なことを言っていた。

これからはエンパシーの時代、それは感情や経験を分かち合う能力

話題のノンフィクション、ブレイディみかこの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』によると、イギリスではこれからは “エンパシーの時代” と言われているそうだ。エンパシー(共感、感情移入)とは “自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力” と定義されていて、“かわいそうな人や、自分と似たような意見を持った人に抱く感情” であるシンパシー(同情)とは異なる。シンパシーが “情” であるのに対し、エンパシーは “力” なのだ。

そしてエンパシーこそが分断を無くし多様性を認める鍵となる。当然その先では戦争も無くなるのだ。

ジョン・レノンが「イマジン」で歌っている “想像力” も分断を無くしひとつになろうとする “力”。ということは「イマジン」で歌われている “想像力” はエンパシーであると考えてもよいのではないか。

“力” すなわち “能力” だから鍛えることも出来る。鍛えられたエンパシーを使うことで、私達は他者にも寛容になれるのではないだろうか。未曽有の事態の中、先の見えない不安が続いている今こそ、改めて寛容が求められると僕は思う。しっかりと歩を進めなくてはならないこんな時こそ、不寛容に足を引っ張られている暇など無いのだ。

エンパシーこそが想像力、今こそ音楽の力に向き合うべき

「イマジン」は、我々が想像力=エンパシーを強く持てるようにという、エールであり祈りの曲なのだと僕は思う。癒しであると同時に叱咤激励でもあるのだ。僕はここに音楽の力を感じるし、こんな状況下だからこそ一層強く感じる。

聴く者の心境の変化によって音楽は見せる表情を変える。つまり音楽の力を引き出すのは聴く者の側なのだ。我々は今こそ、改めて音楽の力に向き合うべきなのではないだろうか。

最後に「イマジン」だが、生前ジョンは、妻ヨーコ・オノの著書『グレープフルーツ』の中の「これを想像して」「あれを想像して」と指示する作品からの影響を認めていて、作者を自分だけとしてヨーコをクレジットしなかったことを後悔していた。これが2017年6月にようやく公的に認められ、今ではクレジットがジョンとヨーコの共作になっていることにも触れないわけにはいかないだろう。

カタリベ: 宮木宣嗣

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