名スカウト「私が見てきたなかでベストの投手はテイラー」

53年間にわたって数多くの選手を見てきた名スカウトのロン・リッジだが、ベストの選手を目にしてから30年近くが経過しているという。リッジは、誰がベストの選手だったかを尋ねられると迷わず「私が見てきたなかでベストの投手はブライエン・テイラーだった」と答える。しかし、リッジが「彼は野球の歴史のなかでも最も優れた投手の1人だった」と言うほどの逸材だったテイラーは、メジャーに昇格することができないままプロ野球選手としてのキャリアを終えている。

ノースカロライナ州のイースト・カータレット高校に在籍していたテイラーは、身長190センチ、体重99キロという大型左腕だった。リッジは「ブリュワーズで働き始めたばかりのときに、最初に見に行ったのがブライエン・テイラーだった」と当時を振り返る。「彼は打者全員を三振に仕留めて完全試合を達成したんだ。最後の1球は98マイルだった」とリッジ。その衝撃はすさまじく、電話をかけてきたスカウト部長に「信じられません」と伝えたほどだった。

選手の評価をする際に、アメリカでは一般的に20から80のあいだの点数が付けられる。スカウト部長からテイラーの点数を尋ねられたリッジは「72」と回答。リッジによると、53年間のスカウト生活において70以上の点数を付けた選手はテイラー以外に皆無だという。「ほかの選手の視察に訪れる際、テイラーの存在を脳内から消し去るのに数ヶ月もの時間が必要だった」と語るほどの衝撃だった。

84イニングで200以上の三振を奪い、被安打18、与四球24という圧倒的なパフォーマンスを見せたテイラーは、1991年のドラフトで全体1位の指名権を持っていたヤンキースに指名され、当時の最高額となる155万ドルの契約金を手にしてプロ入りした。「ベースボール・アメリカ」誌のプロスペクト・ランキングでも1992年開幕前に全体1位という評価を受けたテイラーだが、この男がメジャーのマウンドに上がることはなかった。

プロ1年目の1992年にA+級で27試合に先発して161回1/3を投げ、6勝8敗、防御率2.57、187奪三振をマークしたテイラーは、翌1993年もAA級で27試合に先発して163回を投げ、13勝7敗、防御率3.48、150奪三振と着実な成長を見せた。ところが、1993年オフにフィールド外でのトラブルによって左肩を負傷し、キャリアが暗転。1994年を全休したあと、1995年はルーキー級での11先発で防御率6.08に終わり、その後もA級以上の階級でプレイすることなく、インディアンス傘下のマイナーでプレイした2000年を最後にプロ野球選手としてのキャリアに幕を閉じた。

それでもリッジは「彼がベストの投手だった」と断言する。野球の世界に「たられば」は禁物だが、もしテイラーが左肩を壊していなかったら、どんなキャリアを過ごしていたのだろうか。

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