中野のヒーロー野村義男!The Good-Bye が残した極上のポップセンス♪ 1983年 9月1日 The Good Bye のデビューシングル「気まぐれ ONE WAY BOY」がリリースされた日

バイク屋の倅、中野出身のヒーロー、ヨッちゃんこと野村義男

「バイク屋の倅が学園ドラマに出ている」僕の町でそんな噂が飛び交い、町中が大騒ぎになったのは僕が小学校5年生の時。バイク屋の名前は野村モータース。決して大きくはない地域に根差したバイク屋で、軒先ではいつも親父さんが黙々とバイクを修理していた姿を思い出す。

そう。バイク屋の倅とは、僕の地元、中野出身のヒーロー、ヨッちゃんこと野村義男だ。無論、学園ドラマというのは、79年10月26日にスタートした『3年B組金八先生』。ヨッちゃん演じる梶浦裕二は風呂屋の息子という設定で、第3話「君は裸のビーナス」で主役に抜擢される。青臭くも恥ずかしい思春期の心情をクローズアップした作品で初々しい演技が大きな反響を呼んだ。

たのきんトリオ大旋風! 金八先生から飛び出したジャニーズ3人衆

そして、この1か月後にはマッチ主演の第7話「学ラン長ラン大混乱」が放映された頃になると番組の人気に拍車がかかり、冒頭のような噂が町中に飛び交うようになった。閑静な住宅街だった僕の町の商店街には、何時ぞやからファンが押し寄せるようになり、ある日、「マッチがヨッちゃんちに遊びに来てる!」という噂が飛び交い町中大混乱になったこともあった。

その後、番組から飛び出し、空前の大ブームを巻き起こすたのきんトリオは、トシちゃんが金八先生終了から約3か月後の80年6月21日、レイフ・ギャレットの「ニューヨーク・シティ・ナイト」をカバーした「哀愁でいと」でデビュー。遅れて半年後の同年12月12日にマッチが「スニーカーぶる~す」でデビュー。その後もレコードデビューに関して沈黙を守ってきたヨッちゃんが野村義男名義のアルバムアルバム『待たせてSorry』でデビューを飾ったのは83年の6月1日。

この時期、トシちゃんは、デビュー時のイメージを踏襲しながら後の持ち味となる極めてプロフェッショナルなエンタテインメント性を示唆するようなディスコ歌謡の名曲「シャワーな気分」をリリース。片やマッチは主演映画『嵐を呼ぶ男』の主題歌となり、のちのショーケン路線の男っぽさをも感じさせる「ためいきロ・カ・ビ・リ-」をリリースしてた時期である。つまり2人はすでにアイドルとしての過渡期を迎え、次なるイメージ戦略や方向性に試行錯誤を必要とする時期にヨッちゃんは満を持してのデビューとなった。

The Good-Bye 誕生! 極上のポップセンスと親しみやすいメロディ

それまで幾度もヨッちゃんの歌手デビューに関してはジャニーズ事務所内で議論が交わされていたことは容易く想像できる。しかし、譲らないギタリスト志向、そしてツインヴォーカルのバンドでデビューしたい… という構想を念頭にしながら形になるまでは約3年という月日を要したことになる。そして本人名義のファーストソロアルバムリリースから3か月後の9月1日、野村義男、曽我泰久、加賀八郎、衛藤浩一という最強の布陣で The Good-Bye が誕生。ツインヴォーカルの持ち味を十分に生かし、ビートルズからハードロックの様式美まで様々なジャンルのエッセンスを内包したデビューシングル「気まぐれ One Way Boy」がリリースされた。

ツインヴォーカル、そしてフロントに立つ2人がソングライターとして名を連ねる。彼らの疾走感溢れる持ち味が存分に放たれた4枚目のシングル「YOU惑-MAY惑」からほとんどの楽曲でレノン=マッカートニーさながらに野村義男=曽我泰久のクレジットが並ぶ。極上のポップセンスと親しみやすいメロディからもビートルズを想起する人も多いと思う。もちろん彼らの根底には常にビートルズがあったと思うし、84年にリリースされたセカンドアルバム『Good Vibrations』では『ペット・サウンズ』以降のビーチボーイズ、とりわけブライアン・ウィルソンを思わせる重厚なスタジオワークを施すアレンジセンスが際立った。

最近では、コアな音楽ファンからは、切なさの募るメロディラインから和製パワーポップとも評されている。しかし僕の中では、その日本人の琴線に触れるメロディラインや疾走感のあるグルーヴは、大倉洋一=矢沢永吉でソングライティングを手掛けたキャロルを思い起こしてしまう。

ロックの素晴らしさを80年代の歌謡曲シーンに

ともあれ、そんな多くの伏線を孕んだ彼らの音楽性こそが今改めて評価されるべきだと思う。このような多様性を持ちながらも、80年代の歌謡曲シーンにも対応すべく普遍的な親しみやすさを前面に打ち出している部分が The Good-Bye の最たる持ち味ではないだろうか。つまりこれは、ロックファンのみならず、少しでも多くの人にロックの持つ素晴らしさ、ダイナミズムを届けようとする使命感と思わずにいられない。

そんな The Good-Bye は、15枚のシングルと9枚のアルバムをリリースし90年に活動を停止するが、2003年に「再会」ライブを行い復活。その後2013年にはベーシストの加賀八郎が死去するという悲しい出来事が…。それを乗り越え、同時期からコンスタントにアニバーサリーでライブを継続して展開する。そして2018年にデビュー35周年を迎え、2019年にはニューアルバム『Special ThanX』をリリースし東名阪ツアーを敢行。この時の東京公演も、わが町の大スターヨッちゃんを生んだ僕らの地元、中野サンプラザであったことも感慨深い。

野村義男の終わりなき物語、今なおギターに我が身を捧げ!

浜崎あゆみのバックバンドでギタリストを務めるなど、ヨッちゃんのその後のギターを軸に置いた多岐に渡る音楽活動は周知の通りだ。大好きなギターを一途に愛し、職人気質ともいえるほど頑固にわが道を追求する姿は、僕の地元のバイク屋で黙々とバイクを修理していた親父さん譲りなのだろうか。そんなことを考えると嬉しくなるから、やはりヨッちゃんは地元の星だ。アルバム『Special ThanX』に収録された「Never Ending Story」の中ではこう歌われている。

 終わりのない物語はまだ続くよ
 永遠はいつも瞬間の連続
 涙の数だけ優しさを覚えたね Dear Friends
 君といられたら失うものもないさ

これは盟友、加賀八郎氏に捧げられ、ファンに捧げられ、そして今も継続中の The Good-Bye に捧げられているのだろうか。そこにはヨッちゃんの生き様をも具現化していると思う。

また、2020年2月にリリースされ、7年越しの月日をかけたというソロ名義のアルバム『440Hz with - LIFE OF JOY -』では、デビューアルバム『待たせてSorry』と同じ構図でギターを抱えた55歳のヨッちゃんが佇む。ひとつのことを貫き、今もギターに我が身を捧げる地元の星は僕らの誇りでもある。

カタリベ: 本田隆

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