理解を超えた心情 十分なケアに必要な体制 【番外編】大空といつまでも 医療的ケア児と家族の物語

大空君の七五三で記念撮影をする家族=昨年11月10日、西彼時津町内の神社

 連載の序盤に盛り込みたいと思いながら、全体の構成上ここまで書けなかった物語がある。
 18トリソミーの出口大空(おおぞら)君の母親光都子(みつこ)さんは短大を卒業後、印刷会社に就職した。5年ほどがすぎたころ、障害のある人が作った詩に曲をつけて発表する「わたぼうしコンサート」の冊子作成を担当。コンサート会場にも足を運び、ステージ上の障害者の生き生きとした姿に心を打たれた。
 障害のある子どものために働きたいと思い退職し、保育所で補助員として働きながら保育士の資格を取得。療育施設に飛び込みで履歴書を持参したところ、偶然にも職員採用面接の日で、そのまま受けさせてもらい合格した。結婚、2人の娘の出産を経て、障害者の社会復帰を支援する施設でも働いた。障害者への理解は人一倍あるはずだった。
 そんな光都子さんが、おなかにいる子どもに重い障害があると分かった時、なぜそれほどまでに苦しんだのか。「わが子は健康に生まれてくるのが当たり前と心のどこかで思っていたのでしょう。生まれても短命と言われたショックが大きく、丈夫な体に産んであげられないと思うと…」
 子どもができたと分かった時、健やかな成長を願わない親などいないだろう。光都子さんの言葉を聞いて、それは障害への理解があるかどうかとは別次元の、根源的な心情だと気付かされた。たとえ子どもに障害がなくても、子育てに程度の差はあれ病気はつきものであり、そのたびに親は一刻も早い回復を願う。
 ただ通常の子育ては次第に手が掛からなくなるが、重い障害を抱え医療的ケアが必要な子どもの親には終わりがない。親は年齢を重ねるごとに体力は落ち、十分なケアができなくなっていく。多くの地域で支援体制は不十分だが、国家財政は逼迫(ひっぱく)し、今後どこまで「公助」が広がるのか見通せない。
 だが希望はある。今回の取材で多くのプロの方々に出会った。大村市の障害児支援施設「あゆみの家」の岡田雅彦医師は県内各地で医療的ケアの勉強会を開き、多職種の連携に取り組んでいる。諫早市小長井町の「むつみの家」では重い障害を抱える人々のためにさまざまな職種の人が献身的に働いていた。長崎市の訪問看護ステーション「鳴見」は、普段は外出が難しい親子のために花見などのイベントを毎年開催。他にも多くの医療、福祉、行政関係者、そして家族の熱意に触れることができた。
 事は一気には動かない。だがそれぞれが愚直に取り組むことで少しずつ前に進めると思う。家族とともに一日一日を大切に過ごし、緩やかだが確実に成長している大空君がそれを教えてくれた。

 


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