消毒徹底、おいしい食事 上海隔離ホテル(1)

 中国の日系企業で働くため3月に上海入りした私は、地元政府の新型コロナウイルス感染防止対策により定められた14日にわたるホテルでの隔離生活を余儀なくされた。防護服を着た職員が行き来する中、ホテルの部屋から出ることもできない生活は不安で心が押しつぶされそうになった一方、食事は予想よりおいしかった。「隔離仲間」との交流も生まれた。ホテルでの隔離生活について3回に分けて報告する。(NNA=青山なつこ)

上海市の空港から隔離ホテルに向かう中国人ら

 ▽日本人は私だけ

 3月中旬、上海市の浦東国際空港に到着した後、地元政府が用意したバスに乗せられた。隔離のため同じホテルに向かったのは計7人だったものの、日本人の私以外はすべて中国人だった。「刑務所のようなひどい環境のところに連れて行かれるかもしれない」と心配していた。到着したのは上海市の金融街にある高級ホテルで、正直、ホッとした。

 このホテルには既に60人以上が隔離されており、今後300から400人の受け入れを予定していることも分かった。ホテルの職員は「昨日は韓国人と米国人が来たが、中国語が通じずに参ったよ」と話していた。中国に留学経験があったので言葉に不自由しなかった。

 隔離された部屋は17階にあり、約20平方メートルの広さ。大きな窓があり、清潔感があった。大型のテレビや冷蔵庫も備え付けられている。学業を終えたばかりの20代の女性としては、ぜいたくな気分になった。日本の番組こそ見られないものの、中国各地のニュースや映画専門など計54チャンネルを見ることができた。

 飛行機が上海の空港に到着してから既に6時間以上が経過し、へとへとだった。幅2メートルのダブルベッドはふわふわして寝心地はよく、この夜はぐっすりと眠った。

ホテルに到着した人の隔離手続きをする防護服の人

 ▽防護服の男女が行き来、顔面に消毒液

 朝になると、廊下からバタバタと慌ただしい足音が聞こえてきた。防護服に身を包んだ「保健所の職員」と名乗る男女が、各部屋に弁当を配っている。食事は午前7時と正午、午後6時。防護服の職員は、同じフロアにある全ての部屋の前にお弁当を並べ「ご飯だよ」と叫ぶと、そそくさとエレベーターで退散していく。隔離された人たちとの接触を避けるためだ。防護服の職員は、細い管を片手に、透明な消毒液を廊下に散布して回る。

 通常は1日3回、朝食と昼食それに夕食を配り終えた1時間後に実施するが、多い時は1日に計5回。廊下だけでなく、各部屋のドアにもまんべんなく消毒液を吹きかける。廊下から部屋に入ってくる鼻をつくような臭いは、小学校のプールを思い出す。

 部屋のゴミは、指定の黒いビニールの袋に入れて午後7時までに部屋の前の廊下に置かなければならない。ある日ゴミ袋を出すのが遅れ、慌ててゴミ袋を出しにドアを開けると、顔面いっぱいに消毒液を浴びてしまった。消毒液が入ったタンクを背負った職員は何事もなかったかのように、そのまま立ち去った。

 トイレで大の用を足した後は洗浄剤で便器をきれいにしなければならない。排せつ物から感染するおそれがあるため、毎回、錠剤を10個便器に放り入れ、1時間後に洗い流してトイレの衛生環境を守る。部屋の掃除やベッドメーキングのサービスはなかった。風呂はシャワーで、きちんとお湯が出る。バスタオルの交換はないが、歯ブラシなどは4セット置いてあった。

隔離3日目に配られたの夕食

 ▽典型的な中国料理

 隔離2日目の朝食は、豆乳と中国風揚げパン、味付け卵と包子(肉まん)だった。典型的な中国式の朝食を前にし「上海に来た」と改めて実感した。豆乳は日本のものと比べ水っぽいが、ホットなので体が温まる。

 昼食はプラスチック容器いっぱいに詰められた温かい弁当。白米に3品の副菜が付いている。白菜炒めとセロリ炒め、それと大根の酢あえだ。主菜はローストダックで、デザートにヨーグルトも添えられた。食事は量が多いので腹いっぱいになる。夕食は、白米に豚肉ときくらげの炒め物、青菜炒めとラー油で炒めた大根。団子と冬瓜(とうがん)の煮物が主菜だった。団子は牛肉なのか豚肉なのか、はたまた羊肉なのか。食べても何の肉なのか結局分からなかった。生野菜が食べられなかったのは残念だが、けっこうおいしかったのは事実。日本食が少し恋しいものの「隔離生活も快適に過ごすことができるかもしれない」と思い始めたが、その後の隔離生活でその思いは裏切られた。(続く)

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