WRC:2022年『ラリー1』は進化か後退か。勝田貴元「トップカテゴリーは最高のテクノロジーを備えていてほしい」

 進化か、それとも後退か? 3月31日、FIA(国際自動車連盟)は2022年の導入を予定しているWRC世界ラリー選手権の新トップカテゴリーマシン『RALLY1(ラリー1)』に関して、重要なテクニカルインフォメーションを発表。要である共通ハイブリッドシステムをドイツのコンパクト・ダイナミクス社が供給すること、エンジンは現行WRカーに搭載される1.6リッター4気筒直噴ターボのGRE(グローバルレースエンジン)を継続使用することをアナウンスした。

 ラリー1規定のアウトラインに関してはすでに各マニュファクチャラーに伝えられていたが、エンジンとハイブリッドシステムをどうするかについてはなかなか最終決定に至らず、発表寸前まで議論が続けられたようだ。

 そのため、各陣営の技術陣は開発を本格化させることができず、技術規定が固まるのをいまかいまかと待ち続けていた。2022年1月の開幕戦まで約21カ月。決定はリミットぎりぎりのタイミングだったと言える。

 FIAは昨年、これまで直感的な理解が難しかったラリーカーのクラス分けを見直し、ラリー1からラリー5まで、大きく5つのクラスとすることを決めた。その頂点に立つのが、現在のWRカーに替わるラリー1。下位クラスに行くに従い、数字が大きくなっていく方式はフォーミュラカーと同様である。

 1997年に誕生したWRカーの名が消滅するのはさみしいが、ハイブリッド時代の到来を世に知らしめるためには効果的な策に違いない。

 FIAが発表したラリー1規定の概要を改めて見ていくと、どうしても冒頭に記したような疑問が頭に浮かんできてしまう。進化とはハイブリッドシステムの採用であり、これは世の中の流れに則したものである。また、ベース車選びの自由度を高めるパイプフレームの導入も、技術的には進化といって差し支えないだろう。

 スーパーGT GT500クラスと同様、スケーリングが可能となれば、より多くの自動車メーカーに参戦のチャンスが与えられる。一方で、アクティブセンターデフやパドルシフトの廃止は少なくとも技術面においては後退であり、最新、最高のラリーカーが量産車以下の駆動システムに留まるという事実に、どうしても違和感を覚える。

■歴史を繰り返すアクティブセンターデフ廃止

 前後メカニカルデフ、センターデフレスというパッケージは、R5(=新しいラリー2)と基本的には変わらず、WRカーにおいてはエンジンが初めて1.6リッター直噴ターボ化された2011年から2016年にかけて、同様のパッケージが採用されていた。シトロエンのラリーカーを例にとると、DS3 WRCの時代である。

 しかし、それより一世代前のC4 WRCはセンターデフを備え、初期モデルではアクティブ制御も行なっていた。歴史は繰り返すとはまさにこのことで、性能向上とコスト削減のせめぎ合いのなかで、アクティブセンターデフはつねに議論の対象となってきたのだ。

2010年のラリーGBを戦ったシトロエンC4 WRC

 アクティブセンターデフとパドルシフトを司る油圧システムを排除すれば、たしかに車両全体のコストは下がる。しかし、2017年の現行WRカー規定で復活させたものをなぜまた廃止するのかと言えば、それはハイブリッド化によるコスト増を相殺するためだ。

2022年規定では、足まわりは基本的に現行WRCカーを踏襲しながらも、アーム類のバリエーションを1タイプに制限したり、ハブまわりのデザインを単純化するなど、コスト削減を推進する内容。前後のデフは変更なしで、パッシブ機械式のまま

 ハイブリッドシステムはモノメイクとなり、その入札には4社程度が名乗りをあげたと聞く。各社が提案したシステムはそれぞれ異なり、価格面でも大きな差があったようだ。現行WRカーは1台1億円程度と言われているが、ハイブリッドシステムを追加するとなれば、1000〜2000万円程度コストが増えてしまう。

 最高値はウイリアムズ・アドバンスト・エンジニリング社の提案だったと言われ、コンパクト・ダイナミクス社は安価なオファーで入札を勝ち獲ったようだ。それでも、何か策を講じなければ、ラリー1がさらに高価になることは必至。駆動系をプリミティブなシステムに戻したのはハイブリッド化を実現するためであり、まさに進化のための後退である。

 コンパクト・ダイナミクス社は、以前アウディのWEC世界耐久選手権のLMP1マシンにハイブリッドシステムを提供していたドイツのサプライヤーであり、F1やフォーミュラEにもMGUなどを提供している。

 現在はドイツ・シェフラー社の100%子会社であり、そのシェフラー社はWECのポルシェ919ハイブリッドにシステムを提供していた。ラリーとの関係は希薄だが、レーシングハイブリッドに関しては充分な実績とバックボーンがあり、安心感はある。

 ただし、サーキットレースとは違い、崖から落ちて何回転もしたり、水没したりする可能性もあるラリーカーで、高圧電気系の安全性がどれくらい担保されているのかは未知数だ。

 ハイブリッドシステムがどのような構造になるのかは、まだ公になっていない。システムとしては比較的シンプルなもので、運動エネルギーの回生によるMGU-Kを採用し、モーターは1基。蓄電ユニットはリチウムイオン電池になることは決まっているようだ。

 MGUの出力は2019年末の段階で100kW(134hp)とされており、SSとSSをつなぐリエゾン区間を電気エネルギーで走行するだけでなく、SS中にハイブリッドブーストとして放出する可能性についてもFIAは言及していた。その方針は基本的に現在でも変わりなく、サプライヤーが決定したことにより、今後はより具体的な議論がなされるだろう。

 エンジンに関しては、各マニュファクチャラーの思惑が複雑に絡み合い、最終決定に時間を要したようだ。

■現行エンジン規定維持でトヨタは出遅れを回避か

 当初は、ハイブリッド化によるコスト増を抑えるため、R5カーにハイブリッドシステムを追加するという案も真剣に検討されたと聞く。すでにR5カーを持っているヒュンダイとMスポーツ・フォードがその案をプッシュしたであろうことは想像に難くない。

 一方、R5を持っていないトヨタにとって、仮にラリー1がR5ベースとなった場合、開発は完全なゼロスタートとなり、出遅れは必至となる。とくにエンジンはR5の場合、市販車ベースでなくてはならない。新たにすべてを作るということになると、トヨタの負担はかなり大きくなるはずだ。

「たしかに、我々とすればR5をベースにするメリットは大きかった。すでに優れたクルマとエンジンがあるからね。しかし、いろいろなことを考えると、エンジンについてはコストダウンをさらに推し進めたうえで、GREを継承するほうが得策だという結論に至った。誰もが納得できる決定だと思うよ」と、FIAからの正式発表を前にラリー・メキシコの現場で話してくれた、ヒュンダイチームのアンドレ・アダモ代表。

 実際、R5のエンジンで現行WRカーに匹敵するパフォーマンスを発揮するのは少々無理がある。シュコダ・ファビアR5を例にとると、最高出力は281.6hp、最大トルクは420Nmと発表されている。

 一方、WRカーのヒュンダイi20クーペWRCは、最高出力380hp、最大トルクは450Nm。実際の最高出力がさらに上であることは間違いなく、R5との出力差は100hp以上。ハイブリッドブーストを考慮しない状態で100hpを市販車ベースのエンジンに上乗せするのは、主に耐久性の面で現実的ではない。ハイブリッド化による重量増も無視できないファクターだ。

 ハイブリッドシステムは、シンプルな構造のものでも50kg以上、補機などシステム全体を含めると100kg近くに達する可能性がある。それはスペアタイヤ3〜4本分に匹敵する重量で、運動性能低下は避けられない。

 そこに、エンジンの性能ダウンが加われば、クルマ全体のパフォーマンスは大きく下がり、トップカテゴリーマシンとしての魅力は失われる。さすがにそれはまずいということをR5用エンジン推進派も認識し、GRE継続案に合意したようだ。

 ただし、コストダウンのため、アンチラグシステムのフレッシュエアバルブなどは禁じられ、ターボのシステムもシンプルなものになりそうだ。そして、年間使用基数も制限がさらに厳しくなるだろう。

 コスト削減のために、トランスミッションは現行の6速から5速にダウングレードされる。5速の4WDギヤボックスはR5カーでも採用されているが、最大トルクの違いを考えれば流用は難しい。新規で開発するとなればイニシャルコストが跳ね上がり、短期的なコスト増は避けられないだろう。

 足まわりについては、ハブおよびハブキャリア、アンチロールバーのデザイン単純化、アーム類のバリエーション制限、ダンパー構造のシンプル化など、とくにネガティブには感じられないような変更点が多い。

 空力パーツも大幅に制限される。現行WRカーとの最大の違いはリヤウイングで、ボリュームがかなり小さくなるようだ。さすがにR5の簡便すぎるリヤウイングよりはボリューミーになるようだが、ダウンフォースの低下は回避できないだろう。

 また、リヤのダウンフォース量が減れば、前後バランスをとるためフロントのカナード類なども小型化されるかもしれない。ヤリスWRCが先鞭をつけ、3月のラリー・メキシコでi20クーペWRCも採用した、フロントフェンダー上部のウイングレットなどの付加的パーツも禁じられ、外部から視認不能なダクトを用いた空力効果を得ることも禁止となる。

 以上のような空力面に関する規制は、開発およびランニングコストの削減と、ダウンフォースの低下による速度抑制という、ふたつの目的を持つ。たしかに、現在のWRカーのスピードは目を疑うレベルであり、とくに高速コーナーでのスタビリティは圧巻だ。

■勝田貴元「いまの走りの良さは維持してもらいたい」

 ヒュンダイのティエリー・ヌービルを筆頭に、多くのトップドライバーがそのスタビリティの高さが安全性につながっていると主張し、ダウンフォースレベルを下げることやホイールトラベルを減らすことは、ドライバーにとって決して歓迎できることではないと不満を述べている。

 昨年までファビアR5でWRC2プロを戦い、シリーズチャンピオンに輝いたトヨタの新鋭、カッレ・ロバンペラは次のように話す。

「R5とWRカーの最大の差は、アクティブセンターデフの有無だ。ファビアはR5のなかでは比較的曲げやすいクルマだったと思うけど、ヤリスWRCに乗って、違いの大きさに驚いた。運転して楽しいのは断然ヤリスWRCだし、とにかく自然なドライビングができる。ようやくアクティブセンターデフがあるクルマに乗れたのに、また昔みたいなハンドリングになってしまったとしたら、それは残念だね」

 同じく、R5からWRカーにステップアップした勝田貴元も同意見だ。

「レーシングドライバーにとってF1が憧れのクルマであるように、ラリードライバーにとってはWRカーに乗ることが夢です。トップカテゴリーのマシンは、やはり最高のテクノロジーを備えていてほしいし、パフォーマンスも最高であってほしい。ハイブリッドシステムの採用はもちろん賛成ですが、いまのWRカーの走りの良さは維持してもらいたいですね」

 貴元によれば、アクティブセンターデフの効果は絶大で、ナチュラルなドライビングを可能にするという。センターデフがない前後直結のR5は基本的にアンダーステアが強く、どうしても曲げるためのドライビングになってしまう。

 もちろん、前後メカニカルデフのプリロードやランプ角を変更することで、オーバーステア方向のセッティングにすることも可能だが、トラクションを考えると、たとえアンダーが出たとしても、フロント寄りのセッティングにせざるを得ないようだ。

「オット(タナク)さんなど、いまはすごくスムーズな運転をしているドライバーでも、センターデフがない時代のWRカーの走りを見ると意外とアグレッシブで、曲げるドライビングをしています。だから、本当に速いドライバーはきっとすぐに対応できると思います」

 ハイブリッドシステムの採用は歓迎すべきことだが、それによってコストが高騰すれば、WECのようにマニュファクチャラーが離れる可能性もある。また、動きの鈍いR5レベルのパフォーマンスのラリー1カーでは、観客の興味を惹くことはできないだろう。ラリー1規定が成功への正しい道を歩むことを、願うばかりだ。

FIAが新たに打ち出したラリーカーのクラス分けは、以前よりもだいぶ分かりやすくなった。ピラミッドの頂点に据えられるのはWRカーに替わる“ラリー1”で、その直下に従来のR5に該当する“ラリー2”が位置。2WDの“ラリー5”(旧R1)が最底辺となる

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