五輪延期、懸念される選手のメンタル いま求められる不安和らげるケア

MGCで国立競技場前を力走する選手たち=2019年9月

  新型コロナウイルス感染症の広がりを受け、東京五輪・パラリンピックの開催が当初の予定より1年遅れることになった。中止論も飛び交った中、代表チームや選手をサポートしてきた人間としては、中止でなく延期の結論に至ったことに安どしている。暗い世相にあってスポーツの果たす役割は大きい。一方で、選手たちは、多くの問題を抱えることになった。選手たちは今どんな精神状態にあるのか。この現実にどう向き合うべきか、スポーツ選手たちを精神面でサポートしてきた経験から考えてみたい。(関西福祉大学教授=岡澤祥訓)

  ▽モチベーション一気に低下も

  この間、選手の多くは、不安を抱えながら予定通りの開催を前提に準備してきた。「延期するならもっと早く決めてほしかった」と考えた選手もいたことだろう。この夏に照準を合わせた調整計画を白紙に戻し、練り直さなければならないからだ。

  世界最高水準のライバルたちと張り合うための技術や体力は簡単には身につかない。しかし一度身についたものは簡単には低下しない。延期によって、技術面や体力面に多少の課題が生じても、本番までに調整することは十分可能だ。むしろ心配なのは、選手のメンタル面だ。

東京五輪・パラリンピックの新たな大会日程が決まり、表示が再開したJR東京駅前のカウントダウン時計=3月30日夜(魚眼レンズ使用)

  今夏の試合に向けて、最高潮に高めてきたモチベーションを来年まで維持するのは想像以上に難しい。選手たちは「負けたらどうしよう」という不安を抑え、メダル獲得に向かってモチベーションが高まった状態にあった。この状況を今後1年半も続けることは不可能だ。延期の知らせを聞いて、緊張から解放された途端、モチベーションが一気に低下してしまう可能性が高い。

  既に五輪代表が決まっている競技で、卓球やマラソンなどは代表権が来年の大会まで維持される見通しが示されている。ただ選手の多くは「今後どんなことがあっても変更はないのか」と疑心暗鬼になっている。最終選考の段階で、まだ代表が決まっていない競技では、選手の不安はなおさら大きい。

 

岡澤祥訓氏

 私が関係する中でも、最終決定していないのに選考大会が中止になった競技の選手が数名いる。ある選手は、延期決定前「今はできることをやるしかない。結果はなるようにしかならない」と自分自身に言い聞かせ、最終段階の準備をしていた。これが、ある期間をおいて選考をやり直すとなればどうか。「本来なら自分が行くはずだったので、絶対に負けられない」と過緊張でメンタルが崩れる可能性は高い。

  ▽プラスに捉える発想の転換 

  パニックにならず、モチベーションを維持するために必要なことは何だろう。まずは新しい日程に合わせて、トレーニング計画を組み直すことだ。監督、コーチ、トレーナーなどのスタッフは、選手の不安を少しでも和らげるためトレーニング計画を選手とともに作成し「これを行えば大丈夫だ」と選手の自信を高める努力をしてほしい。

  ここで必要なのは、延期によって出来た1年の時間的な余裕をプラスに捉えることだ。技術や体力の目標をより高く設定し、それができれば、来年の五輪・パラリンピックでは自分たちが考えていたより良い成績が取れるとスタッフも含めて考えてほしい。

  多くの選手はこれまで限界を超えて頑張ってきた。このような選手に「気を抜くな、ここで頑張らないと取れるメダルも取れなくなる」と励ますことは控えた方がいい。選手は頑張ってきたし、そして頑張ろうとしている。スタッフやサポーターに必要なのは、選手を信じることだ。

聖火を掲げて走る野口みずきさん=3月12日、ギリシャ・オリンピア(共同)

 また新たな開催日時にピークを持ってくるよう活動を始めようと思っても、新型コロナの影響で、思い通りの活動ができないのが現実だろう。4月に計画されていた合宿や、選手が個人的に集まって練習する合宿などは中止の連絡が来ている。

  選手は、自分の置かれた環境の中で、何ができるのかを考え、できることをやればそれで良いと考えてほしい。完璧なんてありえない。できないことを不安に思うより、今できることをやるしかないと考えてほしい。

  もう一つ気がかりなのは、東京五輪・パラリンピックを目指し、大学を休学したり、就職を延期したりして頑張ってきた選手たちだ。引退を延ばした選手もいる。大会を終えたら、新たな人生に向かおうと準備してきた選手は、人生設計の組み直しが必要になってくる。

  延期決定を受けて、代表入りを諦める選手はいないと思うが、私のようにメンタルをサポートする者としては、どのような決断であろうと選手が決めた結果を尊重し、最大限支援していく必要がある。

  ▽暗い世の中を照らすスポーツの力

  今、新型コロナウイルスに感染して治療を受けておられる方がいる。患者を救おうと命がけで頑張ってくれている医療従事者がいる。そんな状況の中で「オリンピック、パラリンピックの話をするのですか」と思われる方もおられるだろう。

「復興の火」として展示するため、聖火皿へ移される東京五輪の聖火=3月25日、福島県いわき市

  私は、東日本大震災の時にプロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスの選手と話す機会が多くあった。選手から「仙台や東北が大変な時に野球をやっている場合ではない」という声を多く聞いた。私は「君たちがやれることは何でもやってください。でも私たちにしかできないこともあります。優勝して、東北を元気にすることです。だから頑張って優勝しましょう」と励ました。

  2年後の2013年、楽天は巨人との日本シリーズを制し、初の日本一に輝いた。この快挙は、復興に懸命に取り組む東北の人たちに大きな喜びをもたらした。この喜びは、東北だけでなく日本中の人たちにも広がった。

  東京五輪・パラリンピックを目指す選手の多くは今、少しでも良いプレーをして「日本を元気にしたい」「世界を元気にしたい」と願い、自らができることに打ち込んでいる。

  1年半後の本番で、未来に向かう明るいエネルギーを日本中、世界中に発信できるようしっかりやりきるしかない。暗い話ばかりの中、世の中を明るくしたいと奮闘する選手たちを、国民の皆さんには是非見守っていただきたい。

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岡澤祥訓(おかざわ・よしのり)1950年6月生まれ。奈良教育大学教授を経て、現在関西福祉大学教授。専門はスポーツ心理学。ソウル五輪からリオ五輪まで卓球ナショナルチームのメンタルサポーターとして活躍し、水谷隼選手らを指導。奈良教育大大学院では、柔道の野村忠宏さんを指導し、アトランタ五輪からアテネ五輪までの3連覇をサポートした。

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