1リットルの飲料水で14日? 上海隔離ホテル(2)

 日本から飛行機に乗り、中国の日系企業で働くため3月に上海に着いた私は、そのまま隔離されて14日にわたるホテル生活を余儀なくされた。不安な毎日に少し慣れてきた頃、今度は体調に異変が起き始めた。(NNA=青山なつこ)

隔離された人に配る弁当を片手に検温の結果を確認して回る保健所の職員

 ▽寒くて眠れず、ひどい頭痛に

 隔離5日目、寒さで目が覚めてしまった。頭がガンガンする。スマートフォンで時刻を確認するとまだ午前5時だった。新型コロナウイルス感染症の対策として、ウイルスが拡散しないようホテル全体の空調設備の使用が禁止されており、室内は12度前後。それに昼間は日光があまり差し込んでこない。掛け布団も薄いタイプのため、毎晩ダウンジャケットを着用し、小さく体を丸めて寝ていた。

 睡眠不足に加え、ひどい片頭痛。体温を測ると36・9度だった。隔離生活に入ってから最も高い。保健所の職員も「ちょっと要注意ね」の一言。検温で繰り返し37・3度を超えるようなら診察を受けなければならないらしい。

 午後になっても食欲はない。手足がかじかみ、頭痛がますますひどくなってきた。一人ではどうしようもなくなったので、この隔離が終わったら勤務する上海の会社に連絡し、体を温められるものを送ってほしいと頼んだ。頭が痛くて何をするにも集中できず、ベッドで横になっていた。

 夕方、湯たんぽと毛布、使い切りカイロが部屋の前に届いた。急いで湯を沸かし、湯たんぽの口に注ぎ込んだ。ぽかぽかの湯たんぽを抱きながら、深い眠りに落ちていた。翌朝は35・8度まで下がり、すっかり体調は回復した。

筆者が隔離されていた上海市内のホテルの部屋

 ▽接触避け、厳戒下の検温

 朝食と夕食の前には「検温」が義務づけられていた。隔離された人それぞれに1個ずつ水銀の体温計が配られていた。体温を測ってドアの前の廊下にある台に置いておく。その後、防護服に身を包んだ保健所の2人組がやって来て、一人が検温の結果を確認し、もう一人が用紙に記録。体温計を台に戻し、隔離された人と接触しないようにして立ち去る。厳戒下の検温だ。

 4日目から電話で報告する形に変更になった。隔離した人と接触しないようにするためということだった。隔離された人が体温計を廊下に出し忘れた場合、保健所の職員が部屋の前に呼び出し、おでこにデジタル式の体温計をかざして測らなければならなかった。体温計を出し忘れる人が後を絶たず、マスクをせずに部屋から出てくる人も多い。

 保健所の職員の安全を考えれば、電話での報告はよい方法かもしれないが「報告した体温が正確かどうか確認できないのではないか」と不思議だった。中国人の男性は隔離が終わった後に「検温を電話で報告するようになってから、まともに検温しなくなっちゃったよ」と話していた。

カードキーを使えず部屋に入れなくなった中国人の男性(右)と、鍵を開けた防護服の職員

 ▽親切な中国人の男性

 飲み水にも困った。ホテルに到着した日に500ミリリットル入りのミネラルウオーターを2本渡されただけ。これで14日をすごせということだった。

 保健所の職員によると、このホテルはミネラルウオーターが不足している。「必要なら部屋の洗面所の水を沸かして飲むように」と言われた。中国の水道水を飲んで腹を下した経験があった。防護服を着た職員が食事を配るところを見計らい、飲料水をもらえないかと何度も交渉したが、「部屋から飛び出してくるな」と注意されてばかり。仕方なく、部屋で沸かした湯を恐る恐る飲んで、喉の渇きを癒やした。鉄のような臭いがしたので、息を止めながら飲んだ。

 コンコンコン。ある日、私の部屋でノックの音が聞こえた。ドアを開けると、向かいの部屋にいる山東省の男性だった。「はい、どうぞ。俺の分をやるよ」と持っていたペットボトル2本を私に差し出した。防護服の職員のやりとりを聞いて、ふびんに思ったらしい。部屋からこっそり抜け出し、飲料水を分けてくれたのだ。こんな状況で他人を思いやる気持ちを持っているのに感激した。私が何度もお辞儀をすると、男性は「困ったときは何でも言いな」と話し部屋に戻ろうとした。

 ところが、男性の部屋のドアが開かない。カードキーをかざすが、開かない。カードの表と裏をひっくり返してかざしても、やはり開かない。そこに、防護服の職員が通りかかった。

 事情を説明したところでカードキーが反応しない謎が分かった。このホテルのカードキーは、部屋の入り口に差し込んで通電させる機能はあるが、鍵として使えなかった。隔離された人間がこっそり部屋から抜け出せないように細工が施してあったのだ。ここまで徹底するのか、正直、驚いた。不自由な生活は最後まで続いた。(続く)

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