車いす「押す」んじゃなくて「引く」んです 長野の会社が器具開発、災害時の避難に一役

車いすに取り付け人力車のように引っ張るU字形の棒状器具「JINRIKI」を紹介する中村正善社長=長野県箕輪町

 車いすを「押す」のではなく「引く」ものに―。長野県箕輪町の福祉用具会社「JINRIKI」が、車いすを人力車のように引っ張る棒状の器具を開発した。商品名は会社と同じで「JINRIKI」。押す場合に比べて段差や悪路も楽に移動でき、災害時の避難や足場の悪い場所での観光などに一役買う。「自分の命や、いろいろな場所に行くことを諦めてほしくない」と同社の中村正善社長(62)が考案した。一見単純に見えるが、開発の裏には、誰も目を付けてこなかった着眼点と試行錯誤があった。(共同通信=遠矢直樹)

 ▽車いすの「限界」

 元々金融システム関係の会社員だった中村さんは、仕事で同県松本市に滞在した際、市内の観光地・上高地で、車いすの利用者がバス乗り場から数百㍍のところまでしか行けない様子をたまたま目撃。「憤りを感じた」といい、どうにかして楽しむ方法はないのか考えるようになった。

 中村さんの弟が小児まひのため車いすで生活しており、野原や公園で遊べないなどの苦労を幼少期から近くで見てきたからだ。

 車いすは通常、段差を越える際、後部を支点に前輪を浮かさなければならないが、かなりの力が必要。女性や子どもでは難しい場合があり、津波で高台に避難する際などに本人と家族双方が逃げ遅れる恐れもある。

 「前輪を最初から浮かせば楽に動けるのではないか」と思い、同様の発想の特許などを探したが、見当たらなかった。

車いすに取り付け人力車のように引っ張るU字形の棒状器具「JINRIKI」を紹介する中村正善社長=長野県箕輪町

 ▽「これがあれば生きられる」

 2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに思いを強くし、翌月、会社を退職。開発に本格的に取りかかった。物作りについては「素人」だった中村さん。最初の試作品はビニールハウスのパイプを曲げて作った簡素な物だった。その後も試行錯誤を続けたが、メーカーごとに仕様が異なる車いすへの汎用性や、強い力が加わっても外れない安全性、着脱の簡便さを確保するのが難航し、開発は思うように進まなかった。

 くじけそうになったとき、背中を押してくれたのは、車いすを使う当事者の声だった。12年に三重県で実施された避難訓練に試作品を持っていったときのこと。参加していた車いすの男性が「あなたは私たち家族の命の恩人だ」と中村さんの手を強く握った。「そんな大げさな」と思ったが、男性は「津波が来て家族に『逃げろ』と言っても、きっと私を置いては逃げない。これがあれば、みんなと生きられる」と続けた。

 この言葉で「何としても作らなければ」と開発へのギアが上がった。

JINRIKIの試作品を使った三重県での避難訓練

 ▽特許を開放、普及願う

 数え切れないほど試作品を作り続け、震災からちょうど2年の13年3月11日に完成を発表、14年から市販を始めた。U字形の棒状器具で、左右の棒の端を車いすの前側下部に接続。前輪を浮かしてリヤカーのように引っ張る。常時取り付けておくタイプと、着脱できる型の2種類があり、市販されているほとんどの車いすに対応している。

 特殊なねじなどを使っているため、いずれも5万4780円と安くはないが、自治体によっては購入に補助が出る場合もあるという。福祉用具店などで販売しており、登山や雪道での使用から、災害時の避難、物資の運搬まで用途は幅広い。

 19年末までに約5千個が売れ、観光地や自治体で徐々に広まりつつあるが、「まだまだ知られていない」と中村さん。「世の中に広めたいから」と、開発の過程で取得した特許の使用料は取っていない。既に類似製品も作られているという。「うちの商品でなくても、車いすを引く器具やリヤカーを活用することで助かる命は絶対にある。一緒に進めてくれる仲間ができればいい」と、さらなる普及を目指している。

車いすに取り付け人力車のように引っ張る棒状の器具「JINRIKI」。手前は着脱できるタイプ=長野県箕輪町

 ▽取材を終えて

 初めてJINRIKIを見たとき、そのシンプルな外見に「この棒が特許?」と不思議だった。これまで同様の商品が作られてこなかったのも意外だった。しかし、中村さんの話を聞き、開発はそんなに簡単ではないのだと思い知った。実際に引いてみたが、確かに、少し高い段差でも押すのに比べてかなり楽に移動できる。「これなら子どもや女性でも使えるな」と実感した。災害時に障害者や高齢者が避難を諦めずに済み、1人でも多くの命を救う道具になることを期待したい。

© 一般社団法人共同通信社