「僕の人生が変わった」 元G左腕が“幻のセンバツ”に泣いた球児に寄せる思い

現在は父が経営するバス会社で働く尾藤竜一さん【写真:小西亮】

岐阜城北のエースとして2006年の選抜に出場、後に巨人に育成指名を受けた尾藤竜一さん

 甲高い打球音も、大歓声も、甲子園には響かない。春の風物詩が、ひとつ消えた。新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止となった第92回選抜高校野球大会。その華やかな舞台で14年前、快投を続けた元左腕は、夢を奪われた球児たちの姿が他人事とは思えない。

 すらりとした体躯に、しなやかな腕の振り。そして、甘いマスク。抜群の制球力と自在の緩急で、春の舞台を席巻する。2006年の第78回選抜高校野球大会。初出場だった公立校の岐阜城北は、実に岐阜県勢47年ぶりとなる4強進出を果たした。その快進撃の立役者こそ、エース左腕の尾藤竜一さんだった。

「あの時は、甲子園に出ることがチームの目標でした」

 尾藤さんはそう振り返る。一関学院(岩手)との1回戦を1安打1失点完投で制すと、智弁和歌山との2回戦では2戦連続の2桁奪三振&完投で中軸として本塁打も放った。「とにかくチームが勢いに乗っていて、不思議な感覚でした」。準決勝で、横浜に敗れるまで4試合すべてに先発し、1完封を含む3完投とマウンドに立ち続けた。

 美男子ぶりも相まって、地元では一躍スターに。「外に出るのがちょっと嫌になるくらいでした」と照れくさそうに思い返す。「全国区の舞台で自分の力を出せたというのが一番うれしかった。通用するんだなって」。野球への向き合い方も変わったといい、プロの世界を夢ではなく、確かな目標として意識するようになった。

巨人では1軍登板は叶わなかったが、引退後は中日の打撃投手を務める

 実際に5球団から調査書が届いた。周囲の薦めもあって早大に進学。左肘の故障で中退するも、手術後に巨人から育成2位指名を受けてプロ入りを果たした。1軍登板は叶わなかったが、引退後は中日の打撃投手を務め、計9年間プロ野球界に身を置くことができた。

「あのセンバツのおかげで、僕の人生が変わったのは確かです」

 だからこそ、この春に甲子園の土を踏めなかった球児たちの気持ちを考えると、胸が痛む。もちろん、安全を最優先に考えるとやむを得ない決断だったのは分かる。それでも、やるせない気持ちがあるのは皆同じ。「可哀想という言葉では片付けられないというか、自分が彼らの立場だったとすると…」。うまく言葉が出てこない。

 元高校球児のひとりとして言えるとすれば「高校野球は、3年間と終わりが決まっている。だから、最後に悔いが残らないようやり切ってほしい」。プロの世界と違い、勝ち負けが全てじゃないとも思っている。「一緒に汗も涙も流した野球部のメンバーとは絆が強い。今でも関係は続いています。大人になってあらためて思うのは、それも大きな財産なんだなって」。

 新型コロナの影響は、まだ終わりが見えない。現在、父が経営するバス会社の2代目として働く尾藤さんも、もろに影響を受けている。「いつまで続くのか…。何とか、夏までには終息してほしい」。せめて、集大成の夢だけは奪ってほしくない。元甲子園球児は、そう切に願っている。(小西亮 / Ryo Konishi)

© 株式会社Creative2