「カンニング竹山をハネさせたのは“カンニング”」竹山 、亡き相方への感謝を明かす

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石橋貴明が文化人、ミュージシャン、タレント、アスリートなどジャンルを問わず“話してみたいゲストを迎え、焚き火の前でじっくり語り合うフジテレビ『石橋、薪を焚べる』。

日々の喧騒を離れ、焚き火を見ながらゆったりと過ごす「スロートーク」の中で、ゲストの素顔や本音が垣間見られるトークバラエティだ。

4月7日(火)の初回放送の焚き人は、カンニング竹山。地獄の借金時代、相方の死、単独ライブ「放送禁止」誕生秘話など知られざるエピソードを石橋と焚き火の前で明かした。

左から)カンニング竹山、石橋貴明

戦力外通告、借金地獄…どん底で見つけた「キレ芸」

約20年前、所属事務所の会議で事実上の戦力外通告を受けていたカンニング竹山。当時は故・中島忠幸さんとコンビ「カンニング」として活動していたが、ライブでも全く受けずに私生活では借金が500万円もあったという。

竹山:最後、闇金ってとこですよね。

石橋:うん。

竹山:そこも行くんですよ。

石橋:最も行っちゃいけないところ。

竹山:でも、金がないから。自転車操業になってるし。

「漫画で見るような怖い」貸金業者から金を借り続け、借金は雪だるま式に増えていった。そんなある日、家に取り立て業者がやってきて、窓から逃げ出してライブ会場へ向かったという。

竹山:ライブ会場行ったらネタもできてないし、相方が「今日ネタどうするの?」って。「ネタなんかやるか!」って、そのとき辞めようと思ったんですよ、もう無理だと。「好きなようにしゃべるから、お前横におれ」と言って。

「もうこんなの今日で終わりだ、今日で福岡に帰ろう」って。もう何もないですから。そこでまず、お客の前でブチ切れて「なんやお前ら、笑いのセンスもないくせに上から目線で馬鹿野郎!」って。

「ひどい」と言い返してきた客に向かってケンカを売り泣かせてしまったが、舞台袖では芸人たちが大爆笑。相方の中島も笑っていたという。その様子を見ていた先輩芸人から「いけるぞ、怒るの売れるぞ!」と言われ、そこから「キレ芸」が生まれたという。

一夜で人生が激変!

深夜のお笑い番組『虎の門』(テレビ朝日/2001年~2008年)がきっかけで業界に名前が知られるようになると、その1~2年後に『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ)の「笑わず嫌い王決定戦」に出演。その翌日から「人生が変わった」と明かす。

竹山:「笑わず嫌い王」に出ると、オンエアの次の日から本当に人生変わるんですよ。全国区だから。『虎の門』は深夜4時くらいのローカル番組だから、お笑い好きの濃い関東の人は見てますけど、そんなに一般には知られないですよね。(「笑わず嫌い王」は)本当に次の日から変わります。

会社の電話が鳴りやまなかったと回顧し、「そこから日々忙しくなってテレビの仕事ができるようになったから、そこが売れていたピークですかね」と振り返った。

石橋と出会ったのもそのころで、石橋は「すごいコンビが出てきたな」と思ったと明かす。

石橋:おれ、最初(に会ったの)『うたばん』(TBS/1996年~2010年)だもんね。

竹山:そうです、そうです。

石橋:すっげぇ面白かったもんね。「俺たちは、こんなとこ出てるヒマねえんだよ!」って。「これやったら、バイト行かなきゃいけねえんだからよ」って(笑)。

「何も知らないから、怖いものがなかった」という竹山。ところが、やっとこれからというときに、相方の中島が闘病生活に入ることに。竹山は「(だから)カンニングでテレビに出たのって、約1年くらいなんですよ」と語り、不安の中で、ネタ番組に穴をあけまいと1人でただただ怒るようなネタをやっていた。

中島の復帰がかなわず2006年に亡くなったあとは、1人でテレビに出演しながらも漫才ができない状況に「俺って何なんだろう」と悩み続けていたという。

鈴木おさむに言い当てられた喪失感

そんな中、新たな“竹山スタイル”を築くきっかけとなったのは、放送作家の鈴木おさむから声をかけられて始め、現在まで続く単独ライブ「放送禁止」だった。

誰にも本心を明かしていなかったが、鈴木から「竹山くん、心にぽっかり穴が開いてるでしょ」と言い当てられ「“カンニング竹山”っていう芸人のスタイルを今から作りませんか。はじめはつらいかもしれないけど、何年もやっていればそれが竹山くんになって、いろんな仕事をやっても怖くなくなる」と提案されたという。

最初は断った竹山だったが、何ヵ月もその言葉が心に残り、翌年から単独ライブ「放送禁止」はスタートした。

竹山:身内ばっかり呼ぶところからはじまって、それを毎年やっていて。ただ、おさむさんと1個だけ約束していたことがあって、「中島の話を一切しない」と。中島の話をするときは、もし「放送禁止」が5年続いたら、5年目が中島の7周忌だったんですよ。そのときに中島が死んだことだけで、2時間お笑いを作ろう、と。

なんとか5年続け、5年目には「カンニングの葬式」というテーマでライブを行った。

竹山:相当悩みましたよ、人が死んだことで笑い作っていくから。それがえらいハネて、噂になって飛ぶようにチケットが売れるようになって。今思うと結局は、ピンでやろうとしたけど、「カンニング竹山」をハネさせたのも(「放送禁止」)5年目にやった「カンニング」なんですよ。(相方には)感謝してますね、すごく。

相方への感謝と共に「突っ走れるだけ突っ走らなきゃって義務感はありますよね」と語り、カンニングにとっての夢の舞台・中野サンプラザで単独ライブを行うことも報告。「今見たら(中島は)なんて言うんですかね」と、優しい表情で焚き火を眺めた。