新型コロナ緊急事態宣言の課題は 識者「同調圧力強まる懸念」「知事要請の監視を」

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(右)立命館大の美馬達哉教授(左)龍谷大の石埼学教授

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、緊急事態宣言が7日に東京都や大阪府などに発令された。安倍晋三首相は、人と人との接触を大幅に減らすため国民に従来の行動を変えるよう呼び掛けたが、個人の自由や権利が制限されることへの懸念も指摘される。医療社会学を専門にする美馬達哉立命館大教授と、憲法学者の石埼学龍谷大教授に今後の見通しや課題を聞いた。

■行動制限「守れない人」支援を

立命館大(医療社会学) 美馬達哉教授

 緊急事態宣言の発令はやむを得ない決断だろう。日本の感染の広がりからすれば、個々の感染者を追跡して隔離するのではなく、感染の広がっている地域ごとに行動制限する段階へ移行したと言える。中国・武漢などを見れば、強い行動制限には一定の効果があると思われる。しかし免疫のない未感染者が多いままなら、宣言が解除されれば再び感染が広がる可能性もある。
 懸念が二つある。一つ目は、行動制限を指示されても「守れない」人々が出る点だ。経済的に苦しく毎日働きに出る必要のある人や独居のお年寄りなど、自宅に閉じこもっては生活できない人々もいる。またDV被害に遭う恐れのあるケースもある。そうした人々を支援する枠組みが重要となる。
 日本の法律の枠組みでは、行動制限の指示を守らなくても罰則はない。生活の基盤が保証されなければ、指示を守らない人が多く出るかもしれない。一方で病気になりたい人はいない。誰もが指示を「守れる」ための補償が必要だ。
 二つ目の懸念は、「感染を防ぐためには何でもするべき」という同調圧力が強まり、地方自治体などが政府以上の制限に踏み切ることだ。
 2014年に米国でエボラ出血熱の感染者が出た時は、米国全域の公衆衛生を担う米疾病対策センターよりも州政府の方が強い隔離方針を打ち出した例があった。感染拡大を恐れる住民の声を重視した結果とみられる。しかし感染拡大が収まった後に、厳しすぎる隔離基準は違法だとする訴訟が起こっている。
 日本の現状を見ても、市民らの心配に過剰に配慮するあまり、自治体や会社、大学といった各組織がより強力に個人の行動を制限しようとする可能性がある。
 その場合に大切なのが「合理的な理由に裏付けられ、代替手段がないのか」という視点から感染対策を検討することだ。緊急事態宣言に伴って一定程度、個人の権利を制限するのはやむを得ない。しかし民主主義国家である以上、個人へのより少ない強制を模索する試みは常に必要となる。

■決定過程をオープンに

龍谷大(憲法学) 石埼学教授

 緊急事態宣言の発令により、地理的にも人口的にも、戦後最大規模の人権制約が行われることになる。国民が不安を抱くのは当然だが、国内の感染状況を考えると、相応の制約については受け入れられやすい情勢といえるだろう。
 公衆衛生の増進は憲法上、重要な価値を持っていることを強調しておきたい。国民の命を守るため、個人の自由が必要最小限の範囲内で制限される事態は許容されている。大事なのは両者のバランスをどう図るかということに尽きる。
 緊急事態宣言の法的根拠となる新型コロナ特措法には、都道府県知事が取り得る措置が限定的に列挙されており、過度な人権制限にはつながらないと考える。発令要件は妥当で、専門家の意見を介在させる仕組みにもなっている。問題が生じた際には裁判所の違憲審査権に服するわけで、乱用を防ぐためのブレーキは存在している。
 ただ知事による要請や指示が、合理的な理由や科学的根拠に基づくものかどうかについては不断の監視が必要だ。移動やコミュニケーション、集会などの自由の制限が不必要に長期化するなどの事態は避けられなければならない。
 各地の知事による外出や往来自粛要請など、個人の自由が制約される事態は事実上、宣言前からなし崩し的に存在していた。最たるものが安倍首相による一斉休校要請で、その内容は特措法の枠内を飛び越えた対応といえる。事後の検証のためにも、政策決定過程は可能な限りオープンにすべきだ。
 懸念しているのは、憲法改正による緊急事態条項創設の機運を高めようとする自民党議員らの発言だ。現行憲法でも感染症拡大防止のため、一定の人権制約に踏み切ることができる。にもかかわらず、憲法を最高法規とする現在の法秩序では新型コロナに対応できないかのごとき議論は筋違いであり、誤解を招くものだ。