人類が自滅する可能性を拡大する脅威  ブリクス元IAEA事務局長に聞く NPT発効50年

 世界の核秩序の礎を担ってきた核拡散防止条約(NPT)の発効から50年。「核の番人」と呼ばれる国際原子力機関(IAEA)のトップとして核を巡る国際政治の現実を見つめてきたハンス・ブリクスIAEA元事務局長(91)は共同通信のインタビューで、核保有五大国による軍縮停滞を批判、国際情勢の緊張緩和と核問題解決に向けた外交への尽力を求めた。(共同通信=土屋豪志)

2020年2月26日撮影  ストックホルムの自宅で、インタビューに答えるハンス・ブリクス元IAEA事務局長(共同)

 ▽動かぬ核保有国

 世界は二つのことに同時に脅かされている。深刻化が続く核兵器の脅威は、私たち全員に急速な自滅を突きつけている。人類と文明の自滅だ。そして気候変動が、緩慢な自滅を突きつけている。私は長く軍縮と核に携わってきたが、(世界の環境保全の礎と言われる)国連の人間環境宣言(1972年採択)の起草にも関わった。巨大な国際世論を覚醒させるのは簡単ではないが、核と気候変動、どちらも目を離してはいけない。

 核拡散防止条約(NPT)で一貫して問題なのは、非核兵器保有国が核兵器から距離を取り、IAEAの査察体制を固守してきたのに対し、米国、ロシア、英国、フランス、中国の核保有五大国は(NPT発効から)50年間、有意義な核軍縮交渉に向けて動かなかったことだ。それどころか、核兵器の近代化や再軍備が行われている。NPTで想定されているのとは逆の方向に進んでいる。

 さらには、成立していた合意の破棄という後退も起きている。ブッシュ米政権(2001~09年)は米ロの弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約から撤退、トランプ米政権は新戦略兵器削減条約(新START)の延長に後ろ向きに見える。偵察を認め合い透明性を高めていた多国間のオープンスカイ(領空開放)条約の維持も危ういと指摘され、米国では包括的核実験禁止条約(CTBT)の署名撤回も議論されている。もし核実験が再開されれば世界中に広がるだろう。

米ホワイトハウスで、インタビューに応じるトランプ米大統領(ロイター=共同)

 トランプ米政権は軍拡を抑制する多国間、2国間の合意を排除しようとしている。規範に基づく国際システムの構築に米国が果たしてきた極めて建設的な役割を考えると、その破壊者のようになっていることを残念に思う。われわれは核保有五大国が、軍縮に着手しないことを批判し続けるべきだ。

 ▽交流と緊張緩和

 核軍縮交渉を真に促進するのはデタント(緊張緩和)だ。ウクライナ、中東、極東情勢を見ても、デタントに向けた努力はこれといったものがない。ただ、西側とロシアの行き過ぎた冷え込みに米政権などの一部は気付いている。かつて活発だった米ロの科学者や軍などの交流は非常に落ち込んだ。デタントは交流を増やすことから始めるべきで、その声はワシントンにもある。

 核保有国に何を要求するか。第1は米国などのCTBT批准。米国などがCTBT批准の意思を示したことで、非核保有国は1995年のNPT再検討会議で条約の無期限延長を受け入れた。だが米国は批准できておらず、非保有国の正当な期待を裏切っている。

 第2には、「核戦争に勝利はなく、決して戦ってはならない」という米国とソ連(当時)の指導者レーガン、ゴルバチョフ両氏の言葉の再確認が求められている。米国にその意思がないことを心配しているが、この二つが最重要だ。

 次の再検討会議が不首尾であっても、世界が終わるわけではない。だが、デタントの進展は見込めなくなる。また、差し迫ったものではないが、核兵器拡散のリスクがある地域もある。サウジアラビアはイランが核保有を目指すなら自国も行うと言っている。エジプトも同じ事をするに違いない。トルコの大統領も核兵器開発を示唆しており、リスクを無視できなくなっている。

1987年12月、ホワイトハウスでINF廃棄条約に調印するレーガン米大統領(右)とゴルバチョフ・ソ連書記長(ロイター=共同)

 ▽イランと北朝鮮

 国連安全保障理事会の決議で裏打ちされたイラン核合意によって、IAEAによる広範な検証が始まり、世界のどの国よりも詳細、確実にイランの核活動を見られるようになった。2018年に米国は一方的に離脱し、安保理での約束を破った。国連の権威を損ねており、非常に深刻なことだ。これに対してイランは合意の履行を段階的に停止し逸脱をしているが、私は合法的行為だとみている。そうした措置を取る権利はある。

 米国の目的は、(イランの核活動の規制が一定期間後に解除される核合意の)「サンセット条項」(の是正)だろうか。私は、これは小さなことで、真の目的ではないと考えている。(自身が00~03年に委員長を務めたフセイン政権の)イラクに対する国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)の際は、大量破壊兵器が焦点だった。だが、米国が考えていたのは体制転換だろう。トランプ政権は否定しているが、イランでも同じ事をしようとしている。

 米国とイランの対話を仲介する試みもあるが悲観的に見ている。湾岸の緊張緩和と地域安全保障の仕組みを立ち上げる道を探ることが必要だ。見通しは明るくないが、暗いわけでもない。トランプ氏は巨大な軍事力でしきりに示威行動をし、脅し上げている。しかし、戦争は欲していない。(イラク)戦争をする気になっていた当時のブッシュ政権とは違う。

北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(朝鮮中央通信=共同)

 北朝鮮も中東と同じで、地域安全保障の枠組みが必要だ。北朝鮮は大陸間弾道ミサイル(ICBM)のテストをやめ、寧辺の核施設廃棄を示唆した。これに対して米側は寧辺以外の全核施設を明らかにするよう求めたが、場所を明らかにすれば北朝鮮は生命線である施設を米国の攻撃にさらすことになり、十分な見返りがなければ応じられない。米大統領選までは大きな動きはないだろう。中国とロシアも北朝鮮の核戦力の解体も含めた長期的解決に積極姿勢を見せている。解決には北朝鮮に見返りを保証することも必要で、真の外交を求められることになる。

 ▽核の恐怖の証人

 広島と長崎の被爆者は、核兵器の恐怖の証人だ。核軍縮の議論に非常に力強い役割を果たしてきた。ただ、核保有五大国の姿勢に直接影響を及ぼすには至っていないように思える。1980年代の大規模な反核運動も見られなくなったが、米国には有力なシンクタンクが多数ある。市民団体も米大統領選の候補者に一定の影響力を行使している。

 (米民主党の大統領候補指名を争っていた)エリザベス・ウォーレン上院議員は(敵の核攻撃がない限り核兵器を使わない)「核の先制不使用」政策の採用に前向きな考えを示していた。先制不使用政策(の採用)は非常に大きな価値のあることだ。ベトナム戦争を終わらせ、アフガニスタンへの関与をやめさせ、イラク戦争に反対した世論も残っている。

 ▽原子力の再考

 米スリーマイルアイランド、東京電力福島第1原発、特にウクライナのチェルノブイリ原発事故の悲惨さはとてもよく分かっている。日本の人たちには賛否の分かれることだと思うが、二酸化炭素(C02)排出のことを念頭にすると、私は、原子力は有用だと考えている。人々は放射線への恐怖から(原子力に)手を出してはならないという気持ちになる。だが、頭脳で感情をコントロールしなければならないこともあり、私は原子力を前向きに捉えている。リスクは非常に減じられている。気候変動問題を考えれば、原子力の利用を考えて良いのだと思う。

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2020年2月26日撮影  ストックホルムの自宅で、インタビューに答えるハンス・ブリクス元IAEA事務局長(共同)

 ハンス・ブリクス氏 1928年、スウェーデンのウプサラ生まれ。同国外相を経て81~97年、国際原子力機関(IAEA)事務局長。在任中、チェルノブイリ原発事故や北朝鮮の第1次核危機に対応。2000~03年には国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)委員長として、米英の侵攻直前までイラクでの大量破壊兵器査察活動を率いた。

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