新宿二丁目からひとつのお店が消えるとき~元「キャンバス」ママ・ミツさんが語る家族との新しい関係と未来。

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2019年の11月23日。

新宿二丁目仲通り交差点そば、第七天香ビル3Fのバー「キャンバス」が最後の営業を終えた。そこの「ママ」、ミツさんがお店を閉めることを決めたのは家族との関係性と、新しい「夢」にあったからだ。

結婚や孫、自分が家庭を持った姿を見せることだけが親孝行の形ではない。彼が新宿二丁目で歩んできた道のりと、この先描く未来とは何なのだろうか。

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――ゲイである自分と初めての新宿二丁目。「この街だから」経験できたことと気づいたこと。

自分が「あ、きっとそうなんだな」って自分の中で確信したのは高校生の時ぐらいでした。
でも半分わかりながらも「そうでもないだろう」って20代前半とかは悩んできました。性別でこの人が好き、ではなく「この人がいるから心地良い」感覚の方が強くて…だからゲイだと気づいたのはいつって言われるとちょっと難しいかもしれないです。

両親にカミングアウトした時、母は「やっぱりね」って感じでしたが、父は「よく分からない」って戸惑いを見せました。
「僕が女性になりたくて男が好きだったらまだ理解はできるけど、男のまま男が好きが分からないって」

新宿二丁目には高校生の頃付き合っていた人に「こんな街だよ」って連れてきてもらったんですけど、最初はよく分かってなかったんですよ。なんか…キラキラしすぎてて、ちょっと怖いくらいでした。でも、その頃は「この街でしか経験できない」とか「この街だから会える」という、ゲイコミュニティのリソースが今より強かった気がします。

お店を手伝っていても、もちろん「この街だから」来てくれるお客さんもいたので、全部つながっているかなと思いますし。でもそこから20年経った今「この街だから」と固執する気持ちがそんなになくなったのは正直あります。僕はその頃と今の二丁目、両方見てきたのが嬉しいし、見てきたからこの街に固執しないでいられるようになったのかもしれません。

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――ゲイバー「キャンバス」の色。新宿二丁目で築いたミツさんらしいゲイコミュニティ。

お店を出したい気持ちは、元々そんなになかったんです(笑)。働いていたお店がクローズしてしまうことがきっかけで。BOX営業の、超・観光バーでした。

水商売は30歳までかなと思っていたんですけど、そのお店が閉まったのが28歳の時。お客さんたちから「店やりなよ、飲みに行くところがなくなっちゃう」って言われた時に、僕にもそうやってお店を出す瞬間がきたのかもな、そういう期待もしてもらえてるんだなって嬉しかったのはあります。それで、ひとつでも多くの笑顔を作れればと思ったんです。

それに父親も自営業で、寿司屋をやっているんですけど、その姿をずっと見てきたのもあります。父親も「雇われるくらいなら自分でやれよ」って言ってくるようなタイプで。僕自身は正直、雇われたいって気持ちも強いんですけどね(笑)。

そしてできたのが「キャンバス」という店でした。
名前の由来は、最初に真っ白なところからはじめて、そこにいろんな絵や夢を描いていこうと。何かのきっかけに…ゼロに戻るわけじゃないけど、例えば今年はどんな色になるかな、このシーズンはどんな絵が描けるかなとか、そういうのをみんなと一緒に作っていきたい、そんな気持ちでつけました。

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――六年の歳月。このタイミングで閉店した理由には、家族の状況の変化と、ある「心意気」があった。

「お店を辞めよう」と考えたのは二年くらい前からでした。三年前に母が倒れて、新宿から実家に戻ったんです。洗濯とか家事を手伝って、家族と過ごす中で、60歳を過ぎた父親が「いつまで店やるかなあ」って弱音をこぼして。
自分もそのことについて最初は漠然と考えたのですが、沖縄で寿司屋の修行をしていた弟が実家に戻ってきたことや、お店の契約更新時期とか、色々なことが重なって、このタイミングで家族と向き合おうと思ったんです。

でもそんな中で店を閉める決意ができた一番の理由は「楽しかったから」です。ホントに、すごく楽しくて。すごく楽しかったんですけど、まあゆくゆくは身体も続かないだろうし、誰かに託す想像もできなかった。新宿二丁目のお店は入れ替わりもけっこうあるので…僕は悲しい終わり方ではなく、今まで僕を支えてくれたお客さんたちが「あの店行ってたんだ~」ってプラスになれるような形で終わらせたかったのもあります。

楽しい時間の中で最高な仲間にも出逢えました。だからこそ次に進まなきゃいけないな、という気持ちが芽生えたんです。

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――沖縄で民宿をやりたいという目標。家族だけでなく、繋がりを大切にするミツさんの「夢」。

10年後には、沖縄で民宿をやりたいという夢があります。小さい頃から行っていた好きなところだし、自分が見てきた景色がそこにはあるからです。
沖縄にはまだお母さんの実家はあるんですけど、おばぁはもう亡くなってしまったので、沖縄に僕が住む、生活をすることで両親が故郷である沖縄に来る理由、家族の居住のひとつの選択になるかなってのもありますね。

民宿のイメージとしては、都会で人間関係とかに疲れた人が、もう好きなように時間を使って良いですよっていう日を過ごしてもらって心をフラットに戻す。そしてまたいってらっしゃいって送り出してあげる。僕はただ場所を提供し「こういうことができますよ」と伝えるんです。
一人になれる時間ってすごく大事だと思うんです。一人の時間を作ることで、人といる時間に意味をもたせられる。それで「こういうことをやりたい」というのが出てきたら、それを支えてあげるくらいで。

最終的には畑を作って、そこから自分たちで収穫して料理を作ってもらったり、フルーツをジュースにしてもらったりとかも良いかな。でも、それまでを全部一人でやることは難しい。そうなったら母親が生まれ育った場所なので、地元のツテを辿っていきながら、地域全体で色々なアイデアを出しながら、より楽しい空間・コミュニティ作りをして盛り上がれば良いなって思ってます。

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――夢に辿り着くまでの「楽しい遠回り」と、家族との関わり。この次「キャンバス」に描かれるのはどんな絵なのだろうか。

現在は民宿の開業資金を貯めるために勤しんでいます。家族からはそれを暖かく見守ってもらってるような感じです。「ゆっくりゆっくり考えろ」「家にいて良いんだぞ」って。僕自身も、今の目標に一本道で行くより「楽しい遠回り」がたくさんできた方が良いなとも考えています。簡単にいける道よりは回り道する人生の楽しさを知ってますからね。

僕はいま、そんな感じで俺流で(ジブンラシク。)生きています。
両親にとっては思い描いた長男ではなかったのかもしれないけれど、結婚や孫、自分が家庭を持った姿を見せることだけが親孝行の形ではないと思っています。だから、きっと今の僕が好きなことって言ったら極端ですけど、自分の生きたい選択を選び、生きたいように生きて、それで幸せでいられる姿を見せることの方が、生んでくれて育ててくれた感謝を伝えられるのかなと。

それに、自分の息子がゲイだったって知った時に、両親が自分の育て方が悪かったんだって思うんですよ。でもそれって絶対にそんなことなくて、決してそんなことはないっていうのは伝えたいんです。

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ミツ/元・新宿二丁目バー「キャンバス」ママ
1984年生まれ、東京在住。現在は家族と同居しながら夢に向かって邁進中。ハロプロが大好き♡
Twitter@mitsu89

取材/モウシン Twitter@mosxxx
撮影/新井雄大 Twitter@you591105