ドリカム「うれしはずかし朝帰り」から始まる “シン・EPICソニー” の歴史 1989年 9月1日 ドリームズ・カム・トゥルーのシングル「うれしはずかし朝帰り」がリリースされた日

EPICソニー名曲列伝 vol.26
ドリームズ・カム・トゥルー『うれしはずかし朝帰り』
作詞:吉田美和
作曲:吉田美和
編曲:ドリームズ・カム・トゥルー
発売:1989年9月1日

在来種のような外来種、その名もドリームズ・カム・トゥルー

今から考えると、EPICソニーの歴史の中でも、ひいては日本のポップス史の中でも、まったく新しい「外来種」のような音楽だった。ただしこの「外来種」、ややこしいのは、パッと見は「在来種」、つまり当時の日本の音楽シーンに、すーっと入ってくる人懐っこさを持っていたことだ。

キュートなルックスの女性ボーカルと(93年資生堂秋のキャンペーンCMに出演する)、とっちゃん坊やのようなベーシストと、クールな面持ちのキーボーディストの3人組。しかしジャケットのように、総じて人を選ばない、実に親しみやすいルックスで迫ってくる。

男女比は違うが、90年代に日本テレビで放送されていた『DAISUKI!』という番組のMCの3人組=中山秀征、松本明子、飯島直子が発していた「90年代的和気あいあい感」に近いものを感じていたのは、私だけだろうか。

さらには曲名も『うれしはずかし朝帰り』で『うれしい!たのしい!大好き!』(89年)で『晴れたらいいね』(92年)だから、その清潔かつ灰汁(あく)の取れた感じは、非常に間口が広い。そもそもユニット名「ドリームズ・カム・トゥルー」(夢は叶う)という響きからして。

吉田美和の雄叫び、「歌う」ではなく「吠える」ほどのフィジカル

しかし、曲を聴き始めると、深みにハマるトラップが、いくつも仕掛けられているのだ。この『うれしはずかし朝帰り』で言えば、まずは吉田美和の冒頭の雄叫びである。

イントロ9小節目から始まる「♪ ウォーウォーーーウォウウォーーーーヤヤヤヤヤー!」。録音音源にもかかわらず、抜群の声量で歌われていることが一発で分かる、さらに音程も、一気に上のCまで上がるので、かなりの高音だ。まさに雄叫び。

「歌う」ではなく「吠える」感じ。マキタスポーツは島津亜矢のことを「歌怪獣」と評したが、「歌う」ではなく「吠える」ほどのフィジカルを「歌怪獣」の定義とすれば、80年代を代表する「歌怪獣」が玉置浩二で、90年代のそれは吉田美和となろう。

間口の広さ × トラップの深さ = ドリカム

「歌怪獣」性に加えて、『晴れたらいいね』のような技巧的な転調や変拍子、コードとメロディの関係が複雑な『決戦は金曜日』(92年)、さらには歌詞に「カラックス」「ジェリー・アンダースン」などの固有名詞が出て来る『go for it!』(93年)など、ドリカムの曲には、ヌポっと深みにハマるトラップが、いくつも埋め込まれている。

「ルックスや曲名、ユニット名がもたらす間口の広さ」と「歌怪獣性、音楽的技巧性、持って回った歌詞がもたらすトラップの深さ」。この「間口の広さ×トラップの深さ」をかけ合わせた面積が異常に肥大化していた「外来種」。それが当時のドリカムでは無かったか。

もう少し具体的に言えば、「好きなミュージシャン」として挙げても、デートのときにクルマの中でかけても、カラオケで歌っても、ビギナーにもマニアにも喜ばれる「決して外すことの無いブランド」としてのドリカム――。

涙腺にグッと来る、吉田美和のイタリア系泣き節

と、少々客観的な物言いをしているが、実は私もドリカムを愛聴していた。正直『うれしはずかし朝帰り』や『晴れたらいいね』は、割と聴き流していたのだが、94年の『すき』、95年の『サンキュ.』(語尾のピリオドに注目)は、本当によく聴いたし、カラオケでも歌った。

決定打は、少々最近になるが、07年の『大阪LOVER』だ。あの曲は大阪人の心をわしづかみにする。私のような、関東生活年数が大阪生活を上回った「えせ大阪人」であっても「♪ 大阪のおばちゃんと呼ばれたいんよ」のところで、毎回涙腺が決壊しそうになる(いや決壊する)。逆に「えせ」だからこそグッと来るのかもしれないが。

涙腺にグッと来るのは、吉田美和の「泣き節」にも秘密があろう。昔、大滝詠一がラジオで「コニー・フランシスのようなイタリア系の泣き節は日本人好み」という意味合いのことを言っていたが、『すき』『サンキュ.』『大阪LOVER』のボーカルは、明らかにその「イタリア系泣き節」だと思う。

90年代の “シン・EPICソニー” はドリカムから始まった

「間口の広さ×トラップの深さ」にさらに「泣き節」をかけ合わせたら、その解の数値は無限大だ。無限大は無敵だ。ドリカムが90年代を連れて来る。「90年代」と書いて「ドリカム」と読む――。

「EPICソニー史」を舞台化するとすれば、第1幕は、佐野元春『アンジェリーナ』(80年)から始まる80年代前半。第2幕は渡辺美里『My Revolution』(86年)から始まる80年代後半。そして第3幕が、この『うれしはずかし朝帰り』からになろう。

しかしアルバム『The Swinging Star』(92年)が何と300万枚を売り上げるフィナーレまでの第3幕と、第1幕・第2幕との段差は激しい。別の物語という趣きさえする。言わばこの曲から、「シン・ゴジラ」ならぬ「シン・EPICソニー」の歴史が始まるのだ。

※ スージー鈴木の連載「EPICソニー名曲列伝」
80年代の音楽シーンを席巻した EPICソニー。個性が見えにくい日本のレコード業界の中で、なぜ EPICソニーが個性的なレーベルとして君臨できたのか。その向こう側に見えるエピックの特異性を描く大好評連載シリーズ。

■ EPICソニー名曲列伝:佐野元春「約束の橋」が与えてくれた肯定感について
■ BO GUMBOS「魚ごっこ」強くて太いKYONのピアノとどんとのデリケートな狂気
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etc…

カタリベ: スージー鈴木

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