その歴史と格式の高さは日本一!?越前和紙とは【福井県の伝統工芸品】

福井県の伝統工芸品の一つ『越前和紙』についての基礎知識をご紹介します!

越前和紙とは

福井県越前市周辺で作られる『越前和紙』。昭和51年に伝統的工芸品に指定されました。

また、越前奉書と越前鳥の子紙は国の重要無形文化財となっています。

越前和紙の歴史 〜越前和紙を伝えたのは女神!?〜

越前和紙の始まりは、さかのぼること1500年前。

越前市岡太(おかもと)地区を流れる川の上流に現れた女神が、村人に紙漉きの技術を教えたことが始まりとされています。

この女神は川上御前として崇められ、岡太神社の祭神となりました。
紙の神様を祀っている神社は全国でも珍しいようです。

岡太神社

歴史的にも重要な役割があった越前和紙

越前和紙は歴史が長いというだけでなく、歴史的に見てとても重要な存在といえます。

越前和紙は、室町時代から江戸時代にかけて公家や武士階級の公用紙として使われ、全国に広まっていきました。

特に『越前奉書』『越前鳥の子紙』(どちらも現在は国の重要無形文化財)といった上質な和紙が重用され、なかでも越前奉書は『御上天下一』の印を使用することが許可され、江戸幕府の御用紙として使われていました。

さらに、越前鳥の子紙が「紙の王にふさわしい紙」と評されたり、桂離宮のふすま等にも越前和紙が使われたりすることなどから、越前和紙の格式の高さが伺えます。

また、江戸時代には福井藩が越前和紙の産地を支配しており、藩の専売として利益をあげ、技術の保護、生産の指導も行っていました。

越前和紙は日本人にとって身近な和紙

公家や武士階級の公用紙、、桂離宮のふすまなど、歴史的にもさまざまな用途に使われてきた越前和紙。

越前和紙の歴史と用途にスポットを当てて、どのようなところで使われているのかもう少し詳しく見ていきましょう。

日本初の藩札や太政官札

日本で最初の藩札(藩の領内だけで使われていた紙幣)とされている『福井藩札』はもちろん越前和紙で製造されており、のちに丸岡藩札(現在の福井県坂井市周辺)も越前和紙で製造されるようになりました。

さらに、明治維新後初めてのお札『太政官札』に使われたのも越前和紙。
その後、一旦はドイツ製の紙に変更されましたが、明治8年に大蔵省抄紙局が用紙の独自製造を再開すると、越前和紙の職人が用紙を漉き、技術指導を行いました。

透かし技法

また、現在では当たり前になっている透かし技法を開発したのも越前和紙で、これによって日本の紙幣製造技術が飛躍的に進化しました。昭和15年には大蔵省印刷局抄紙部の出張所が越前和紙の生産が盛んな今立町(現在の越前市)岩本に設置され、百円紙幣、千円紙幣もこの地で製造されました。

証券や卒業証書にも

かつての株券や証券、卒業証書などの証書に正式の用紙として使われるのも越前和紙。

越前和紙は現在でも私たちの生活に深く関わりがあったんです!

最近では、あのピカソが越前和紙を愛用していた!なんて話も出てきています。日本だけでなく、世界の歴史にも影響を与えていたのかもしれませんね!

福井県には、越前和紙以外にも6つの伝統工芸品があります。詳細はこちら

越前和紙の製造工程や、体験ができるスポットなどは以下の記事内で紹介しています。

© Dearふくい