ウォーターボーイズから教わった人生の本質 ― 今までは川、これからは海 1985年 11月25日 ザ・ウォーターボーイズのサードアルバム「自由への航海」が日本でリリースされた日

ザ・ウォーターボーイズ「自由への航海」青春のBGMにして一生の指針

コロナ禍による自粛と、それによる内向のせいだろうか? このところ懐かしい音楽―― すなわち思春期によく聞いた曲ばかりを部屋で鳴らしている。東日本大震災のときもそうだった。恐怖心が “原点に帰れ” と言っているのだろうか? 理由はよくわからない。

青春のBGM…… などと言葉にすると、全身の毛穴が開くほど恥ずかしいのだが、音楽好きなら誰にでもそれはあるもので、中には一生の指針となるものも少なからず存在する。ザ・ウォーターボーイズの『自由への航海(This Is The Sea)』は、自分にとってそんな一枚。

上京して一人暮らしを始めた最初の年に、このレコードを中古で手に入れた。ウォーターボーイズはメディアでボブ・ディランやジョー・ストラマーを引き合いに出して語られていたから気になっていたが、いかんせん、この手の UK のバンドのレコードはビルボードのチャートに上がるような US のアーティストとは異なり、田舎では入手が難しい。なので中古盤店で、このレコを見つけたときはワナワナと震えが来た。

マイク・スコットの “全体” を見ようとする目線

正直、最初に聴いたときは、エコー効きまくりの音があまりに今(=1986年)風で、ふーん… という印象。売れ線に媚びない英国の草の根バンドらしさが、あまり感じられない。しかし歌詞を読み、訳詞を見ながら聴くと、心の中にジワジワと何かが広がってくる。

たとえば、本国でヒットし、現在ではアンセムと化している「ホール・オブ・ザ・ムーン 涙あふれて」。「僕は三日月を見た。そのとき君は満月を見ていた」という一節には深い含蓄がある。視野の狭い自分のような人間は月の光っている一部しか見ていないが、月の全体を見ている者もいる。志村けんのギャグに多くの人は集中し、バカ笑いする。一方では、その脇でいい味を出している仲本工事や高木ブーを含めて見ている人もいる…… という例えで、合ってますかね? ともかく、全体を見る視点を持ちたいと思うようになり、今もそれに努めている(ときどき忘れるけど)のは、この曲に胸を打たれたからこそ、だ。

最初はイマイチと思ったアルバムも一度心を開くと、その良さもどんどんくみ取れてくる。マイク・スコットの歌い方は、すごくかっこいいし、彼の書く曲はメロディアスだ。大げさと思えたエコー音の隙間にも味がある。そんな気持ちも、“全体” を見ようとする目線ゆえに沸き起こったのだろう。

今も切実に響くタイトル曲「ディス・イズ・ザ・シー」

今も切実に響くという点では、タイトル曲「ディス・イズ・ザ・シー」も忘れてはいけない。「あれは川だった、でもこれは海だ」というフレーズは、独り暮らしを始めた身にはシミた。親に守られていたそれまでの人生は “川” だったが、親元を離れた今は “海” だ。それを自覚する勇気が、自分にはあるのだろうか? 世界は想像する以上に大きくて広いのだから。

その後、大学を卒業して社会に出たとき、“川” を離れて “海” に出たことを改めて実感した。結婚したとき、子どもが生まれたときは、より大きな “海” が目の前に広がっていた。でも震災のときには、それらがまだ “川” に過ぎなかったことに気づいた。そして今、パンデミックというより大きな “海” が目の前に広がっている。とにかく今までと同じように、泳ぎ続けるしかない。

カタリベ: ソウママナブ

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