ヤマハOBキタさんの「知らなくてもいい話」:MotoGPの排気量変遷の謎(前編)

 レースで誰が勝ったか負けたかは瞬時に分かるこのご時世。でもレースの裏舞台、とりわけ技術的なことは機密性が高く、なかなか伝わってこない……。そんな二輪レースのウラ話やよもやま話を元ヤマハの『キタさん』こと北川成人さんが紹介します。なお、連載は不定期。あしからずご容赦ください。

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 2002年、WGPの最高峰クラスがそれまでの2サイクルマシンに泣く泣く別れを告げて4サイクル化するのと同時にクラス名もMotoGPに変更された。そのMotoGPクラスを走るマシンの排気量は、技術規則を策定する段階では1000cc以下で進められていた。ところが正式に発表されるころになると990ccに変わっていたのである。これはいったいなぜだ!?

 MotoGPに関する技術規則策定の初期に関わっていた筆者は、このときすでにレース部門を離れ、ASV(先進安全自動車)という全く畑違いの技術開発に邁進していたので正直どーでもよいと思ったのだが、一応社内の関係者に理由を聞いてみた。

 聞いた相手があの天才(奇才!?)S技師(編集部注:雑誌『レーサーズ』に過去何度も登場。往年のYZR500、初代YZR-M1のエンジンを作った張本人)なので、少し怪しい部分があるのは否めない。で、S技師曰く、
「なんかSBK(世界選手権スーパーバイク)のプロモーターが難クセ付けてきたらしい。それで排気量を10cc下げて『良し』にしてもらったらしいよ」

 とのこと。いやいや、そんな理由でなんとも中途半端な990ccとかにしちゃうワケ? そんなのアリ!? と思ったが、そもそも初代M1の排気量がその上限までも届かない942ccでスタートさせた御仁なので、そんなことは大して気にも留めない様子だった。

 ちなみに初代M1のベンチマークはYZR500で、性能的には楽勝でクリアしていたという。一方、500用のタイヤではそのあり余るパワーを受け止めることができず、よって990ccという上限いっぱいにする必要もないと判断したとのこと。

 ところで、SBKのプロモーターが排気量1000ccに難クセを付けてきたのはどうしてだろう。おそらくは当時YZF-R1のようないわゆる『リッターSS(スーパースポーツ)』といわれるカテゴリーが台頭してきたころで、これらとMotoGPが被るのを嫌ったと思われる。でも、そもそも市販車ベースのレース車とは出自が全く異なるMotoGPマシン。技術者目線で言わせてもらえれば、おカド違いもいいところである。

■2007年から変更された800cc化の背景

 こんなふうに、いい加減とも思える経緯でスタートした990ccのMotoGPは2002年から2006年まで続いたのだが、2007年からは突然800ccに変更されたのである。突然といっても開発期間が必要なので、800cc化は遅くとも2005年には決定事項だったことになる。

 この変更の背景に、2003年に鈴鹿サーキットで開催された日本GPでのアクシデントが絡んでいるのは知る人ぞ知る話である。話を進める前にこのアクシデントを少し振り返ってみたい。

 事故は130Rを立ち上がってきた1台のMotoGPマシンが突如制御不能になり、タイヤバリヤやスポンジバリヤに激突して大破。ライダーはすぐさま病院に救急搬送されるも後に亡くなるという大変痛ましいものだった。

 その後事故調査委員会が立ち上げられ詳細な要因分析がなされたが、記録されたデータや事故車両の検分では事故につながる車両側の瑕疵は認められないとされた。原因はブレーキングによる激しい車両挙動が二輪車特有の高速ウイーブモードを励起し、制御不能になってコースアウトしたものと結論付けられたのである。

 当該メーカーの声明にはMSMAを通じてマシンも含めてレースの安全性を高めるためにレギュレーション変更を検討中という言葉で締めくくられていたが、これはややフライング気味で、この時点では具体的なレギュレーション変更の議論は俎上に載っていなかったと記憶している。――あくまでも筆者の記憶。真相は定かでない。

(中編に続く)

キタさん:北川成人(きたがわしげと)さん 1953年生まれ。1976年にヤマハ発動機に入社すると、その直後から車体設計のエンジニアとしてYZR500/750開発に携わる。以来、ヤマハのレース畑を歩く。途中1999年からは先進安全自動車開発の部門へ異動するも、2003年にはレース部門に復帰。2005年以降はレースを管掌する技術開発部のトップとして、役職定年を迎える2009年までMotoGPの最前線で指揮を執った。写真は2011年のMotoGPの現場でジャコモ・アゴスチーニと氏と会話する北川さん(当時はYMRの社長)。左は現在もYMRのマネージング・ダイレクターを務めるリン・ジャービス氏。
※YMR(Yamaha Motor Racing)はMotoGPのレース運営を行うイタリアの現地法人。

2011年のMotoGPの現場でジャコモ・アゴスチーニと氏と会話する北川成人さん(当時はYMRの社長)。左は現在もYMRのマネージング・ダイレクターを務めるリン・ジャービス氏。

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