再生する古里、一緒に前へ 三段跳び元日本女王(南阿蘇村出身) けがで車いす転向「東京」狙う 熊本地震

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「再生の進む古里の姿に、自分のこれまでの歩みがどうしても重なってしまう」と話す中尾有沙さん=15日、熊本市東区(池田祐介)
トラックを疾走する中尾有沙さん。東京パラリンピック出場への挑戦は諦めていない=15日、熊本市東区

 繰り返す激しい揺れに何度も突き上げられながら、ベッドの上で恐怖に耐え続けた。2016年の熊本地震。車いす陸上選手の中尾有沙さん(32)はリハビリのため菊陽町の病院に入院していた。

 4月16日の本震後。自宅がある南阿蘇村立野の阿蘇大橋や見慣れた山並みの激変した姿が次々とテレビに映し出された。「何もできなかった。ただただ祈るしかなかった」。涙が止まらなかった。

 県陸上界を代表するジャンパーだった。15年6月の日本選手権の三段跳びで悲願の初優勝を達成。大きな自信をつかみ、東京五輪へ突き進んでいた。だが、16年1月30日、バーベルを使った筋力トレーニング中に脊椎を損傷。車いす生活を宣告された約2カ月半後に地震に襲われた。

 余震の続く中、車いすでの日常生活に向けたリハビリを繰り返した。「腕だけで体を支えて車に乗り移る時などは恐怖心との戦いだった」

 そんな苦境を持ち前の明るさと前向きさで一つずつ乗り越え、7月末に退院。実家に戻って社会復帰していく中で車いす陸上への興味が膨らんだ。「もうスポーツはやらない」との思いが霧散し、根っからのアスリート魂に火がついた。

 地震から半年後の11月に本格的に練習を始め、17年5月に国内大会デビュー。記録を徐々に伸ばし19年5月に国際大会に初出場し、来年夏に延期となった東京パラリンピックを見据えている。

 「いまできることに向き合い、けがを乗り越えていこう」。そう考えながら過ごしてきた。すると「地震からの再生も同じ。それぞれができることを積み重ねれば、大きな何かにつながるんじゃないか」。古里と自身の歩みが重なり合った。

 17年10月に結婚し、現在の住まいは大津町。かつてなら実家まで国道57号で一直線だが、地震による大規模な斜面崩落のため、残り1キロ余りの地点で迂回[うかい]を強いられる。「この距離に地震の影響の大きさを感じた」といい、今年10月の全面開通を待ちわびる。長期避難を余儀なくされた近所の人たちも少しずつ戻り始めており、日々、復興を実感する。

 被災から4年。「事故も地震も、私の人生にとってのタイミングですかね。縁を感じます」。新型コロナウイルスの感染拡大で東京五輪は延期され、走者に選ばれた聖火リレーは中止となった。それでも、うつむくことはない。車いす生活を通して生まれた交遊から多くの刺激を得て、「けがをする前よりも世界が広がった」。新たな発見を糧に、古里と一緒に前へと進む。(坂本尚志)