“高2で福原愛下し卓球全日本2位” 森さくらを苦しめた呪縛<前編>

写真:森さくら日本生命レッドエルフ)/撮影:ハヤシマコ

Tリーグセカンドシーズン、女子最多勝は誰かご存知だろうか。

東京五輪代表の石川佳純平野美宇?それとも全日本女王の早田ひな

違う。リーグ最多14勝をあげたのは、森さくらだ。

森が所属するのは昨季シーズン2位ながらファイナルを制し、今季はシーズン1位となった常勝軍団・日本生命レッドエルフだ。東京五輪代表の平野美宇、全日本女王の早田ひならが揃い、リーグ随一の選手層を誇るチームの中で、森はリーグトップの21マッチに起用された。

17歳で全日本選手権準優勝を果たした際は、平野早矢香、福原愛を連破し、23歳でTリーグ最多勝に輝いた森の順風満帆に見える卓球人生は波乱の連続だった。

「楽しい思い出はなかった」 幼少期の卓球生活

卓球選手だった両親や兄の影響で3歳でラケットを握った森は、小1の全日本選手権バンビの部で全国優勝を果たす。

その後も常に全国大会で上位に入賞し、中学は名門・青森山田に進学した。そこでも森は、中1で全日本カデット女子シングルス13歳以下の部で、現在チームメートの前田美優に敗れるも準優勝を飾った。

写真:過去を振り返る森さくら/撮影:ハヤシマコ

結果だけを見れば順風満帆に思えるが、森は「練習をやればやるだけ必ず結果に結びつくわけでもない。しかも勝たなきゃいけないという変なプレッシャーが幼い頃からあったので、楽しいと思ったことが本当になかった」と当時を回想する。

ただ、名門校での指導や持ち前の負けず嫌いな性格も相まって、森は着実に成長を遂げていく。中2で全日本カデット準優勝、中3でも全国中学校卓球大会で団体2位と輝かしい成績を残した。

だが、あと一歩で全国優勝には届かなかった。立ちはだかったのは現在日本生命レッドエルフでチームメートの前田美優だ。

立ちはだかるライバル前田美優

森と前田は1996年生まれの同級生で、幼い頃からその名を全国に轟かせていたその世代を代表する選手だ。

右腕から繰り出す威力あるドライブを武器にするパワーの森と、サウスポーからバックの表ソフトで変化をつける前田。対照的なプレースタイルを持つ2人は、“青森山田の森”、“四天王寺の前田”として中学時代は名門校のエースとしてしのぎを削った。

写真:森さくら/撮影:ハヤシマコ

「めっちゃ負けてるんですよ私。小2の初対戦では勝ったんですが、そこから高2の10月まで勝てなかった。10年近く勝てなかったです。トータルで当たった9割くらい負けてます」。中1のカデットシングルス決勝、中2のカデットシングルス決勝、中3の全中団体戦決勝、全日本ジュニアなど全国大会で幾度となく対戦し、ことごとく森は前田の壁に跳ね返されてきた。

写真:前田美優(日本生命レッドエルフ)/撮影:ラリーズ編集部

「すごく刺激になる良いライバル」と語る前田らと切磋琢磨し力をつけた森は、高校で一気に花開く。

高校2年の全日本で一気にブレイク

青森山田中学を卒業後、地元関西の昇陽高校に進学した森は飛躍の時を迎える。

2013年、高1の全日本でジュニア3位入賞、一般シングルスでも16強入りし初のランク入りを果たす。翌年、高2で挑んだ全日本では、決勝で石川佳純に敗れたものの、5回戦で伊藤美誠、準々決勝で平野早矢香、準決勝で福原愛とそうそうたる顔ぶれを撃破し、準優勝を飾った。

写真:2013年決勝で石川佳純と対戦した森さくら/撮影:アフロスポーツ

「平野さんや福原さんの世界での試合を昔からテレビで見てたので、福原さんや平野さんが負けてる試合も見ていた。なので、向こうよりも私の方が戦い方を知っている有利な立場でした。その条件で10回やったら1回勝つみたいなのがたまたま来て勝てた試合だったなと思います」。当時の快進撃を実力以上の力が出せたと振り返ったが、ここから森は一躍スターダムにのし上がっていく。

写真:2013年準優勝に輝いた森さくら/撮影:アフロスポーツ

全日本準優勝を評価され、森は2014年4月の世界卓球団体戦東京大会でメンバー入りを果たす。予選のアメリカ戦、オーストラリア戦では勝利を収めた。さらに6月のジャパンオープン、8月のベラルーシオープンと立て続けにU21シングルスでも優勝を飾った。世界でも結果が着々と出始め、森の卓球人生は順調に進んでいたかに思えた。

全日本2位の呪縛

高校3年で迎えた2015年の全日本選手権、前年度準優勝の森は第2シードから上位進出を狙った。しかし、結果はまさかのスーパーシード初戦の4回戦で山本怜(当時・中央大)に敗戦。“ロンドン五輪団体銀メダリストの平野、福原を下し全日本2位”という呪縛が、森の持ち味である豪快なプレーを失わせていった。

高校卒業後、当時日本リーグで実業団最強の名を欲しいままにしていた日本生命に進んだが、そこでも思うような結果が出せない日々が続いた。

写真:森さくら/撮影:ハヤシマコ

「全日本で2位になってからは、自分を過信しすぎてプレッシャーを感じたり、私はできるのに、もっとできてたのに、とネガティブになって勝手に自分のことを追い込んでた時期が長い間続きました」。

全日本や世界で結果を残したことで、森は自らの理想とのギャップや周りからの期待、勝たなければならないという重圧に押しつぶされそうになっていた。

そんな森を救ったのが、恩師・竹谷康一コーチ(日本生命)との出会いだ。この邂逅により、人生で初めて「卓球が楽しい」という感情が森に芽生えることになる。その理由とは。

(取材・2020年3月初旬)
取材・文:山下大志(ラリーズ編集部)

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