取り壊し寸前の江戸城、ハイビジョンのような鮮明さ 幕府崩壊から数年、「ご真影」の内田九一が撮影

「御本丸」と書かれた江戸城の写真(シェイクスピア・ギャラリー提供)

 明治天皇の肖像写真で知られる写真家内田九一が撮影した取り壊し寸前の江戸城の古写真が、歴史ファンの間で話題になっている。道に転がった小石の一つ一つが識別できるほどの鮮明さが特徴で、二重橋の上から現皇居前広場方面を眺めた珍しい写真もある。(共同通信=大木賢一)

 ▽鮮明

 東京・神田駿河台の「シェイクスピア・ギャラリー」で3月に開かれた展覧会で12枚が公開され、10日間で大勢の人が訪れた。主催者の芸術ディレクター清水篤さん(62)は、新型コロナウイルス感染拡大に収束の兆しが見えれば、再開催も検討したいと考えている。

 「まるでハイビジョンカメラで江戸時代を写したようなリアリティでしょう?」。スキャンした画像を大きく引き伸ばしたパネルを前に、清水さんは笑顔を見せる。写真には、今はない多くの櫓(やぐら)や橋なども写っている。

「山下御門」と書かれた江戸城の写真(シェイクスピア・ギャラリー提供)

 写真は10年ほど前に清水さんが神田の古書店で手に入れた写真帖「東京名所焼付写真」に収録されていた。撮影者が分からなかったが、最近になって宮内庁三の丸尚蔵館に収蔵されたものと一致することが分かり、内田九一撮影と断定された。

 ▽東都一

 内田九一は1844年、長崎生まれ。化学や写真術を学び、65年、神戸と大阪で写真館を開業。横浜に移った後、69(明治2)年からは東京・浅草に本店を置いて活動した。

 さらに宮内省御用掛の写真師となり、73年、洋装軍服姿の明治天皇を撮影。この複製が、いわゆる「ご真影」として全国の地方官庁や学校などに下賜された。「東都一の写真師」として非常に人気があったが、75年に肺炎のため死去した。

木下栄三氏が作成した「皇居と江戸城重ね絵図」の一部分。赤線で描かれているのが江戸時代の江戸城の建物

 展覧会では旧江戸城の見取り図に現在の地図を重ねた「皇居と江戸城重ね絵図」も展示された。建築家で画家でもある木下栄三さん(69)が作成したもので、あちこちに矢印が付けられ、今回の写真の撮影場所と方向を示しているので、写真が現在のどこに当たるのか一目で分かる。

「二重橋より市中乃遠景」と書かれた写真(シェイクスピア・ギャラリー提供)

 ▽荒廃の理由

 写真はいずれも明治4年から6年ごろに撮影されたとみられる。「二重橋より市中の遠景」と書かれた写真は、二重橋の上から現在の皇居正門と皇居前広場を眺めたもので、かつて建ち並んでいた大名屋敷はすでに取り払われ、代わりに建っている細長い建物は近衛騎兵の営舎とみられる。

「鍛冶橋御門」と書かれた写真(シェイクスピア・ギャラリー提供)

 「鍛冶橋御門」は、現在の東京駅南側。円柱形の大きな排気塔がある鍛冶橋交差点の付近だ。橋の奥の建物は漆喰がはがれ落ち、江戸城の荒れた雰囲気がよく分かる。

資料と写真をもとに、江戸時代の風景と現在の風景を併せて描いた想像図。画・木下栄三氏

 「日比谷御門」は、現在の日比谷公園内から第一生命ビル方向を写した写真で、石垣の一部は今も残っている。堀には水草がはびこり、道は手入れされずにぬかるんだように見える。

「日比谷御門」と書かれた江戸城の写真(シェイクスピア・ギャラリー提供)

 日本城郭史学会代表で、全国の城に精通する西ケ谷恭弘さん(73)は「今回初めて見る写真も複数あった」と写真の価値を認めるが、これまでの多くの写真でも明治初期の江戸城は荒廃が進んでいたという。

 徳川幕府崩壊からわずか数年でなぜこれほど荒れ果てるのか。「明治維新の前から幕府の財政は逼迫していた」と西ケ谷さん。「倒幕運動への対応にも追われ、城の修繕などしている余裕はなかったのでしょう」

 内田は31歳で亡くなるまで東京の風景写真を多く撮り、江戸城の写真も多かったとされるが、あまり見つかっていなかった。清水さんは「江戸城は『皇城』として新たな天皇制の権威を示す存在になった。廃墟のような荒れた姿が世に広まるのは明治政府にとって不都合であり、流通しなかったのではないか」と推測している。

日比谷公園内の同じ場所から見た現在の「日比谷御門」周辺=時松淳一氏撮影

 ▽解像度

 鮮明さが目を引く今回の写真だが、実はもともと幕末や明治期の印画紙の写真は現代のそれと比べても解像度が高いのだという。なぜなのか。東京都写真美術館学芸員の三井圭司さん(50)は「感光板の大きさ」を指摘する。

 「現代のフィルムカメラでは、小さなフィルムに記録された映像(ネガ)を、より大きな印画紙に引き延ばして焼き付けています。この時代の写真の場合は、ガラス製のネガ原板と印画紙とを密着させて撮影するため『原板と紙の大きさは同じ』です」。フィルム写真に置き換えて言えば、最初からプリントサイズと同じ大きさの「巨大フィルム」を使っているようなものであり、これが画像の精緻さの理由だという。

「赤坂喰違」と書かれた江戸城の写真(シェイクスピア・ギャラリー提供)

 「複写」の問題もある。当時の有名な人物の写真などは、オリジナルの写真をさらに撮影してコピーを作ることが多かった。それをまた複写することで、画質は落ちていく。こうした古写真を見慣れている目にとっては、今回の写真が新鮮に映るのかもしれない。「今度の写真は、撮影原板から直接印画されたものでしょう」と三井さんは話す。

 およそ150年前に写し取られた「オリジナルの光景」。廃れゆく江戸城の姿に、歴史の移ろいを感じてみるのもいいかもしれない。

「シェイクスピア・ギャラリー」https://shakespearegallery.wixsite.com/website

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