MotoGPの軌跡(1):環境性能へ配慮し2ストロークから4ストロークマシンへの移行した2002年

 2001年までの世界GP(WGP/World Grand Prix)の略称で行われていたロードレース世界選手権。2002年から最高峰のバイクが4ストローク990ccとなり、シリーズの名称もMotoGPへと変更された。しかし、MotoGP初年度は2ストローク500ccマシンと4ストローク990ccマシンが混走する状況でのスタートとなった。2002年から2019年までのMotoGPの軌跡を連載形式で振り返っていく。
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 2000年より世界GP(WGP)のオフィシャルリザルトにはMotoGPというロゴが入るようになった。実際に最高峰クラスがMotoGPと呼ばれるのは2002年からだが、その前からMotoGPシリーズ全体の準備が進められていたのだ。

 MotoGPと呼ばれるようになって変わったことは、いくつかある。まず、一番大きく変わったのは、マシンのエンジンが4ストローク化されたことだろう。MotoGP初年度の2002年こそ、それまでの2ストローク500ccマシンに4ストローク990ccマシンの混走を認めるという表現がなされていたが、元々GP500クラスに4ストロークマシンの参戦は可能だった。

 ただし、GP500というクラス名どおり、2ストロークでも4ストロークでも排気量の上限が500ccだった。1970年代後半から1980年代前半に、ホンダはNR500という4ストローク500ccエンジンのレーシングマシンでGP500クラスに挑戦した。NR500は2スト500ccマシンに対抗するために2ストロークの倍近く回る超高回転型エンジンを搭載していた。

 逆に言えば、2ストローク500㏄マシンと対等に走る4ストロークマシンにするには、2倍近い排気量を与えなければならなかった。最初の4ストロークMotoGPマシンの排気量上限が990ccに設定されていたのは、これが理由だろう。当初は最低重量やガソリンタンク容量などで2ストロークと4ストロークのバランスを取ろうとしていたが、エンジンのレブリミットに関しては制限がなかった。4ストロークのほうが排気量が大きく、トルクも大きい、その上にレブリミットも高いのであれば2ストロークの500が苦戦を強いられるのは無理もなかった。そして明確に4ストローク化を推進したいという意思が背後にはあったのだろう。

 4ストローク化を推進した理由は、いくつかある。まずひとつは環境性能への配慮だ。2ストロークマシンは白煙を上げて走る。これは対外的にあまりイメージがよくない。

 そして、すでにバイクメーカーのラインナップから2ストロークエンジン搭載車が次々と消えていた。バイクメーカーにとって、レース参戦には技術開発と販売促進という側面があるので、販売していないエンジン型式のマシンでレースをする意味はあまりないのだ。

 そして、4ストロークならばこれまで2ストロークが主流だった世界GPに興味を示すメーカーが増えるのでは、という読みがあった。実際に4ストローク化によって、参戦メーカー数は増えたことは間違いない。

■2001年から着々と準備を進めた各メーカーたち

 2002年からスタートする4ストロークMotoGPマシンの開発で真っ先に動いたのはホンダだった。ホンダは2001年の年明けのモータースポーツ体制発表会の会場で、MotoGPマシンRC211Vの名称とエンジンの単体画像を公開した。

 ホンダはパワーと重量とのバランスを見てV型5気筒のエンジンを新開発。RCというホンダ伝統のワークスマシンの名前を受け継ぎ、211は21世紀初年度に発表されたことを表し、V型レイアウトとギリシャ文字で5を表すVが当てられ、もちろんVにはビクトリー(勝利)の意味も込められていた。

 続いて2月にはオーストラリアでテスト中のヤマハのMotoGPマシンが公開された。ヤマハはYZR500ベースの車体に搭載される直列4気筒エンジンの単体画像も公開。開発コードが0W-01であることが発表された。3月にはヤマハは正式名称をYZR-M1と発表、ジョン・コシンスキーを開発ライダーとして起用することを発表した。

MotoGP:2001年ヤマハYZR-M1プロトタイプ

 そして、この年の4月に開催された日本GPの直後、スポーツランドSUGOでホンダRC211Vがテスト走行を行った。続く5月のスペインGPではドゥカティがMotoGP参戦を表明。2003年からの参加に向けてニューマシンを開発中であることを発表した。

MotoGP:2001年ホンダRC211Vプロトタイプ

 その後、ホンダとヤマハはテストを重ねていく。そして、2001年の11月にはスズキが2002年からの4スト990ccマシン投入を表明。スズキは当初、2003年からの投入を予定していたが、XRE0という開発コードのマシンの開発も進んだことで、1年前倒しして2002年から4ストロークマシンで戦うことを決めた。

 2001年のシーズン終了と同時に、ホンダとヤマハはテストを本格化した。2001年の12月にはアプリリアが直列3気筒エンジンを搭載したRS3で2002年よりMotoGPに参戦することを発表。こうして、2002年シーズン開幕前のテストには、ホンダ、ヤマハ、スズキ、アプリリアの4社の4ストローク990ccマシンがそろった。

MotoGP:2002年にはホンダ、ヤマハ、スズキ、アプリリアの4メーカーが揃う

■MotoGPの軌跡(2)に続く

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