「背番号2」なのに左サイドバックだった5人

今日は4月22日。ここでは、背番号2を着けた左サイドバックたちを振り返ってみる。

タイ・タイウォ

世界最高クラスの破壊的左足を持っていたナイジェリア代表左サイドバック。

オーバーラップから強烈なミドルシュートを放ち、重くて低い低空弾道のフリーキックは壁が避けるほどだった。マルセイユ時代には中田浩二ともプレーしている。

背番号2を渡されたミランでは怪我もあり、わずか8試合しかプレーできず。

フアン・パブロ・ソリン

ペケルマン体制ではアルゼンチン代表の主将を務めた左サイドバック。

ユヴェントスやバルセロナ、PSGでもプレーし、前代未聞の神出鬼没なポジショニングで一時代を築く。

見ての通り“濃い”い選手で、球際の渋さ、粘り、忍耐強さ、がむしゃらに闘う精神に溢れた。ハンブルガーSVでは2番を着用。

アンドレア・ドッセーナ

2009年のコンフェデレーションズカップのイタリア代表メンバー。1年半だけプレーしたリヴァプールでは2番を着用した。

もとは高精度のクロス、粘り強いディフェンス、無尽蔵な運動量を武器とするサイドアタッカーだった。

ただ、左サイドバックとして期待されたリヴァプールではクロスが全く合わず、守備力の不足も露呈する結果に。

ガブリエル・エインセ

ガブリエル・エインセ

パリ・サンジェルマンで活躍し、マンチェスター・ユナイテッドに引き抜かれたアルゼンチン代表左サイドバック。

170cm代の身長ながら、競り合いに非常に強く、後年はCBが主戦場に。PSGとバジャドリーで2番を着けた。

登里 享平

運動量があり、低い重心の高速ドリブルを得意とする左サイドバック。

元々はサイドアタッカーであったが、風間八宏監督のもとで左サイドバックでの起用が増えると、2014年からDF登録に。

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2016年、川崎フロンターレでの背番号を23番から2番に変更。「ヒロキさん(伊藤宏樹)とサネくん(實藤友紀)の番号」という思いを持ってこの番号を受け継いだ。

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