白杖のブラインドスケートボーダー 視野の95%欠損、目指すはプロ、大内龍成さん

白杖を手にスケートボードに乗る大内龍成さん=2月4日、千葉県所沢市

 目の病気で視力がほとんどないのに、白杖を片手にスケートボードを乗りこなし、技を繰り出す―。そんな信じられないような「ブラインドスケートボーダー」がいる。20歳の大内龍成さん。インスタグラムで公開した動画は12万回以上再生された。「視覚障害者でもスケボーができることを世界に広めたい」と、プロスケーターになるのが夢だ。(共同通信=大島優迪)

 ▽研ぎ澄まされた聴覚

 病名は進行性の網膜色素変性症。現在、視野の95%が欠損、視力はほとんどなく、視覚は明るさをわずかに感じられる程度だ。今年2月、大内さんが通う埼玉県所沢市の屋内スケートパーク「SKiP FACTORY」で滑りを見せてもらった。

 セクションと呼ばれる階段や縁石などの構造物が配置されているパーク。大内さんは白杖を体の前後で素早く持ち替えながら、先端を地面や構造物に当てて位置を確認、構造物の縁にスケートボードを乗せて滑る技などを披露した。まるで目が見えているようだ。

 パーク内には車輪の低音のほか、白杖が地面に当たると「カン、カン」という少し甲高い音が響き渡る。音の反響に集中するようになった結果、聴覚が研ぎ澄まされ、今では車輪の音だけで滑っているスケーターが誰か分かるようになった。

白杖でセクションの位置を確認する大内さん=2月4日、埼玉県所沢市

 ▽出会いは中3、とりこに

 福島県郡山市出身。幼少期から暗いところが見えづらかったが、家族は「夜盲があるぐらいだろう」と思っていたという。ところが、小学1年のときに病院で精密検査を受け、病気が判明した。小学校時代は日常生活に大きな支障はなかったが、中学入学後に病気が進行。視野が狭まって視力も低下し、小学4年で始めた剣道の試合に出ても勝てなくなった。

 スケートボードに出会ったのは中学3年のとき。ゲームセンターで仲良くなった友人の家にスケートボードがあり、試しに乗ってとりこになった。病状やけがを心配した母にせがんで新品を買ってもらって本格的に始めた。病気が進行して視力を失う恐怖と闘いながら「今を思い切り楽しめればいい。見えているうちに基礎を覚えたい」とひたすら練習した。午前3時に起きて友人宅の駐車場で滑ることもあれば、放課後は学校近くの公園に直行し、日暮れまで滑り込んだ。

再生回数が12万回を超えた大内さんの動画

動画のURL:https://www.instagram.com/p/B5DA2Czh2ob/ 

▽スケボーは人生と一緒

 努力して技を習得したときの感覚が最大の魅力だという。「スケボーは人生と一緒。目標があるから努力して頑張れる」  視覚支援学校に進学して間もなく病状が悪化、成功していた技もできなくなった。「一気に突き放された感覚がつらく、嫌いになった」と競技から離れた。

 卒業間近になり、白杖を使いながら高難度の技を繰り出す米国の盲目スケーター、ダン・マンシーナの存在を知る。複数のスポンサーが付き、世界中から称賛を浴びていた。大内さんは白杖を持つことがコンプレックスで、滑ることをあきらめていたが「もう一回本気でやりたい。一から積み上げる」と情熱が再燃した。「マンシーナがいなかったら今の自分はいないと思う」

 日常生活で使う142センチの白杖を持って滑るのは、スケートボードを始めたころとは「全く別物」だという。目が使えない分、残る感覚を「総動員」する。

笑顔でポーズをとる大内さん=2月4日、埼玉県所沢市

 ▽142センチの白杖

 頭の中で地図を描くように、自分とセクションの位置関係を想像する。誤差をなくすため、滑り始める地点は歩幅で測ったり、目印を決めたりして一定に保ち、滑り始めたら白杖の感触や音の反響に意識を集中させる。

 技に失敗して転ぶ回数も多いが、笑顔で何度も立ち上がる。ジャンプしながら板を横1回転させるのが得意技だ。まだ目が見えていたときから好きだったが、今は板を正確に回すことを一層意識し、技の成功率を高めている。

 4段ある階段を飛び降りることもある。恐怖心もあるが「常に成功したときのいいイメージ」を持ち、果敢に挑む。度胸や大胆な滑りに周囲は驚きを隠さない。昨年11月には東京五輪の金メダル候補たちが競い合う国際大会のオープン部門に参加し、観客を沸かせた。

 スケートパークのスタッフで自らもプロの佐藤駿平さんは「板が足から離れる技もやっているし、信じられない」と感嘆する。初めてパークを訪れた大内さんを見て「心配だった」。しかし、新しい技に挑む姿に「ハンディがない人よりも常に前向きで、限界に挑戦しているのがすごい」。

音声読み上げソフトを使って勉強する大内さん=4月27日、福島県郡山市

 ▽資格とプロと「野望」

 大内さんは現在、1人暮らしをしながらあん摩マッサージ指圧師と鍼灸師の資格取得を目指して養成施設で学び、パークには片道約2時間かけて週1~2回通う。資格を取ったら生活の軌道を安定させ「プロになるべく滑り込む」つもりだ。 本人が「野望」と表現する目標は他にもある。スケートボードを障害者スポーツとして確立するため、全国の盲学校を回って競技を紹介し、有名になってスポンサーに付いてもらい、テレビに出る―。視覚障害者への理解が進まず、心のない言動を受けることがある現状を変えたいからだ。

 病気は今も進行し「呪いみたいに徐々に苦しくなって、真綿で首を絞められるみたい」と言う。それでも「俺が本気で頑張って知名度を上げ、視覚障害者の認知を高めることができれば」。病状を感じさせない明るさで、力強く語った。

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