レッドゾーン化したイタリアと開幕前後のギリギリの出入国騒動/アルファタウリ日本人スタッフの現地報告(1)

 現時点での新型コロナウイルス感染者数が約18万人、亡くなった方も24000人以上と、スペインと並んでヨーロッパで最も深刻な被害を受けた国となったイタリア。感染者数はようやく減少の兆しが見えてきたものの、すでに1ヶ月以上続く厳しい外出措置はさらに3週間の延長が決定された。

 そんな状況下、イタリアに住む人々は日々どんな暮らしを送っているのか。スクーデリア・アルファタウリでマーケティング・マネジャーを務める日本人女性スタッフの本村由希さんが貴重な現地レポートを送ってくれた。

 前編ではまず、開幕戦オーストラリアGPへ出発した前後の状況、戻ってきた時の街の様子などを話してもらった。

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──幻の開幕戦から、1カ月以上が経ちました。3月中旬にはすでにイタリアで感染が広がっていたわけですが、オーストラリア入国の際に問題はありましたか?

本村由希さん(以下、本村さん):入国自体は特に問題ありませんでした。ただ私たちはイタリアから来たため、『過去14日以内にイタリアに滞在していましたか?』の質問にはYESと答えなければならず、そのためもう一度、係員がいる窓口に並ぶ必要がありました。

 私は日本のパスポートを所持しているのでオーストラリア人と同じ列に並び、特に何も聞かれることなく通過できました。一方、チームのほぼ全員は欧州パスポート保持者でしたので、別の列に並んで、その後もランダムに名前を呼ばれて体温などをチェックされたようです。

 空港では、職員の方がひとりひとりにマスクを配ってくれました。にぎやかな私たちにも、とても丁寧に対応していただき驚きました。私たちにそのつもりはなくても気づくとにぎやかな集団になっているんですよね。なんでだろう、イタリア人は声もリアクションも大きいからですかね(笑)。とにかくメルボルン空港の職員のみなさん、ご丁寧な対応ありがとうございました。

──イタリアへの再入国には、不安はなかったですか?

本村さん:私たちがボローニャ空港を出発した直後に、イタリア全土がレッドゾーン化したと記憶しています。乗継先で「イタリアにどうやって帰るんだろう?」とスタッフ同士で話したことを覚えていますが、まあ出発してしまったものはどうしようもないですし、不測の事態にオロオロするような集団でもないので、あまり神経質にはなっていませんでした。そもそも、不測の事態だらけなのがF1という世界ですからね。

──メルボルンからはいつ、そしてどのようにイタリアに戻ったのでしょう。再入国の手続きはスムーズでしたか?

本村さん:グランプリが開催されるはずだった決勝日の翌日、月曜日に出国しました。メルボルンから中東ドバイを経由してニースに飛んで、そこからバスでファエンツァのファクトリーまで帰りました。

「フランスのニースからイタリアのファエンツァにバスで行くのは、めっちゃ遠いし、そもそも国境封鎖されていないの?」といろいろ不安だったのですが、「はぁ? どうしたの? 何がどう不安なの?」、「大丈夫だって。俺たちがいるし、みんなで帰るんだし」、「国境封鎖されてたところで、イタリア人の俺たちが入国できないわけないでしょう?」などなど、半分笑いながら励まされました(おもにメカニック軍団から)。

 そうか、そうなのかなぁ……と納得がいかなかったのですが、よく考えたらヨーロッパ人ってクルマで長い時間をかけてバカンスに行くのが普通なので、隣の国からクルマで帰ることくらいどうってことないんですよね。島国育ちかつ英国滞在が長かったもので、私は陸路で移動という発想が先に出てこないんですよ。どうりでみんなが不安そうな私を見て不思議がっていたわけです。

 メルボルンを出発してから30時間以上の長旅でしたが、チームのみんなのお陰で不安になることもなく戻ってくることができました。フランスからイタリアへの国境越えは問題なしだったようですが、さすがに疲れてぐっすり寝ていて、気付いたらイタリアに入国していました。

 ちなみにイタリア帰国後、数日でヨーロッパの国も次々に国境を封鎖したようなので、けっこうギリギリでしたね。だからといって帰れないわけではなかったと思いますが、今思えばドキドキです。

──ファエンツァに帰り着いた時の、街の様子はどうでしたか?

本村さん:ファエンツァに到着したのは夜の8時半過ぎだったのですが、普段からこの町の8時半は静かなので、到着した日はあまり普段と変わらずといった感じでした。

 ただ国境を越えてイタリアに入ってから、高速のサービスエリアみたいなところが閉まっていて、キオスクしか開いていなかったこと、そこも店員さんがひとりしかいなくてマスクと手袋を着用していたこと、犬の散歩などで外を歩いている人がみんなマスクをしていたこと、高速道路ですれ違うクルマが異常に少なかったことを覚えています。

 ヨーロッパ生活が10年以上になりますが、一般の西洋人が自ら進んでマスクをするなんて、以前は考えられなかったことです。今この時点で、州によってはマスク装着が法令化された場所もあります。

──普段はグランプリから戻った際には、オフィスに行くのでしょうか。今回はどうでしたか。到着後、ファクトリーには行きましたか?

本村さん:普段、昼間に到着した場合、私はファクトリーのなかにあるオフィスに行って仕事をしたり、使用したユニホームのクリーニングをお願いするためにファクトリーの指定の場所に行き、ついでに同僚と立ち話をしたりはします。

 今回は夜遅くに到着したので大半はすぐに帰宅しました。数名はファクトリーに立ち寄ろうとしたようですが、受付で中に入らないよう指示を受けていました。私もすぐに帰宅しました。

本村さんの自宅から歩いて数分の道。左奥に見える建物が郵便局、右手にスーパーがあり普段は車も多いが、現在は静か。

(2)へ続く

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本村由希
 日本生まれの日本育ち。日本の大学を卒業後渡英、紆余曲折を経て、イングランド・プレミアリーグのふたつのチームで働く。どちらの仕事でも、スポンサーシップ・セールスに関わった。イギリス生活に疲れて退職、スペインで休養のつもりがなぜか気が変わり、Real Madridが経営するビジネススクールでMBAを取得。オリンピックの仕事に就く予定が、アルファタウリから声が掛かりF1の世界で働くことに。チームでは全レースに帯同し、現地広告代理店とスポンサーの調整や、ロゴや肖像権をきちんと使えているかの確認、そして新規スポンサーの開拓などに世界各地を飛び回っている。

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