イチロー氏から「会いたい」 鑑定家・前野重雄さん“お宝”スポーツグッズの世界【前編】

スポーツグッズ鑑定家の前野重雄さん【写真:宮脇広久】

田村亮子が金を獲得したシドニー五輪の畳に120万円、高橋尚子金のタイム表示板に80万円…

4年に1度のオリンピックには、スポーツファンのみならず、世界中の“お宝マニア”が熱い視線を注ぐ。特に、新型コロナウイルスの感染拡大で来年7月23日開幕に延期された東京五輪は、世界的にもいまだかつてない注目を浴びる大会になるという。テレビ番組出演などで著名なスポーツグッズ鑑定家、前野重雄さんが自身の“鑑定の法則”を初公開するとともに、昨年3月に現役引退したイチロー氏との知られざる交流も明かす。

かつて、某民放テレビ局が主催し、前野さんも出演した年末チャリティーオークションでのこと。田村亮子が2000年シドニー五輪柔道女子48キロ級で、金メダルを獲得した時に使用された畳に120万円。同五輪マラソン女子で、高橋尚子が金メダルに輝いた際のタイム表示板に80万円の値が付いた。「タイム表示板は、リセットされていたことが残念でした。もし、Qちゃん(高橋)のゴールタイム(2時間23分14秒=当時の五輪記録)のままなら、もっと高かった」と前野さんは笑う。

もっとも、これらはいわば“バブル”的な人気。前野さんの鑑定家としての基本戦略は、「五輪ものには手を出すな」だという。なぜなら、五輪はあくまで“アマチュアの祭典”だからだ。

「夏季であれ冬季であれ、金メダルを取った直後こそ騒がれますが、忘れられるのも早く、関連グッズの価値が下がるのも早い。あれほど輝いていた浅田真央さんも、今はそれほどでもない。羽生結弦にしても、今が“天井”かな、と僕はみています。プロ選手と違い、アマチュア選手は“宣伝部門”がないか、非常に脆弱で、人気維持のシステムを持たないことがその一因です」と説明。だから、「五輪関連グッズは、長く持つのには向かない。上下動の激しいベンチャー企業株のように、短く勝負して売り逃げるようなやり方はできるかもしれないが、僕は価値の安定した資産株的なものをお勧めしています」と言う。

「1年延期で東京五輪は未曾有の注目を浴びる大会になる」

しかし、こと東京五輪に関しては、1年延期されたことによって大きく様相が変わるという。「一種の“神風”です。コロナウイルスの感染拡大で、いま世界人口約78億人みんなが我慢を強いられている。その分、開催直前にストップがかかった東京五輪が来年無事開かれれば、そこからの解放を象徴する歴史的な大会になるでしょう。破格のテレビ視聴率を稼ぎ、未曾有の注目を浴びる大会になり、そこで活躍する選手や関連グッズも、すごい“跳ね方”をすると思います」と分析する。

そんな前野さんの手元に、味わい深い一品がある。1972年2月に開催された札幌冬季五輪の際、聖火を札幌まで運んだランタンである。工業デザイナー・柳宗理の作品で、聖火をアテネからベイルート、ニューデリー、バンコク、シンガポール、香港、台北、日本返還直前の沖縄を経由して本土に運び、青函連絡船で津軽海峡を渡る際には、護衛艦5隻、巡視船3隻に守られた。ちなみに、この8年前の64年東京五輪の聖火輸送にも、同じ柳宗理がデザインした同型のランタンが使われ、こちらは現在、東京国立博物館に納められている。「初めて聖火を飛行機内に持ち込めるように設計された物で、技術立国・日本の象徴と言えます」と前野さんは説明する。

札幌五輪の聖火を運んだランタンは4月7日、ネットオークションで70万円で落札された。「ランタンにとっていい“嫁入り”になりました」とうなずいた。

イチロー氏から、まさかの「会いたい」

ところで、前野さんには球界の不世出のスーパースター、イチロー氏と人知れぬ交流があった。イチロー氏に会いたがる人は昔も今も数多いが、イチロー氏の方から「会いたい」と言われる人は珍しいだろう。

1994年。オリックスで登録名を鈴木一朗からイチローに変更した途端、1軍に定着し、いきなりプロ野球最多記録(当時)のシーズン210安打をマークし、MVPまで獲得して大ブレークした年の9月のことだ。

「突然、オリックスの広報担当者から『イチローが会いたがっている』と電話をいただいたのです。私は当時、ヒップホップ系の月刊誌にスポーツグッズのコラムを執筆していて、NBA好きのイチローさんが読み興味を持ってくれたそうです」

前野さんは善は急げとばかりに、「今すぐ参ります」と返答。東京・町屋のオフィスから地下鉄、JR、新幹線を乗り継ぎ、着信の3時間半後には、その日試合が行われるグリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)にいた。

次回はイチロー氏との交流について詳しく語っていただく。

【前野重雄(まえの・しげお)】 輸入商社『流体力学』代表、海外オークション出展コンサルタント。1953年2月11日、東京下町生まれ。中学時代から安保闘争、全共闘などについての写真・記事を週刊誌などに寄稿。ハワイ州立大でジャーナリズムを学んだ。その後、雑誌記者としてプロ野球の取材に携わり、91年に小説『川崎ドリーム―川崎球場に客が来た日』で第1回週刊ジャンプ・小説ノンフィクション大賞1位入選。テレビ東京『開運!なんでも鑑定団』に放送開始当初から鑑定士として出演したのをはじめ、番組出演・執筆多数。4月26日午後7時から、フジテレビ系『ジャンクSPORTS』に出演予定。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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