改札口も駅舎もない駅です【駅ぶら03】京浜急行26

トップ画像は、八丁畷駅の下りホームから浦賀方面に通過して行った快特三崎口行。京急2100形電車。1998年(平成10年)製造の2次車。2015年(平成27年)から「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」第3編成。【駅ぶら】京急05のトップ画像で浦賀側の2133号車が登場しました。こっちは品川側2140号車。

その直後のカット。上り普通列車の品川行とすれ違っています。

上りホームから浦賀方面。頭上にJR南武線浜川崎支線のガードがあります。

こちらは品川方面。陽光の下はトンでしまってます。写真が下手ですみません。

上りホームで乗って来た普通品川行から降りて撮りました。

下り列車がホームに入って居ます。

駅名標。1915年(大正4年)京浜電気鉄道の駅として開業。駅名は開業当時の駅所在地から命名されています。駅付近は江戸時代、川崎宿(現在の小川町 チネチッタのある辺り)から市場村(現・鶴見市場駅付近)まで田んぼの中を真っ直ぐの道が八丁(約800m)伸びていたので八丁畷と呼ばれていたのです。八丁は、正確な距離を言っているというよりも「長い」ことの形容だったのでしょう。実際の距離は2kmくらいありますから。畷(なわて)という字は、田の中のまっすぐな細道、まっすぐな長い道という意味があります。余談ですが、大阪には四條畷という市がありますね。

1930年(昭和5年)には、南部鉄道の貨物駅が開業。続いて旅客営業も始まりました。1944年(昭和19年)には戦時買収で南部鉄道が国有になり、南武線の駅に換わりました。

1974年(昭和49年)京急本線の構内踏切が廃止され国鉄南武線のホームを跨線橋として使う様になりました。1981年(昭和56年)ホームが6両編成対応で延伸されました。1989年(平成元年)駅舎が改築されています。

上りホームに西口があります。2011年(平成23年)品川側に70mほど移設されています。

JR南武線浜川崎支線のホーム(京急線から見れば跨線橋)に上りホームから上がるには階段しかありません。筆者は右膝の痛みを堪えながら登ります。

JR南武線浜川崎支線のホームに上がりました。階段の上には京急線2番線への案内。

JRとの乗り換え用に簡易ICカード改札機が設置されています。JR南武線浜川崎支線の八丁畷駅には単式ホームがあるだけで改札も駅舎もないのです。不思議な駅です。JR東日本の数字でも平均乗車人員は2018年(平成30年)で1,705人/日と少ないのです。

JR八丁畷駅で南武線浜川崎支線は単線。鶴見駅から分岐した東海道本線支線(貨物専用線)が複線で合流してきます。望遠レンズを付けた大きな一眼カメラを持った男性は貨物列車を待っているのかしら。

JRの駅名標。

正面には京浜急行本線が南西に延びています。

こちらは既述ですが、2017年(平成29年)9月鶴見線撮影に来た時に撮ったJR駅名標。ずいぶんデザインも違いますね。

※2017年9月撮影

その時は貨物線を貨物列車が通過しました。

※2017年9月撮影

その時は、南武線浜川崎支線の列車にのって浜川崎駅に向かいました。

※2017年9月撮影

まだ八丁畷駅から外に出ていません。次回は改札口から出て見ましょう。

【駅ぶら03】京浜急行27 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)

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