【消えた選抜からの道5】初の“聖地”が消えた加藤学園 あえて下宿に残った生徒たちの決断

選抜出場が決まった1月24日、胴上げで喜びを表現していた加藤学園【写真:編集部】

「選手たちの悔しさには隠しきれないものがありました」

新型コロナウイルスの感染拡大で大会史上初の中止となった第92回選抜高校野球大会。今なお事態の収束の兆しは見えず、夏の予選をはじめ先行き不透明な状況が続く中、各校の監督、選手はどんな思いで日々を送っているのだろうか。

地方出身者も受け入れる私立校のほとんどは休校措置に伴って寮生を自宅へ帰省させているが、初出場となるはずの甲子園が無念の中止となった静岡の加藤学園ではあえて下宿に残ることを選択した選手もいる。そこにはどんな葛藤があったのか、加藤学園・米山学監督に訊いた。

「秋に負けて、一度はあきらめた甲子園。それでも中京大中京さんが神宮で優勝して、初出場の芽が生まれた。出場が決まってからは1つ上の先輩たちや地元の方々からもいろいろな形で応援していただきました。こういう事情なので仕方のないことですが、選手たちの悔しさには隠しきれないものがありました」

昨秋の明治神宮大会で中京大中京が優勝、東海地方に神宮大会枠が与えられ、加藤学園は甲子園初出場の機会に恵まれた。だが、無情にも新型コロナウイルスで大会そのものが立ち消えに。3月15日から再開した夏へ向けた練習もほどなく中止となり、以降は他校と同じく全体練習を行えない日々が続く。「練習をしている間は選抜のことを忘れられる」と話していたナインもいたが、今はそれすらも叶わない状況だ。

移動時のリスクや隔離の難しさから、選手個々に親を交えて三者面談を実施

約40人の部員のうち、15人ほどが下宿生活を送る加藤学園。多くは同じ静岡県内の出身だが、なかには東京や関西など都市部からやってきた選手もいる。7都府県に緊急事態宣言が発令される直前、預かっている選手を地元へ返すか否か、米山監督は難しい判断を迫られていた。

「他の学校のように全部を封鎖してもよかったし、そっちのほうが楽だったかもしれない。でも、いずれは戻ってきたときのことも考えなければいけませんから。他校のようにしっかりした寮ではなく、下宿という環境のなかで2週間の隔離が果たしてできるのか。結局、うちが出した結論は親御さんも含めて生徒ごとに個別に考えを聞くということでした」

下宿生全員の親に連絡をとり、生徒も交え電話での“三者面談”を実施。移動時や帰省先でのリスクを踏まえ、11人は今も下宿に残る。下宿には米山監督をはじめスタッフが日替わりで当直。残ったメンバーも集団での練習はできないが、夏に向け選手間でミーティングを重ねている。

「やはり選抜がなくなって、夏のためにという思いがあるんでしょうか。結果的に3年生は全員残りました。野球部だけ特別なのかという声もありましたし、私たちにも何が正解か分からない。ただ、できるだけ本人や親御さんの意思を尊重してあげたかった」と苦しい胸中を語った米山監督。一度はあきらめた甲子園を、今度は自分たちの手で。本格的な練習ができないもどかしさのなかでも、選手たちは夏だけを見ている。(佐藤佑輔 / Yusuke Sato)

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